黒子のバスケ

ライク・ア・ヴァージン

0618(age 16 & 17)

その日、体育館は朝から騒がしかった。午後の練習中に騒がしいのはもうすっかり慣れたものだったが、その日ばかりは朝から体育館の入り口周囲に女子生徒がわらわらと砂糖に群がる蟻のように集まっていた。

「お前……よりによって蟻とは何だ、蟻とは。疲れた戦士に極上の癒しを与えてくれる可愛い女の子達を蟻呼ばわりとは、お前はどんだけデリカシーに欠けてるんだ笠松」

朝練終了後、「あいつら蟻かよ」というぼやきに耳聡く反応した森山の斜め方向に飛んだ発言にうっせぇと返すも、笠松には普段の覇気がなかった。むしろ憔悴した顔の笠松を見て、小堀がフォローを入れる。
「しょうがないよな……まさか朝一で体育館で待ち伏せしてる女の子達があんなにいるなんて、幸からしたら地獄の入り口だよな。しかも寄ってたかって『黄瀬君いつ来るの?』なんて、あぁと違うじゃ答えられない質問されたらな……」
石と化した笠松を救出した当人である小堀は、朝の悲哀を誘う我らが主将の姿を思い出して苦く笑った。
いつも以上に「女」を意識した化粧で気合いの入った女子生徒達を前にした笠松が、自分を取り囲む女子の向こうに頭二個分近く高い小堀の姿を見つけたときの顔といったらなかった。普段の鬼主将の顔をかなぐり捨てて、迷子になった子どもよろしく縋るような眼で見てくるものだから、小堀は己の手でモーゼの如く女子の波を必死にかき分け、笠松を救出したのだった。
「まぁ、後は放課後どうなるかだなぁ。こりゃもっと酷いかもしれないな」
「ホント、女って怖いっスね! オ(レ)突き飛ばさ(れ)っした!」
着替える傍ら、一八五センチの己を突き飛ばした女子生徒の猪突猛進ぶりを思い出したのか、天気快晴の暑い日にも関わらず、ぶるりと早川は肩を震わせた。笠松ほどではないが、早川もまた女性との付き合い方を知らないため、今日の出来事により「女は怖い」とその心に刷り込みがなされたに違いなかった。
「おいおいお前等まで何言ってんだ。あれはハーレムの入り口だろ、なぁ黄瀬?」
皆お前の誕生日だからって朝からあんな気合い入ったメイクして来てたんだろうが。今日の朝の有様の元凶となった男を森山が振り返る。
「はぁ……いや、本当すまっせんでした、笠松センパイ」
「そこはまずオレに同意だろ! 何だそのハーレム当然みたいな態度は! 何で笠松にまず謝るわけ!?」
「や、実際中学のときも似たような状況だったし……」
「さらりとイラっとくるなお前!」
黄瀬は森山の言にスマッセンと返すが、その眼は疲労困憊した笠松に向けられている。女慣れしていない笠松には余程堪えたらしい。気落ちした肩を小堀にぽんぽんと叩かれて慰められている。こちらの会話もろくに耳に入っていないようだ。
「……なぁ小堀……放課後もまた、やってくんのかな……」
「……残念だけど、恐らく……」
「最悪、黄瀬を生け贄に差し出せば解決するかな……」
「口にしにくいけど、それが最善かもな……」
「ちょ、小堀先輩さらっと何言っちゃってるんスか! 笠松センパイも!」
「そうだぞお前等! 黄瀬にばっかり美味しい思いをさせてなるものか! 女の子にもみくちゃにされるなんて、バーゲンのときのブランド服のような立場にさせていいのかお前等!」
「……全然羨ましくないけどな、その立場」
はぁと盛大な溜息を一つ零した笠松は、そもそも、と口を開いた。
「何で今日に限ってあんなに女子がいたんだ?」
――そこから!?と笠松以外の全員が一斉に突っ込んだ。





