五感
揺さぶられる感覚の中
刹那生滅
因果交流電灯のひとつの青い照明
生きては死んで、死んでは生きてを繰り返し
七十五分の一秒
この躰は死に
七十五分の一秒後
この躰は生き返る
人と人外の狭間で
生きているのに死んでいる
生きているのか死んでいるのか
瞬間血が沸騰して現実と虚実の境界線が混在して視界に入るものが面白いように融けていく中で頭の中で脳の中で内側から叩き付けられる揺さぶられる重低音のうねりと甲高いガラスの叫び声に頭を壁に打ち付けたくなるけれども壁の前に地面に落下して――ウそのまま地球の中心に沈んでいく立っている所は底なし沼で足掻こうとも思わないけど兎に角躰の重心が腑抜けたようにぐにゃり融けていく解けていく時に眼に映った歪んだままの月に満月に吐き気がした俺を笑っている嘲笑っている――ョウ嗚呼どうか微笑んで抱いてそのまま
「――御形!!!」
掴まる、腕、感覚、遮断、転換、
聞こえない音が聞こえ、御形は手放しかけた自意識を寸前で捉えた。
同時に融けた世界は一瞬にして切り替わって形を有したものになり、自分の足で地に立つ感覚が戻った。踏み締められる地面の存在、確かめる様に爪先に力を込め重心をかけてみる。いつの間にかくらりと酔っていた頭を振り、首を捻り自分を呼んだ声の持ち主を見た。
「何だよ九蓋」
「その言い草は何だ。お前が突然呆けた様に立ち止まるから声をかけたに過ぎん」
しかもこの往来の激しい場所で、危ないだろうが。
九蓋の言葉は全くその通りで、よくよく見ないでも薺と芹が自分を怪訝な顔付きで見つめていた。僅かに眉根を寄せた薺の無言の心配に、何でもないよ、矢張り何も言わずにへらりと笑い答えとする。
本部のあるオフィス街より手前、煩雑猥雑な空気が充満した街の、スクランブル交差点。鼓膜を傷つける事しか知らない様な大音量の騒音の中心に立ち止まったまま、再度回る感覚が残る頭を振ると、御形は首を巡らせて周囲を見渡した。
――乱立するのは、ひたすらの高層ビル。空を埋める建造物を飾る原色の光と人工の色とが混ざり合い、ビルのガラスに反射し二倍三倍に膨れ上がり、眼はそれだけで溢れんばかりの過度の刺激に重くなる。
夜の帳は落ちたというのに、尚空を街を寝させまいとする様な光と音の氾濫。サングラス越しとはいえ、夜の闇の割合の多さに慣れきっていた眼には負担が大き過ぎた。光が眼球の内側で濁り、沈澱していく鈍い感覚。一回眼を閉じるも、瞼の裏の光の残滓はしつこく、諦めて御形は眼を開ける。途端にまた光が眼を刺し。
軽く空気を吸うと、咽喉の内側を擦られる様な痛みに襲われた。空気中をどれだけの塵芥が占めているのだろうと、暫く世話になっていた山奥を思い出す。
(――ここは空気まで毒気を含んでるな)
先を見やれば信号は点滅、人の足が速くなり、合わせる様に九蓋も速足になる。自然、腕を掴まれたままの御形もつられ、引っ張られるがままに交差点を渡った。
「先刻はどうしたんだ、」
本部への入り口を探るも見つからず、祠の前で他のメンバーと合流するその間に、「御形、」 九蓋にそう問われ、御形は眼を瞬いた。少し離れた場所に立つ男は、石段に座る自分を凝視していた。
「先刻のって、アレか? 別に、いつもの事だけど」
さらりと取り繕う素振りも見せずに返された言葉に、九蓋は不服そうに御形を見つめた。探る様なその表情に、そういえば今まで、御形は思い立った。
「俺、今までお前と都会の方に来た事はなかったんだっけ?」
唐突に問い返せば、九蓋は片眉を上げ肯定を示した。「基本的に、お前と任務が一緒の事などなかっただろうが」
唯でさえ――レベルが違う。付け加えられた様な言葉に「そりゃそうだ、」 笑ってみせた。九蓋と自分のその実力の差は明らかで、幾ら旧知だとはいえ一緒に組ませる事など本部はしようとはせず。もしかしたらそんな事すら考えた事がないのだろうとも思った。
――どうせ蒐集者は使い捨てなのだから、「使える」者は少しでも長く使いたいのが本音のはずだ。
「――ま、アレは気にしなさんな」
「断る」
間髪入れずの即答、軽く言ったはずの言葉はそれ以上続ける事を考えておらず、少しの間が生まれた。反面、九蓋なら聞いてくるのだろうとも確信に近い予想はしてはいた。
無神経と言えるほどに口数は多くない、ただ行動だけはいつも躊躇わない。あの養成所で共に育ったにも拘らず、九蓋という男は生きる化石の様に珍しい、自分とは正反対の人間だった。
「……何て言うんだろうな、莫迦のお前に解り易い喩えで言うなら、」
マイナス方向のセックスって感じだよ。
思案気な表情をしたままのその口から出た言葉に、九蓋は動きを止めた。
「――揶揄うのは止めろ」
声に微かな怒りが滲んでみえ、御形は「揶揄ってなんかいないのに」、眉間の皺一気に増えたぞ? 続けられた言葉に「お前はそうやって本題を逸らそうとばかり……!!!」 九蓋の声が幾分か大きくなった。
「いや、でも本当に」
珍しく困った様な顔を作って言った。「本当に、そんな感じなんだ」
都会は人も多いけど――単純に刺激が多すぎるんだよ。
