黒子のバスケ

ライク・ア・ヴァージン

0728 (age 18 & 20)

センパイ、オレのために、オレと一緒に犯罪者になって。
そんな物騒な台詞と共に、ベッドに押し倒された。



「――で、どういうことだかご説明願おうか、黄瀬君よぉ……?」
ベッドに腕組み、胡坐の姿勢で笠松はフローリングの床に正座する黄瀬を睥睨した。
「『オレのために犯罪者になって』? その前にてめぇが犯罪者予備軍じゃねぇか。いいか、アメリカだと恋人同士でも強姦っていう罪が成り立つんだぞ? 日本でだってキスマーク一つで傷害罪成立するんだぞ? 繰り返すが黄瀬」
どうしてオレは誕生日に恋人に半ば強姦紛いに襲われなきゃならなかったんだ?
説明できるものなら説明してみろと言わんばかりの語気荒い笠松の態度は、しかしもっともなものだった。
今日は笠松の誕生日だ。前々から空けておいてくれ、二人きりで過ごしたいのだと年下の恋人にねだられて、それを反故にするような真似もせず、きっちり前日二十八日の夕方に一人暮らしをする黄瀬の最寄り駅で待ち合わせて、そのまま黄瀬の家で夕飯をご馳走になり、ケーキまで食してシャワーも浴びて、冒頭の台詞だ。
互いに上半身何も身につけず、かろうじて下着だけを身につけている状態で、一人は仁王立ち、もとい仁王座りで、一人は反省ポーズの代名詞、正座で両手を膝の上に揃えて置いている。
強姦紛い、と強い言葉を使ったが、一度躰を開かれ始めたら後はもうお決まりだった。相手は恋人で、しかも久し振りの逢瀬だ。始めこそ多少乱暴に扱われたが、黄瀬の指が中を探り始める頃にはいつもの調子になって、暴き合い、喰らい合い、吐き出し合って。
――その情事の後の湿った空気は既に雲散霧消し、今はひたすら、ずっしり漬物石のように重いだけだ。
「……センパイ、セイショウネンホゴイクセイジョウレイって知ってます?」
その重さのままに項垂れ、貝のように口を塞いでだんまりを決め込んでいた黄瀬だったが、漸くその口から出た言葉に笠松は驚いた。
相変わらず漢字に弱い黄瀬の発音を過たず変換したはいいが、まさか黄瀬がそんなことを口にする日が来ようとは思いもしなかった。青少年保護育成条例なんて、黄瀬の今までを、いや、今し方を考えたら鼻で笑い飛ばすしかないようなものではないか。上半身裸でボクサーパンツ一枚。腕の引っ掻き傷までオプションで付いていることを考えると、最早ジョークだろとしか言えない。
驚く笠松を後目に、ぼそぼそと黄瀬は言葉を紡ぐ。
「センパイ今日で二十歳でしょ……大人の仲間入りじゃないスか。そしたら……オレとしたらその時点で条例違反で前科者じゃないスか……でもオレ二年間禁欲とか無理だし、だったら……一緒に犯罪者になって欲しいなって……」
「それでオレもお前も性犯罪者ってわけかよ……」
赤信号を皆で渡れば怖くないとでも言いたいのか、こいつは。笠松はがんがん痛む頭を抱えたくなった。ここまで極端な考え方をする奴だったとは、と思い、二年前の誠凛に単身乗り込んでの所業を思い出し、そうだこいつはこういう奴だったと納得する。考えるよりも先に行動するきらいがあるのだ、黄瀬には。そのくせ、抱えた問題を自分一人の中に押し込める癖がある。それも知っていたが、だからといって二人揃って犯罪者の仲間入りを目論むとは、いっそ怖い。
笠松がじりと距離を取ろうとした気配を察したのか、だって、と黄瀬は矢継ぎ早に言い放った。きっと見上げてくる目尻には涙さえ浮かべて。
「だって恋人同士なのに、男と女だったらもう高校生の時点で結婚だってできちゃうのに、そんでオレが女だったらセンパイ十八になったその日に市役所行くのに! そしたら毎日ずっこんばっこんヤりまくったってOKなんスよ!? センパイ二十歳でオレ十八でも全然問題なんてないんスよ? でも、男同士なばっかりに! 結婚できないってばっかりに! オレはセンパイを犯罪者に……っ痛ぁあああ!!!」
「…………っ痛ぇのはオレもだ馬鹿! っつか落ち着かんかこのボケナス!! 何がずっこ……いや、いい、別にいい! 兎に角恥ずかしいこと抜かすなドアホ!!!」
暴走する黄瀬を止める手段は唯一つ。脳天への踵落としを決めた笠松は、己の踵に跳ね返ってきた痛みに暫し呻いた。じんと熱を持つ踵をさすりながら、黄瀬への説教を続ける。
「っつか何でいきなりそんな犯罪云々持ち出してんだよ。今の今まで気にもしてこなかったんだろーが、お前」
黄瀬の経験値の高さを見れば、なかなかに爛れた人生を送ってきたと推察するのは容易だ。自分より二歳も年下なのに、経験値には天と地ほどの差がある。その彼が何故急にこんな法を遵守することを重んじるような――というより、規則を意識した発言をするのか。それが不思議でならない。
