結界師

人間であるという単純な事が、一番恐ろしく複雑な事だと知る。




肺に、穴が開いた。
吸っても咽喉の奥にまで行かず、咽喉仏辺りで詰まっては浅い呼吸を繰り返し。

「いい加減覚えろよ、志々尾」
翡葉の言葉が研ぎ澄まされた感覚に鋭く刺さり。
「お前はそんなんだからいつまでも下っ端なんだ」
じゃらん。鎖を手にした男に、力任せに引っ張られ。
素の背中の柔らかな着物の感触、その後、
色素の薄い髪が目の端にかかり、翡葉の息が首筋を駆けた。
いいか、志々尾。
薄い声は、それでも薄い首筋の皮膚に赤い線を引く様な張りを持ち。
緊張に、全身の筋肉が収縮するのが解った。


「いいか、志々尾」
「人間でありたいのなら、」
「人間でありたいという下らないプライドは捨てろ」


ぴり、と。
音がして。
裂かれたのは首筋ではなく、心を覆う一番上の一番薄い膜。
血は、流れてはいない。
けれど。


……
でも、翡葉、さん

「何だ、喋れるのか、一応は」

俺は、化け物なんかじゃ、ない

「……」

人間っていう、そこを捨てたら、
俺は、本当に、化け物になる、

人間である事が、一番大切な事だと言ったでしょう


――薄皮破けばあるのは何か。
薄い薄い、人間という皮の奥には妖しの本性が。
今にも、今にも薄皮破れて化け物に、――化け物に?


ふぅっと、温かい、されど呆れた声と共に溜息を吐かれ。
「……馬鹿が、」
「誰が人間捨てろっつったんだよ」

……?

「人間でありたいと思う事を止めろっつったんだ」

「人間だという事を自覚しろ」
「人間だという事を忘れるな」

「そっちの方が、人間でありたいと思うよりも難しいだろうよ」


「俺にとっても、お前にとっても」


最後は独白だったか、翡葉は握っていた鎖を離し。


……
翡葉、さん、

「何だ」

翡葉さん
翡葉さん
翡葉さん

「……おい、志々尾」
翡葉の戸惑いを含んだ声は届かずに
ただ、一言だけ


俺は、人間ですか




「やっぱ、意識朦朧になってたのかよ」
足下に崩れた少年を見下ろす。
鎖で擦った赤い痕に妖しの本性を抑える黒い印。
自分と同類の、それ。


――俺は、人間ですか


「馬鹿が、」

「……そうじゃなきゃ、とっくに俺がお前を殺してるって事ぐらい解れ」








人間であるという単純な事が、一番恐ろしく複雑で理解し難いものなのだと知る。
人間であるという単純な事を自覚する為に、
人間であると単純に思い自覚する事が一番恐ろしく複雑で難しいものなのだと知っている。

知りたくは、なかったのだけれど。


翡葉+限:人間である事を学ぶには人間である今だけしかないと貴方は言う