九蓋には「未だ」解らないだろうけど。その言葉の裏に感じさせた含みを、九蓋は敏く理解した様だった。眼を眇め、そのまま何も言わなかった。恐らく、これ以上の言葉を九蓋は求めてはいないだろう、そう思いもしたが芹と薺の二人が来るには未だ時間がかかる事を思い、「まぁ、俺の感じで言えばさ」 時間潰しでもするかの様に頬杖を突き、一人話し始めた。
「正直本当にきついわけよ。
躰の真ん中に鉛ぶち込まれてそれが内臓とかに変化していく様な、それで段々躰が重くなって自分の思うように動かなくなって、脳の中ではナイフでギター弾いてるみたいでガンガンドンドン脳内打ち上げ花火震動じかに躰に響いて。
耳から音に、眼から色に入られて脳と躰犯されて揺さぶられてるって言うか、氾濫する川に投げ込まれたみたいな、飲まれて揉まれるままに、流れに逆らう事なんて出来なくてさ。
――その『流れ』ってのが、結構セックスの時の感じに、似てると言えば似てるんだよ。あれもさ、流れみたいなモンがあるだろ? 『いくな』っていう、あの感じ。あれとはまた違って、全然気持ち良くはないんだけれど」
お前に解るかなぁ。量る様な表情で御形が九蓋を見れば、九蓋は何かを言いかける様に口を開き、そうして噤んだ。何を言おうとしたのかは御形には解らなかったが、その飲まれた言葉を読もうとは思わなかった。だからこそ、次の言葉を何の衒いもなく発する事が出来た。
「流れ込んでくる色も、音も、人の心も、――五感全部に刺激が強くて混乱するんだよ」
ほとんどもう人外入ってるからね、俺は。
――伸びてきた腕をかわすと同時に掴み、そのままの勢いで九蓋の躰を手前、石段の上に引き倒す。躰を起こされる前に、その腕を――一応は怪我人、過度に力は入れずに形だけを――極める。ぐ、潰れた様な声が九蓋の咽喉の奥でした。
「すぐ感情的な行動に出るのは、お前の悪い癖だよ」
未だ怪我治ってないくせに。呆れを含んだ声を背中に受け、それでも九蓋は尚抗う。
「どうしてお前はそう自虐的な事ばかり言うんだ!!」
「自虐はお前の方だろ、筋トレ莫迦め。それに俺のは自虐じゃない。事実だよ。散々『刺激が強すぎるんだ』って言ってるじゃないか。
俺が武具の侵食の進み過ぎた人間だって事は、お前も解ってるはずだろ?」
唯でさえこの眼なんだからな、と。いつまでも腕を極めているわけにもいかず解いた、その瞬間に躰が入れ替えられる。服越し、背中に冷たい石の感触を受け、油断していたのか意識していたのか、頭の片隅で考えた。こうなるだろう事を、自分は確かに解っていたし、望んですらいたのかもしれないと思い、九蓋には本当に弱いと心の中でだけ笑った。――九蓋は、自分が生きている事を感じさせてくれる人間だからだろうか、と。
「――あぁ、九蓋九蓋、言い忘れてたけど」
自分の躰に跨り、鼻先が触れそうになるほど近くに顔を寄せた男に向けて、「俺、別にあの感覚、嫌いじゃないんだよ」 交差点で襲われた感覚を思い出しながら言った。
「……何を、」
「流される感覚、お世辞にも気持ち良いとは言えないんだけどさ、でもあの感覚は嫌いじゃないんだ」
やっぱり、お前には解らないんだろうけど。
(お前には解らないだろうし、解って欲しくないんだけど)
組み敷かれた状態に似つかわしくない、悪戯好きの子供の様な眼をして御形は言った。九蓋は不満げな表情で、「遠回しの嫌味か?」 軽く歯で御形の柔らかな下唇を食んだ。少し力を込めれば、すぐに噛み千切れてしまう様なほどに柔らかく。幾度か甘噛みしてから離れた。
「……ここでやるのは望ましくないだろうな」
「場所的にも時間的にも状況的にも勘弁して欲しいね」
片頬だけで笑ってみせ、被さる九蓋の躰を退け上半身を起こす。背中に冷えた硬い感触が残っているままで、この石の上でやろうとは流石に思わなかった。
「でも、お前とのセックスは好きだってのは前にも言ったよな」
不意打ちに放られた言葉を上手く受け取る事が出来ずに、九蓋が逡巡したその短い隙に胸倉を掴み引き寄せ、乱暴に相手の口腔に自分の舌を捻じ込んだ。絡める事はせずに歯列の裏を渡る様に舐め、すぐに距離を置く。「――先刻、俺を組み敷いてくれたお返しだ」 引いた唾液を袖口で拭いながら、御形はにやりと笑った。
「――お前は……!!!!」
何処までが本気で、何処までが揶揄いなのか、と。九蓋の耳が赤くなり、口元が戦慄くのを認めて、御形は今度は触れるだけの口付けをして文句ばかり言うその口を黙らせた。
揺さぶられる感覚の中
刹那生滅
因果交流電灯のひとつの青い照明
生きては死んで、死んでは生きてを繰り返し
七十五分の一秒
この躰は死に
七十五分の一秒後
この躰は生き返る
人と人外の狭間で
生きているのに死んでいる
生きているのか死んでいるのか
躰を絡め合わせる度に血が沸騰して内側から叩き付けられる揺さぶられる重低音のうねり躰の重心が腑抜けたようにぐにゃり融けていくのに貫かれる瞬間の芯に横隔膜胃に咽喉ぐさり突き破られてそのまま早く殺してくれ殺してくれ殺してくれ名前を呼んで息の根止めていかせてくれ
そうしてまた生き返っては死んでいく感覚だけが生きている事を感じさせるから
因果交流電灯のひとつの青い照明――宮沢賢治『春と修羅』より引用