クロザクロ

睡眠欲

砂売りのおじさんが通ったよ




御形の眠りは浅い。常に意識の奥底、無意識の表面をさらりと撫でる程度で、所謂熟睡とは程遠く。そうかといって、朝の目覚めが悪いのかと言えばそうでもなく、誰も起きない朝早く、空の端が彩に滲む頃には布団は蛻の殻、冷えた状態である事もしばしばだった。
「そんな寝方で躰の疲れはとれているのか」
あんまり些細な音で直ぐに眼を覚ます御形に、九蓋が以前に尋ねた事があった。御形の眼を怖れてか、彼の隣の寝床は常に空いていた。そこへ「ただでさえ年少者は多く部屋が狭いのに」と九蓋が強引に布団を並べる様になったのが三月前。それから御形の眠りの浅さに気付くまでに時間はかからなかった。御形は九蓋の問いに答えずに、一瞥をくれただけでその場を去ったが。
朝が以前いた部屋の誰よりも早かった九蓋は、隣の少年が身を起こし布団から出ようとした時、奇襲にも似た具合で声を掛けた。
「――どこへ行くんだ」
不意打ちの声に、御形が未だ闇から抜け出ていない部屋の中、身を強張らせたのが解った。夜目の利く九蓋には、自分に視線を固定したまま動かない御形の様子がまざまざと見え、再度「どこへ行くんだ、御形」 潜めた声で尋ねた。
「……どこへ行こうと、お前には関係ないだろ」
つれない御形の返事にも挫けず、「一人で勝手に外に出るのは規則違反だ」 語気を強めれば、「ならお前も一緒に来る?」 御形は思いもよらない答えを返した。
「一人じゃいけないって言うんなら、お前が来てくれればいいじゃないか」
どう? 口の端に乗せた笑いの薄さに自分が莫迦にされたと知り、頬がかっと熱くなったのが解った。かかっていた布団を撥ね退けると、突然の行動に眼を見張らせた御形の腕を力任せに掴んだ。
「何――」
「何処に行くのかは知らんが、俺も一緒に行く」
御形の方を見向きもせずに、敷き詰められた布団の合間をそこに寝る他の少年達の躰を踏まない様にしながら廊下に出ると、そのまま素足で外に出た。引っ張られる形の御形は、大股でざくざく歩いていく九蓋の早さに付いていけずに多少足を縺れさせて歩いた。
「九蓋、お前」
「――お前、俺を莫迦にしただろう」
御形の言葉を遮り、九蓋は感情を抑えた声で言った。ひんやりとした地面の冷たさが、足の裏から腹に這う様に伝い、荒くなりそうな声を落ち着かせた。「口先だけでは何とでも言えるんだと思っただろう」
「……よく解ってるじゃん」
酷薄、正しくその言葉でしか形容され得ない笑みに、九蓋は自身の腹の底に澱んだものが溜まるのを感じたが、唯一御形に勝るだろうと自覚している忍耐力で抑えた。足に力がこもり、爪先が砂利を引っ掻いた。その様子を見て見ぬ振りし、御形は極めて対照的に冷静に告げた。森の木々が夜の闇を一段と濃くし、その中で色素の薄い御形は僅かな光に照らされ、病人の様に青白く見えた。
「九蓋、何もいい子ぶる事はないんだぜ?」
そんな事は関係ない実力だけの世界なんだから。「――そんで、腕、放してくれない?」
あくまで感情を排した御形の言葉の素っ気なさに、九蓋はその折れそうに細い腕を力任せにぐっ、強く握った。
「――っ何すんだよ」 反射的に九蓋の手を振り払い、強く掴まれた箇所を擦れば、僅かに赤く、痕になっていた。「お前、一体何をしたいわけ?」
九蓋を睨め付けながら、微かに苛立ちを声に滲ませて言った。その様子に一矢報いた、思い九蓋は知らず知らずの内に口元に意地悪い笑みを浮かべた。
「……お前、結構ムカつくな」
毒吐いた御形の言葉に「お互いな、」 短く応える。その返答が気に入らなかったのか、御形はきゅっと眉根を寄せた。
「――それで、何処に行くんだ?」 口を開きかけた御形より先に言葉を発すれば、詰まった様に噤んだ。探る様な視線を向けてくるが、そんな事をしなくても心が読めるのではなかったのだろうか、九蓋は怪訝に思った。
「――別にそんなの意識しない限り読めないよ」 アンテナ開きっ放しにしてたら身が持たない。つっけんどんに返された言葉に、「後は観察、洞察、推理力ってやつだ」 続けられて九蓋は憮然とした表情になった。
「矢張り解ってるんじゃないか」
「お前は解り易いんだよ、一々読むまでもなく」
間を置かずに言われ、一層表情が険しくなりかけたが「――屋根の上に、上がるんだ」 矢継ぎ早に発された言葉に置いていかれる。
「何処に行くんだって聞いただろ? 屋根の上だよ、そこで空が白み始めるまで寝てるんだ」