「何で入部してから三ヶ月も経ってない後輩の誕生日知らねぇだけでオレがおかしいみたいに言われなきゃなんねぇんだよ」
憮然とした表情を崩さないまま、笠松は昼飯のおにぎりにかぶりついた。きっちり咀嚼し、嚥下すると再び口を開く。
「つか、森山、お前一年全員の誕生日知ってんのかよ?」
「えー、まぁ知らないけどさー。黄瀬のはここ数日散々女子が騒いでたんだし、気付けよお前も」
「興味ねぇよ」
眉間の皺が深くなる一方だ。朝に刻まれたままその皺を、小堀が均すように親指でぐいぐいっと押した。
「幸、そんなにぷんすかしなくても」
「ぷんすかって何だよ、ぷんすかって。ガキかよ」
上目遣いで不満げに唇を尖らせた様に、流石にうんとは言えず、小堀は口の端を緩く持ち上げて言葉を濁す。
昼休み、部室に集まって昼食を取っていた三人の話題はと言えば、朝の一連の騒動についてだった。
「大体黄瀬も何だ、何であんなに意味不明の言動の挙げ句しょもっくれた顔すんだよ、周りも寄ってたかってオレが悪いみたいな空気にしやがって……」
ぶつくさと不満を零しながら、笠松は朝のことを思い出した。
信じられないものを見るかのような周囲の視線の真ん中で、笠松は逆に困惑した。何かおかしなことでも口にしただろうか。そんな困ったときには小堀だ。なぁ小堀、という言葉を遮ったのは、え、ちょ、あの、センパイ?と眉を八の字にした情けない顔を隠すことなく晒した黄瀬だった。黄瀬は、まるで恐る恐るといった態で聞いてきた。
「あの、実は今日オレ誕生日、でして……っつかそれじゃ、今日女子あんなにあんなだったのかって何も知らなかったんスか……?」
「細かく見てねぇし、唯……怖かっただけ、だし」
押し寄せてきた女子生徒達は、普段と違って何かやたら甘ったるい匂いがした。朝から胸一杯は嗅ぎたくないその匂いに若干酔いながら、思わず胸元にいきそうな視線を必死に宙に向けて。あのとき、遠くに見えた小堀はまるで釈迦に見えた。
そのときのことを思い出し、口にすることが恥ずかしくて悔しくて、図らずも目線を足下にやって拗ねた口調になった笠松の耳に飛び込んできたのは、ガンとロッカーを殴る音だった。びくん、はねた躰のまま顔を上げた。
「っな、んだよいきなり!」
「ちょ、センパイ何それ可愛い! 可愛い!」
怒ったのかとは思わなかった。だが、口元を押さえてがんがんとロッカーを殴り続ける黄瀬が理解できない。いきなりどうしたんだ。いや、その前に、だ。一八〇近い男子校生に可愛いとは何事だ。馬鹿にしているのか。笠松は日常茶飯事になった肩パンを黄瀬に見舞った。
「いった!!」
「誕生日なんだろ、よし、解った。十六になったお前を今まで以上にみっちりしごいてやっから覚悟しろ!」
「ええええええええ!?」
誕生日にそれはあんまりっスよーと嘆く黄瀬を、いつもだったら周囲もやんやと囃し立てるのだが、今日はどうしてだか勝手が違った。
「かわいそーだろー、笠松ー。折角十六になった可愛い後輩を苛めるのはどうかと思いますぅー」
「な、ふざけた口調止めろ森山! っつか苛めてねぇ!」
「今日くらいは甘やかしてやれば笠松ー?」
「はぁ?」
「わんこにも時にご褒美あげないとグレるんだぞ? そうなったら飼い主の責任じゃん」
「誰がわんこだ! 誰が飼い主だ!」
好き勝手放題して意味の解らないことを口にする周囲に埒が明かなくなり、笠松は一転無視して着替えに専念する。黄瀬がおいおいと嘆き、周囲が慰めている様を背に、黄瀬もウチに馴染んできたのかもしれないな。少しだけ嬉しくなったりもしたのだったが。
「……知ったからには、何かおめでとうくらいは言ってやった方がよかったな」
今更ではあるが、朝は結局そんな調子でお祝いの一つも言ってやれなかった。何かをプレゼントする、というのは他の部員の手前、おおっぴらにはしたくなかったが、ここ最近の黄瀬の変化を好ましく思う心もある。少しくらい何かをあげてもいいかもしれない。
そんなことを考え、どうせなら三人でちょっと何か買わないかと持ちかけようとした矢先、森山がそうだな、と鷹揚に頷いた。
「笠松、オレが首輪を買ってきてやるから、お前が黄瀬につけてやれ。きっと喜ぶぞ」
「おかしいだろ、それどう考えても唯の苛めだろ! 問題になるわ!」
「大丈夫だ、黄瀬が泣いて喜ぶから」
「その自信どっか涌いてくんのお前!?」
「首輪よりも指輪の方がいいんじゃないかな」
「それ男の後輩の誕生日プレゼントに男の先輩がくれてやるもんじゃないよ小堀!?」
話がどんどんおかしな方向に向かっている気がする。朝も酷かったが、こんな風になるなら話題に出すんじゃなかった。いや、最近どうも部活内の風紀というか雰囲気からしてどうもおかしい。主に黄瀬絡みで自分に対しての生温い視線を、時折だが感じるようになった。その原因は未だに解らないままだ。
これは近々、気合いを入れ直した方がいいかもしれない。笠松は黄瀬の誕生日プレゼントの話を頭から追い出し、説教の文句を黙々と考え始めた。





