黒子のバスケ

初めに

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涼太、今日はご馳走が食える日だぞと幸男さんが声を弾ませながらオレの背中に乗ってきた。

「ご馳走? 今日誰かのお誕生日っスか?」

コボリさんの家では家族の誰かがお誕生日を迎えると、その日はその人の好物がたんと作られる。お父さんのお誕生日にはお魚中心、お母さんのお誕生日には和食中心、コボリさんのお誕生日には……何が作られるのだろう。あ、もしかして、

「今日コボリさんのお誕生日?」

それならそうと前もって言ってくれてたら、オレだって何か用意したのに。お気に入りの光る小石を沢山持ってきたり、いい匂いのする葉っぱとか、色々。
不満をふんと鳴らした鼻息で察せられてしまって、幸男さんが何言ってんだよとオレの首の後ろの毛を軽く引っ張った。

「コボリの誕生日は年明けてからだよ、そんなことも知らないのかよ。――今日はクリスマス・イブだよ。ケーキとか鶏肉焼いたのとか、そういうのが出る日。お前知らないのか?」

前の家で祝わなかったか、と問われてそう言えばと思い出したのは、ちっちゃな女の子と更にちっちゃな女の子、と、ママとパパとが暖かそうな部屋の中で楽しそうに笑っていた姿。確かこの時期だった。
キラキラした輪っかやひもで部屋中を飾って、つんつんした葉っぱの木の模型みたいなのにもピカピカチカチカ色とりどりに光るものを巻き付けたり。

オレはそれを、家の外から眺めてた。オレがいるとちっちゃなちっちゃな女の子が泣いてしまうから。

「――そっか」

そうだ、確かに鶏肉の焼ける甘くて香ばしい匂いとかケーキの鼻に残るような甘い匂いもしていた。そうか、あの日が来たということは、もう一年経ったってことなのか。
コボリさんの家に来てから春と夏と秋と、冬。オレはもうそんなに長くこの家にいたんだ。

思わずしみじみしてしまうオレをよそに、幸男さんはオレ鶏肉裂いたの好きなんだよとうきうきした声で続けている。

「オレは何か甘いものあんまり食べない方がっていうんでもらえないんだけどさ、涼太も駄目なのかな。でも肉美味しいよな、お母さんちゃんといつもオレ用に味変えてくれてるんだぜ」

幸男さんがきゃらきゃらと声を弾ませる様が珍しくて、オレは是非その顔を見たかったのだけど、生憎背中に眼は付いてないから無理。
唯、背で声に合わせて揺れる躰は解って、軽いその身がこりこりと背骨を押すのが何とも言えず気持ちいい。オレも気が緩んでしまう。顔だけでなく、全身で喜びを表現する幸男さんなんて、本当に珍しい。

――でも。

「オレも、一緒にいていいんスかね?」

思い出すのは家の外から眺めた光景。
オレはその中に入れてもらえるんだろうか。
零れた言葉に幸男さんがへ、と素っ頓狂な声を上げた。

「? 何言ってんだよ、いいに決まってんだろ?」

オレがとんでもなく馬鹿なことを言った、みたいに。
当然のように、だって皆で楽しんで祝うんだから、とのしりオレの頭に上半身を乗せて幸男さんが笑う。

「今日ばっかりは、黒子とか緑間のとかとの約束よりウチ優先させろよ?」


クリスマスは家族で祝うんだって、コボリが教えてくれたんだ。


オレの耳の内側をふすふすと小さな鼻の頭で擽って、それからうっとりと囁かれた言葉に、じわりと胸の内が熱くなる。それがじわじわと広がって、溢れそうになってるのに上手く掬えなくて言葉にできなくて。

うん、解った、と。頷くしかできないオレに、幸男さんがご満悦な声でよしと言った。


222

遠くから聞こえるのは聞き慣れた声。そして、がさがさカンカンと何か固いもの同士がぶつかり合う音。

にゃんにゃんにゃん……にゃんにゃんにゃん……
……に言ってんだ、お前――……
え、だって今日は――……

のそりと起き上がって、声のした方を見やる。とはいえ、ほとんど何にも見えないのだけど、ぼんやりと大きさの違う塊が二つ。ずんずん、とそれは大きくなっていく。
姿なんてものよりもオレは確かなものを知っている。低い声、高い声。うん、これは。

『リョウタ』
「――カサマツくん!」

たたたっと足取り軽く駆け寄ると、腰を落として待ってくれていたカサマツくんの懐に飛び込んだ。

『ぅおっ、おま、大きくなったなーリョウタ!』
「どうしたの、今日は?」

オレの全力全身でのジャンプにカサマツくんの腰は耐えきれなくて、どすんと尻餅を突かせてしまった。あ、悪いことをしちゃったなと後ろに体重を移動させようとしたのだけれど、その前にぎゅうと抱き締められてしまったので無理だった。
ぎゅうぎゅう、オレの首根っこにかじりつくみたいな恰好になったカサマツくんは、暫くオレの首や頭や背中をわしわし撫でてくれていたのだけれど。
がさり、何かが動く音と同時にカン!と一際大きく響いた固い音。


『――――センパイ、そろそろ正気に返ってくんないと、オレの中の何かが、スね……』


このどんより重苦しい声。勿論これは、キセの声。相変わらず感情と直結の声だ。オレとカサマツくんが仲良くしていると必ずこんな声を出す。
それでもカサマツくんはキセの声にはっとしたようにオレを離すと、真っ正面から覗き込んできた。

『あー、お前のご主人様はいるか?』
「コボリさんスか? 今お魚買いに行ってるっス。そろそろ帰ってくるはずっスよ」
『何かいないみたいっスねぇ……ちょっと早く来すぎたのかも』

手にした袋を顔の高さくらいにまで掲げたキセを見上げて、カサマツくんもそうだなと頷いた。

『折角ユキちゃんに発売前の新製品キャットフード持ってきたんスけどねぇ……』
「? 折角って、何でスか?」
『そもそも二月二十二日がニャンニャンニャンで猫の日ってのは、そんなに有名――って、どうしたキセ』
『せ、センパイがにゃんにゃんとか……! も、もう一回! もう一回言って! にゃんにゃんリピート希望っス!』
『だぁあああ、外でくっつくんじゃねぇ駄犬!』
「……キセもキセで相変わらずの成長のなさっスね……」

カサマツくんの言葉で、今日が何かしら理由があっての猫の日、ということは解った。解ったけれど……キセの相変わらずさも、解った。
……でも。猫の日。猫の日、かぁ。

「……オレも、何か用意しようかなぁ」

目の前でくっついたり離れたりを繰り返すキセとカサマツくんの姿を見て、オレは一人別の思考を始めたのだった。


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