それで点呼が始まる前に部屋に戻るんだ。これ以上聞く事などないだろう、もう詮索をしないでくれるなよ――拒否の意思を言外に覗かせながら、御形は白状し背を向けた。しかし、
「――何故だ」
「――お前にはデリカシーってもんがないのかよ?」
莫迦にする態度を一切隠す事なく盛大な溜息と共に悪態を吐いて向き直れば、九蓋は鼻白んだ。ぎり、悔しさを抑える様に奥歯を噛み締めながら、深く空気を吸えば、咽喉の奥が、すうと熱を失った。
「……お前が、何も言わないんだろう」
震える息を吐き出すと同時に、「俺は、何も言われなくても解るんだ」 容赦のない答えが返ってきた。
「いいか、九蓋。お前らみたいに、一語一句口に出して言葉にして、なんて面倒な事しなくても解るんだよ」
こっちばかりが何とか伝えようと頑張って言葉にしようとして、でも相手の方は何にもそんな努力しなくたって良くて、――不公平じゃないか。言葉に出さずして、心の中でだけ呟いた。――ほら、お前には解らないだろう?
眉間に皺ばかり寄せる、自分と同年代の少年をじぃっと見つめた。同じ様に自分を睨む眼、その口からは、何も出てこなかった。
暫く待っても黙ったまま、動かない空気に、御形は知らず知らずの内に九蓋の言葉を期待していたかの様な己の態度に気付き、眼を細めた。いつもならば直ぐに畳み掛けるのに、そうしなかった自分に内心戸惑った。
「……いいか、九蓋――」
「なら、喋らなくてもいい」
九蓋の強い口調に一瞬気圧され、言うはずだった言葉を夜の中に見失った。その間に、再度九蓋は御形に告げた。視線を御形に固定したまま、射抜く様に凝視したまま。「喋らなくてもいい」
「唯、何処か行く時は俺も付いて行く」
だから、一人で勝手に何処かへ行くな。
――ごくり、空気の塊を飲み込んだ。
「……何だよ、それ。新手のストーカー宣言かよ」
御形の口から出た言葉には、何時もの様な揶揄いの色はなかった。空回った、そう思ったが遅く、忌々しげに下唇を噛んだ。誤魔化す様にきっ、と少年を睨み据えれば、不快を示されていると思ったのか、少し迷う様な表情を見せた。
「――ストーカーとは何だ、ストーカーとは」
小さな反論、そうして呟く様に付け加えた。
「お前は、いつの間か勝手にいなくなりそうで――安心出来ないだけだ」
「――……」
思いもよらない九蓋の言葉に、御形は眼を丸くした。異形の眼が、戸惑い、揺れた。
「……ストーカー宣言の次は告白?」
順序逆なんじゃない、そう言った声の震えに気付き、しかし取り繕う事はせずに唯九蓋から視線を外し、俯いた。「――お前は、変だ」
「お前の方こそ、変わっているだろう」
お互い様だ。すぐさま言い返した九蓋に、御形は頭を垂れたまま肩を震わせた。声には出さず、体を震わせて静かに笑った。「――お前の方が、変だよ」
お前の方が、変だよ。そう繰り返す度に、少しずつ感情が解けていくのが自分で解った。
「変だよ、九蓋」
「変じゃないと言っているだろうが」
苦々しげに、それでも律儀に答える九蓋に、また御形は笑った。笑えば笑うほど腹が痙攣し、びくびく動くのが面白く、どうしようもなくなり声に出して笑った。
「莫迦、御形!!」
見つかるだろうが! 叱咤する九蓋の声にまで笑いを覚え、口を強引に傷だらけの手で塞がれても、躰は震え続けた。
大人達に見つからない様にと抱きかかえられる様にして人目につかない所まで運ばれ、後ろから羽交い絞めにされて暫く、漸く笑いが止まった。
「何なんだ一体お前は!! 突然大声で笑い出して!」
小声ながらも怒鳴られ、御形は九蓋から身を離しながら「お前がおかしい事言うからだよ、九蓋、」 尚も笑いを引き摺った声で言った。
「だから俺は何もおかしい事など……!!」
「言ってんだって、九蓋。――あぁ、でも、」
もしかしたらこれで漸く布団で眠れるかもなぁ。何でもないように零れた言葉に、九蓋が敏く「御形?」 問い返したが、「俺はお前に感謝すべきなんでしょーかねぇ?」 笑ってそれ以外何も答えはしなかった。更に訝る様な眼差しを向けられ、「九蓋、」 その視線を受け止めた。
――いつかな、
「多分、いつかは言えると思うよ」
色んな事を。
真っ直ぐに放たれた言葉に九蓋は衝かれた様な表情になり、「――それまで俺は、お前に引っ付いて回る事になる……のか、」
漏れた独白に、また御形が笑った。


九御:養成所時代:意識の奥底 無意識の表面を撫でるだけの眠り