コボリさんと幸男さんと
ただいまっス、とコボリさん達が勉強をしている部屋にひょこり顔を出すと、動かしていた手を止めてコボリさんが振り返った。
『お帰り、リョウタ、ユキ』
「……ただいま、コボリ」
きっとコボリさんにはオレの背中に張り付くようにしている幸男さんは見えなかっただろうに、ちゃんと声を掛けてくれる。だから幸男さんもちょこっと身を起こしたみたいだった。
その後めいめいにお帰りーと言われ、オレはその度にただいまっスと挨拶していく。当然向かう場所はコボリさんの側。
『仲直りしたのか?』
「ス」
コボリさんとカサマツくんの間に身を横たえると、背中の幸男さんに声を掛ける。幸男さん。何だよ。さっき言ったじゃないスか、大丈夫だよ。……うるさい。
拗ねた声でオレの後ろ首に鼻を埋める。こそばゆくも内心で可愛いなぁなんて思ったり。
うん、背中から離れようとしない幸男さんはとても可愛いしこのままオレにくっついてくれていること大歓迎なのだけど、でも今日は例外。
「幸男さん」
諭すように背中の相手の名を呼ぶと、だって、と小さな声が聞こえた。
「……だって、解んねぇし」
甘える、なんて、どうすりゃいいんだよ。拗ねているよりも困っているような声。多分、本当に幸男さんには甘え方が解らないんだろう。
ご飯をもらったとき、遊んでもらったとき。
そういうときにお礼を言うのは幸男さんにとってはもう礼儀というか、そういうキハンイシキというやつに基づくもので、単純に甘えるっていうのとは違うことで。
幸男さんの甘え方は本当にごく自然になされて、それってでも、甘えられた方にしか解らないような甘え方だとオレは思う。
幸男さんがいつも頭と心の片隅で色々なことに警戒して、気を張っているのは知っている。コボリさんに迷惑を掛けるなというのも、そういうものの一つだ。
だけど、ふっと緩んだその警戒意識の内側に入れてくれるときがあって。それが幸男さんの甘え。
気を許してくれているんだって解って、オレばっかり嬉しいけど、幸男さんにはきっとそんなこと解らないだろう。
オレみたいに、遊んで遊んでっていう自分に構ってほしい甘え方とは全く違う甘えだから。
いつだって自分っていうのを輪っかから切り離しているから。
幸男さんは、だから、本当に甘え方が解らない、の前に、甘えるってことそのものを知らないんだろう。
「……難しく考えなくて、いーんスよ」
ちょっとコボリさんの膝に乗っかるだけで。何でだよ。何でなんて、だって。
「幸男さん、オレばっかりがコボリさんに甘えてるのが嫌だったんでしょ?」
甘えることに理由なんて求められない。だって甘えたいからだもの。
それ以外の理由をオレは知らないし、解らない。
もしかして他にも沢山理由があるのかもしれないけど、今のオレが知っているのはこの理由だけだから、それしか伝えられない。
「甘えたいときにすることって、甘えたいって気持ち抑えること以外なら、どんなことであれ結局みんな甘えなんだよ」
だから本当は、コボリさんに触れなくたって、名前呼ぶことだけだって、甘えになると思うんだけど。
幸男さんは何も返してくれなかった。
けど、ふっと背中から馴染みの重さが消えた。
オレの顔の横に降りた幸男さんは、横目にオレを見て言った。
「……涼太のくせに、生意気言いやがって」
つんとすました顔。うわぁ、可愛い、けど、何か憎たらしい。オレのくせにって、オレだって日々勉強してるのに、精進してるのに。
ぶぅとむくれた顔に、幸男さんがふっと笑った。その後。
ぺろり、と。
鼻の頭を小さな舌で、舐められて。
ざらり、肉の棘に引っ掻かれて。
ぞわり。
「――――っ!!」
ぶわり、全身が震えて。
幸男さん、て。
思わずのし掛かろうとした寸前。
「――コボリ、」
ひらり、鼻先でその黒の肢体が飛んで。
気付けば胡座を掻いたコボリさんのお腹の辺りにまん丸く。
『――ん、やっぱりユキも重くなったなぁ』
最初はちょっと驚いた顔をしたコボリさんだったけど、どうしたとか何にも聞かないで、さも当然のよう頭から背中まで、幸男さんの躰をゆったりと撫で下ろす。
あぁ、コボリさんに撫でられるの気持ち良いんだ、オレも知っている。あの大きな手で、指先に適度に力を込めつつ押すように撫でられるの、凄く気持ち良い。
幸男さんも例外ではないらしく、優しく撫でられて、くるんと尻尾を丸めて、あぁこれもう、絶対動く気ない。居座る気だ。解る、解るけれども。
「……ゆきおさーん……」
さっきのあれは何だったんスかーって聞いても、全く聞く耳持ってくれない。ご満悦でコボリさんに甘えている。
うんそう、そういうことだよ甘えるって。心地良くて、浸りたくなってしまう。でも、でもね。
「ゆっきおさーん……」
何て言うのだろう、この気持ち。切ないような悲しいような、いきなり放り出されてしまった感じ。
幸男さんの縄張りから閉め出されたような、この感じ。棘だらけの柵の外側から、内側の花畑を見るような感じ。
『……何か、リョウタの鳴き声が哀れさに満ちている気がするのはオレだけスか』
『……いや、まぁ、解るけど』
『たとえて言うならばカサマツがコボリと話しているときの初期キセと同じだな』
『……んだよ、そ……』
『いやあああやめて、やめて!! オレの切ない片思い期間の話やめてええぇ!!』
『自分で切ない言うなよ、気色悪い』
『森山先輩って実は結構Sっスよね!?』
キセとカサマツくんとモリヤマくんの声。
オレって今そんなに哀れな状態なのかな。そうなんだろう。うっさい!とうるさい声のハヤカワくんにぽかり殴られてむくれるキセを眺めながら思う。
『ま、仲直りできたんだからいーだろ、リョウタ』
ぽんぽんとオレの頭を叩くカサマツくんに、そうスけど、そうスけどーと歯切れ悪くなってしまう。だって、幸男さんどうしていきなり、あんなことしたんだろう。
『――センパイ、コボリ先輩の膝の上で甘えるユキちゃんを見るオレもちょっと切ないんスけどー……』
『知るか』
清々しいまでの一刀両断。
しゅんと項垂れるキセの横で、ハヤカワくんがキャプテンここ解んないスとノートを開いて見せていた。今のオレには少々うるさい大声だ。
『あー、ここはなぁ』
前に向き直ってハヤカワくんに教え始めるカサマツくん。
あ、ちょっとキセと同じ状態かも。カサマツくんにも構ってもらえないのは凄く寂しい。今のキセの気持ち凄くよく解る。
「オレらって同じ『運命』の下に生まれたってやつなんスかねー……」
緑間っちがよく口にする言葉を使ってみる。運命、予め決められていること。もし放置される「運命」なら、それって凄く空しい運命だ。
オレは立ち上がってキセの下に移動する。
「まぁ、でもお互い頑張るっスよ」
鼻先でキセの脇腹辺りを突付いて励ますと、『犬に同情されてるオレって……』と更に落ち込んでいた。全く失礼な奴だ。