予想外だった。
(まっさか誕生日、知られてないとはなー)
はぁと溜息と共に心の中で吐き出した言葉に元気はなかった。完全に自分の所為であって彼の非ではなかったから、尚更気落ちした。右耳から入った古文は左耳から抜けて出るばかりで、頬杖を突き再度深い溜息を吐く。
窓際一番後ろの席――上背のある黄瀬にあてがわれたその席は日当たり良好で、今日のように風は涼しく日差しが少々きつい程度なら絶好の昼寝スポットだったが、先程から頭の中をぐるぐると回遊する案件に眠気がやってくるはずもなかった。
(でも、これみよがしに誕生日アピールすんのもおかしいし……うーん、どうすりゃよかったんすかね)
殊更誕生日というのを意識したことはなかった。毎年女の子から沢山のプレゼントを告白と共に渡されてきたが、それだけ。黄瀬は言ってしまえば受け身でこの日を迎え、そして流すことが多かった。
それが少しだけ変わったのは中学に上がってからだ。それまで追われる存在だった黄瀬が、初めて追いかける相手ができた中学二年の春。
部活終わりに仲間から渡されたプレゼントの数々に、嬉しさよりも驚きが勝って言葉が出てこなかった。朝からプレゼント攻勢にあっていたから、今日が誕生日である自覚はあった。不意打ちではなかった。それなのに、吃驚してしまった。
同年代の、信の置ける友人達から誕生日を祝われたのは初めてだった。
六月十八日、その日周囲には沢山女の子がいて、人にも好意にも物にも溢れていたし有難いものではあった。けれど台風の中の目の只中にいるような、何処か取り残されている感覚の拭えなかった黄瀬にとって、だから腕の中にあるプレゼントが信じられなくて。
自分が、今日、誕生日というお祝い事の当事者であるという実感が、ぶわわっと足下から頭まで駆け抜けて弾けた。
「あああ、ありがとっスー……!」
感極まって涙声になった黄瀬を見て、テーピングの巻かれた指先で眼鏡を押し上げながら顔を逸らしたり、大袈裟過ぎだろーと屈託なく笑ったり、感動しいなんですねとぴくりとも表情を変えないながら感心していたり、これもあげるーと追加でんまい棒をくれたり、ふふふっと意味深長に笑ったり、きーちゃん、と涙を拭うためのハンドタオルを渡してくれたり。
六人のそれぞれの性格をよく表した反応に、黄瀬は今度こそ泣き笑いになって、有難うと繰り返した。こんなに嬉しい誕生日はなかった。この友人達との時間は、きっと永遠だと夢心地で思った。
――それは結局、夢でしかなかったのだけれど。
あの日以来、黄瀬は自分が欲深くなったと自覚している。自分の誕生日を、自分の好きな人達に祝われる嬉しさや喜びを知ってしまった。だから、十六の誕生日も同じように欲深く思った。前日の夜、思ってしまった。明日は誕生日だと。期待してしまった。彼からの一言を。
(うー、自惚れてたってことだよなぁ。そりゃ……一応レギュラーだけど、学年違うし、でも名簿とかに載ってたと思うんだけど……気にされてなかったってこと、だよなぁ……)
よくよく考えれば、彼は自分を周囲の一年と分け隔てなく接してくれている、それだけだった。一人肩パンや教育的指導という名の蹴りが多いのも、入部当初の黄瀬の怠惰な練習態度への制裁の名残だろう。現に頻度自体は減ってきている。
「キセキ」という知られた存在、鳴り物入りで入部した自分を、一後輩として扱ってくれた唯一人の人。
良くも悪くも、特別扱いされない。それがこんなに歯痒いと知らなかった。
(……甘える振りしてちょっと迫ってみる、とかどうだろー)
彼は面倒見がいい上に、頼られたり甘えられたりが嫌いではないタイプだろう。誕生日おめでとう、の一言くらい言って貰えるかもしれない。自分からねだる言葉でもないと思ったが、他の誰でもない、彼からの一言が欲しい。そこまで考えて、黄瀬は周囲には解らない程度に微苦笑した。
(これじゃ、誕生日にかこつけて高価な物ねだる女の子みたいっスねー)
頬杖を突く手を変えて、窓の外を見やる。雲一つない晴天――と言いたいところだったが、窓枠の隅の方に一つちぎれ雲が浮かんでいた。ふかふかと浮かび空を横断していくそれを、ぼんやり眺める。
誕生日は契機に過ぎない。黄瀬は唯、自分だけに向けられる彼からの何かが欲しいだけで、それが今日なら比較的得られやすいだろうという算段も込みだった。
(……でもやっぱ、今日、なら嬉しいよなぁ)
六月十八日、十六回目の誕生日。高価な物や大層な言葉は要らない。唯一言、たった一言。
(笠松センパイ、から言われたいなぁ)
誕生日おめでとう、と。
今まで沢山の女の子達が言ってくれた言葉の大切さが身に沁みる。それを流していた自分を恥ずかしく思う。何気ない一言でも、黄瀬が思うよりずっと大切な言葉で、気持ちだっただろうに。
(……センパイ)
好きな人、に。
祝われたら、どんなに嬉しいだろうか。
青空を映した眼を閉じて思い浮かべた人に、会いたくなった。


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