ライク・ア・ヴァージン
0729 (age 16 & 18)
誕生日を知らない、ということに寂しさを覚えたのは初めてだった。
彼の誕生日を自分は知らない。そして、どうしてだか今の今まで知ろうともしなかったのだ。それは自分の誕生日が余りに知られ過ぎていたからかもしれない。
雑誌をめくれば、インターネットに名前を打ち込めば、あっという間に出てくる自分の情報。自分ですら知らないような自分の情報が氾濫していて、最初自分の名前を好奇心で検索してみたとき、怖くなって直ぐにブラウザを閉じた。
学校で、街中で、自分を見つめる眼がそこにはあった。ずらりと並んだ自分の名前を含むコンテンツ。ホームページ、ブログ、ツイッター、あらゆるツール上に乗せられた四文字の漢字。「黄瀬涼太」への好意と悪意が綯い交ぜにされ、清濁合わさり、嘘も真も一緒くたになったものが、全ては見た側の判断に丸投げされている世界。
薄い画面の向こう側の無尽蔵の情報はさながら混沌で、画面はクリアなのに一歩踏み込めば澱みに足を取られて抜け出すのが困難な世界――そう思った。
〇と一で成り立っているだけの世界の裏に、それを成り立たせている人間の、割り切ることなどできるはずもない欲と業の深さがあって。
見えないものが見えた、と思った。自分が見せようと思っていなかったもの、見せたくなかったものすら、そこにはあった。本能的に後退り、背を向けた。その世界を知るには、まだ早過ぎたのかもしれない、と今なら思う。
それからだ。他人の情報を知ろうとすることが何故だか酷く悪いことのように感じられた。知りたいのなら自分から本人に尋ねる。特に、それ以外の方法で彼について知りたくなどなかった。しかし、どうやって聞けばいいのかも解らなかった。
二人は恋人で、自分は彼の誕生日を、聞こうと思えば、知ろうと思えば知ることはできた。きっと今からだってメールなんなり電話なんなりで聞けば教えてくれるだろう。
それでも自分はちゃんと、相手と一緒にいるときに聞きたくて。
だって誕生日を知らない、ということに寂しさを覚えたとき。
今まで他人の誕生日なんて欠片の興味もなかったのに、そんな気持ちを抱いた自分にも驚いたが、それ以上に自分にそんな気持ちを抱かせてくれた相手の存在の大きさをまた思い知らされて。
これまで知ろうとしなかったのは、きっと彼の存在が余りに近過ぎて、そこにいることが当然で、そんな彼がいないときがあった、なんて思いもしなかったからだった。
誕生日、彼が生まれた日。
一ヶ月前、自分の誕生日を知らなかったほど一方通行状態だった片思い相手と、まさか恋人同士になれるとは思ってもみなくて、それなりに経験豊富であるにも関わらずとんだ失態を晒したと自嘲したのは昨晩。朝練も昼ミーティングもあったが、他にも人のいる状況で恋人の誕生日を訊くことはできなかった。特に森山辺りに知られたらどんな風に揶揄われるか解ったものではない。
一ヶ月前の誕生日、もらったのはおめでとうという言葉と、指にはめられるくらいの大きさのリング状のスナック菓子。森山曰く「指輪代わり」、笠松・小堀・早川曰く「誕生日祝いの駄菓子」を手渡されたとき、嬉しさの余りお礼の言葉すらしどろもどろになってしまった黄瀬を、四人はおかしそうに、穏やかに、吃驚したように、そして労わるように見つめていた。
もっとちゃんとしたものあげられたらよかったんだけどな、という笠松の言葉に、そんなことないとぶんぶん千切れそうになるくらいに頭を振る。
まるで中学時代、仲間達に祝われたときのように、全身がぶわりと膨れ上がり足元がふわふわしてしまって、夢心地だった。欲張りになった自分を自覚していた分、その欲が満たされることを望むのは強欲だとも解っていた。それでも、誕生日おめでとうと海常のチームメイトたる先輩達から言われたとき、――そして好きな相手に祝われたとき、嬉しさで何も考えられなくなった。
つまり、黄瀬はまだ自分のことで手一杯になってしまうくらいにはまだ子どもだった。それに気付いたのは、自分が彼の誕生日を知らないことに気付いたときだった。
誕生日、彼が生まれた日。
恋人の誕生日を知らないなんて、あまりにも。
だから、黄瀬は笠松に聞いたのだ。
センパイ、誕生日いつですか。
部活帰り、二人きりのときに。橙の夕陽に染まった道にぐいんと伸びる黒い影二つは付かず離れずの距離。夏の影は濃いけれど、境界線は何処かぼんやりしてもいて、熱気に滲んでこのまま夜の中に溶け込んで行くのだろう。
このままセンパイと溶け合えたら、なんて、未だに躰を繋げたことがないのにも関わらずのことをちらり頭の片隅で考えたとき。
笠松は吃驚したようにその大きな眼を更に見開かせて、それから破顔した。夕陽に照らされた顔は、子どものように、嬉しそうに楽しそうに、そしておかしそうに。
「今日、だよ」
オレの誕生日。お前、何、狙って言ったわけじゃねえだろ?
恋人の誕生日を、恋人の誕生日に知って、二人は帰り道に並んで歩いていて。
思いも寄らない告白に呆けた黄瀬が口にしたのは、一言。
今日で十八禁解禁なら、ウチ来ませんか。
お前が言うなと殴る手と裏腹に、爪先は黄瀬と同じ方向を向いていて、顔は真っ赤になっていて、でもそれもきっと夕陽の所為だった。ぴと、と重なった影は、また付かず離れずの距離になって。
そういうことにしろと無言の上目遣いで睨んでくる恋人に、黄瀬の理性はもう溶けかけている。