夏目友人帳

山吹き子は駆け帰路に着く

名取周一という人が複雑な思考を有している人間だという事は前々から感じ取ってはいたものの、その複雑さは言い換えれば、自身の言動の矛盾を気付いていながらそのままにしているという投げやりな性格で表されている。と改めて夏目は思った。
式を食われ、見境を失い、暴走するに至った彼女を、しかし夏目は心の底から愚かだと蔑む事は出来やしなかった。的場という男のように、使役するもの、道具に情を移し心を病んだ挙句に今回のような暴挙に出た彼女を、愚かしいの一言で切り捨てる事など出来やしない。それは恐らく名取も同じで、式は道具のようなものなのに、と言った彼の言葉はそのまま彼の心でも在っただろう。己の躰を這い回る妖に悩まされ続けただろう過去と現在を持つ彼は、妖をものとして人と切り分ける事を知っている。その境界線を正確に見極める事が出来る人だろう。
だが、同時に彼もまた妖に情を抱いている。情を移しているかは解らないが、抱いてはいる。さもなければどうして柊達の所に帰ろう。そんな言葉を言えるだろうか。柊達の所に帰ろう。帰る、というのは帰る場所が在るからこそだ。場所がなければ帰る事はない。帰るという言葉は、少なくとも使えない。
でも、現に今帰っているのだ。名取と彼に背負われた女祓師、自分の腕の中の先生と。三人と一匹は妖の待つ廃屋への道を帰路としている。名取が帰る場所に、柊とあの羽の妖のいる所を選んだから。
矛盾していると思う。妖を道具のようなものなのにと言いながら、同じ口で妖の待つ所へ帰ろうと言う。全く矛盾している。その矛盾は彼自身も認識しているのだろう、帰ろうと口にした直後、瞬きほどの間に口元に浮かんだものが自嘲の笑みだという事に、夏目は気付いていた。
名取は複雑というよりは、煩雑さを嫌っているだけなのだろう。身の裡の矛盾に群がる数多の雑事を処理するのが煩雑で仕方ないからそのままにしている。投げやりになっている。それを単純と言っていいのか解らないが、そういう人なのだろう。だから口では人と妖を二つに綺麗に切り分けようとするのに、その手は傷付いた妖の手に優しく包帯を巻いたりもするのだ。
矛盾している、けれど妖に触れて揺れる事を知っている名取という不器用な人はけして嫌いじゃない。夏目は改めて、思った。


名取と夏目:「帰り道」

(20080925)