クロザクロ

食欲

鬼と人とが
卵を食べて
強く確かに
ひらけた潮と
しなる指に
赤花を




「でも、幹人くんも大概偉いよねぇ」

御形は、九蓋の肩に包帯をくるくる、手馴れた様子で巻きながら言った。

「人、食ってもいい様な状態なのにねー」
それを、しないんだから。

傀牙の衝動を抑える事は、逆に苦痛になり得る。鳴き駆け回る鶏を見て、涎を垂らしそうになっていた幹人を思い出す。
柔らかな羽毛の下に、ぴんと張った薄い皮膚、そして鮮やかなピンクの肉、それを牙で爪で力任せに引き裂き、食す――どんなに抗い難い欲求だろうに。
肉、は食欲でもあり、同時に性欲的なものも含む。傀牙は食する事で二つの本能を満たしている面もある――様に御形は思う。
しかし、傀牙が真に望むものは、鶏なんて『普通』の人間も食べるものではなく。

(そうなんだよ、彼が本当に望むのは)

眼の前に曝け出された、九蓋の首筋を見つめる。小麦色、というのが日に焼けた肌を指す色ではあるが、この男の肌の色は、どうにも宍色、という言葉の方が似合う。肉の色、そのままの、生きている者の色。
人の、色。

(……彼が本当に食べたいものは)

――人、であり。

「……あまり助長する様な事を言うな、御形」
アイツだけが、今の俺達の道標なんだからな。

九蓋の端的な言葉に、御形は「またそういう生意気な口をきいてー」、ばん、今し方包帯を巻き終わった箇所を平手で打った。九蓋の躰がびくん、はね。「――お前は手当てというものを知らないのか?」 非難した。
「知ってるよ、手当てって言うのはね、患部に手を当てて病を祓う、ってのから来てるんだよ。豆知識だねェ」
だから俺の今のだって、間違いじゃないっつったら、間違いじゃないんだよ。

変わらない減らず口に眉を顰めてみせたものの、矢張り今更でもあるので何も言わず。もう終わったんだろう、そう言って立ち上がろうとした時。

「――御形?」
「――本当、偉いよね」

肩に軽く手を置かれ、それだけにも拘らず九蓋は身動き取れなくなった。見えるのは男にしては細い指。――無性に腹が立ち(どうして俺はこんな細っこい指の男に負けるんだ)、首を捻りその先の御形の顔を見ようとしたが、それも項辺りを伝った生温い感触に強制的に中断された。
「御形?」
九蓋の、動揺はしていないものの怪訝そうな声に、御形は何も返さず。
尖らせた舌の先で、浮いた頚椎を押す様に舐め、そこから上にすうっと伝っていく。頚椎の窪んだ所を弄る様に舐められ、たまらず「……御形!」 声を荒げた。

「――本当、幹人くんは偉いよ」

再度、そう言うと、九蓋の首筋に顔を埋め、表情を見せないままに続けた。


「俺は、傀牙でもないのに、時々お前を食べたくなる」


「――っ」
かり、と。
頚椎の上、骨ごと、薄い皮膚と肉とに歯を立てられ。九蓋はちりっと走った痛みに躰を揺らし。――同時に襲った皮膚の表面を走った漣の様な感覚に、全身が震えた。
その揺れと震えを感じたのか否か、御形は首筋から顔を離し、反射的に自分を振り返った九蓋の顔を、ぐいっと覗き込んだ。
「御……」
「――なんて顔してんだよ、九蓋」
ちょっとした冗談でしょうが、けらりと笑ってみせた御形を、いつもの様に顔を顰めて凝視する。「――御形、お前、」
「大丈夫だよ、九蓋」
遮って御形が言った。顔を九蓋から離すと、そのまま立ち上がる。
「俺は、大丈夫だから」
だからそんな顔しなさんな。眉間の皺は癖になるよ? 口の端を僅かに上げ、揶揄い口調で。


俺は、まだ『人間』だから。


――かわせた、その手を敢えてかわさずに。
無言のまま御形は九蓋に組み敷かれた。
「――お前は、」
九蓋の声に、抑えきれないほどの怒りを見て、御形は再び「冗談だよ」、感情の込められていない声で言った。「お前はちっとも笑わないけど」
「――たとえ冗談でも、」
そんな冗談を笑えるほど、俺は間抜けでも愚かでもないつもりだ。
言い終えると同時に、服の間に覗く御形の薄い鎖骨に、犬歯でがじり、思い切り噛み付いた。御形は瞬間、息を詰め。

「――俺にも、お前を食ってやりたいと思う時が、ある」

胸元から顔を上げ、御形の眼を――呪われた眼を、自分のそれと繋ぐ様に視線を合わし。


でもそれは、食欲じゃない。


口から出た言葉と、心の中の言葉は、一緒で。
御形は困った様な――笑うのに失敗してしまった様な表情になり、次いで「お前、いつからそんな昼ドラ男優になったの、」 それだけ零した。





冒頭の詞:Cocco『珊瑚と花と』より引用


九御:食べたい時と食べたいもの