眉間に深い皺を刻んだ笠松の頭の周囲にふよふよと浮かぶ疑問符が見えたのか、黄瀬は直撃を食らった頭をさする手を止めた。
「……センパイ、は」
清廉潔白の人だから、ちょっとでも傷、つけたくないのに、つけるの避けられないなら、どうせなら、って、思ったんスよ。
少しばかり困ったような顔で笑う黄瀬の眼差しは、今までに笠松が見たことないものだった。言動は子どもそのもののくせに、それ以上に笠松に訴えかけるその眼は、黄瀬の今日の行動が我儘や思考を振り切っての極端さとは違ったものに裏づけされてのものだったということを教えた。口元には緩く笑みすら浮かべているのに、眼は揺れることなく一直線に笠松を射抜いている。
――蜜が固まり石化したものが琥珀なら、黄瀬の眼は正しく琥珀だった。真ん丸の蜜の中に閉じ込められた黒の瞳がきゅうと開いて、飲み込まんばかりに笠松を映していた。
「……お前」
もしかしなくても確信犯だな、と。探る声で、しかし確信を持って問う。暴走や勢い任せで、という態を取り繕ってはいても、黄瀬は考え抜いて今日の行動を取ったのだ。
笠松の確信を肯定するように、黄瀬は一層口元の笑みを深くした。その顔は、最早十八の少年がするものではなく、強かで狡猾な立ち回りも知っている大人の男のもの。一足早く成人という立場になり、許されることと許されないことの量が桁違いになった身とはいえ、笠松は年下の恋人が階段を一つも二つも飛ばして大人になりつつある事実に驚いた。中学に上がる前からやっている仕事の影響もあるだろう。月日の所為もあるだろう。だが、笠松は自惚れだとは思いながらも黄瀬のこの成長は、少しでも自分に近付かんとするためのもののように思えた。
だとすれば、笠松の取る行動は一つだけだった。
「……取り敢えず、お前」
ぐいと両腕を伸ばせば、意図を違えることなく読み取った黄瀬が膝立ちになって笠松の腕の中に収まる。緩く頭を抱き込んで、先程自身が鉄鎚を落とした辺りをそうと撫でた。冷房が効いている室内とはいえ、肌の表面に残る情事の湿っぽさを指先に感じた。
「まだお前は子どもでいいんだよ。ってか子どもでいろ。折角先に成人したんだ、大人の余裕って奴を味わわせろ、そして楽しませろ」
「そんなの、センパイの勝手じゃないスかぁ……」
不満気な黄瀬の声と、もぞもぞと頭を腕の中から出そうとしているのを無視して押さえ込み、そもそも何だ。清廉潔白なんて四字熟語お前いつ仕えるようになったんだと追い討ちをかける。
「聞いてるこっちが恥ずかしいっての。ってか……オレはそこまで、清廉でも潔白でもねぇよ」
「そんなこと、」
「最後まで聞け。……だって、そうだろうが」
お前が欲しくて男同士でこんな関係になって、その時点で茨道で傷だらけになってるっての。
いくら笠松が恋愛に疎い人生を送ってきたからといって、男同士の恋愛には一般のそれよりも多くの壁があることくらいは解っていた。異性愛が王道、というのなら、それ以外のものは獣道であり、茨道だ。
「――でも、そんな傷なんて傷じゃねぇし、それでできた傷なら本望だろうが」
言い切る笠松に、黄瀬は無言のまま唯腕の中に抱かれている。
「オレはお前が好きで、お前はオレが好きで、それで手取り合うどころか腕掴み合ってんだから、もう、一緒に犯罪者とかのなってとかの話じゃねぇんだよ。罪を犯すだの常識から外れてるだので言えば、だな、とっくのとうに、オレらは共犯者になってんだよ、黄瀬」
だから行けるとこまで嫌でもお前を連れてくつもりだからな、オレは。
顔を両手で挟み、上向かせた黄瀬の額に口付けを一つ落とす。眼を見開いた黄瀬の真正面で、にやりと口角を上げてみせた。今の自分の顔は、黄瀬が以前「悪い男の顔」と呼んだものになっているはずだった。
罪を犯している、なんて意識は本心でいえば欠片もない。でも。黄瀬が欲しいと覚悟した心の重さは、多分善よりもずっと罪に近いものだった。それくらいの強さで、黄瀬を欲しいと思った。
その重さを抱える相手を呼ぶには恋人というのは甘く、夢を見すぎていて。
――共犯者、という言葉を口にしたときには深い意味はなかった。だが今、その響きはすとんと笠松の中に落ちた。もう、一緒に犯罪者になって、という黄瀬の言葉を笑うことはできないだろう。
そんな笠松をじぃと凝視していた黄瀬は、ややあって緊張を解くようにふうと一息吐いた。
「……センパイって、本当……」
簡単には追い付かせてくれないっスねぇ。
微苦笑するその顔は先ほどの大人びたそれに似ていたが、何かを隠そうとしていないというだけで随分と空気が違う。むき出しの肌は敏感で、まとわりつく緩く解けた空気と黄瀬の指先の言わんとするところを笠松は察した。馴染みつつある、あの湿っぽさだ。
「……ほどほどにしろよ」
その一言だけの返事で十分だった。


back