カサマツくんと
くあぁと欠伸を一つ。それから伸びを一つ。ぴんっと背中をしならせて眠っていたときにたわんでいた筋肉に活力を取り戻す。
やっぱり天気が良い日は早起きするに限る。早朝の、太陽に温まっていく前、夜の名残を孕んでいるひんやりとした空気って実は結構好きだったりする。街が動き出す前の空気はどこかしんとして、冷たくて静かだけれど、まるで水の底に沈んでいるみたいにどこか澄んでいる。
オレはのそりと自分の住処から離れてくるり、庭先に出た。そこには驚くことに先客がいた。
『――あれ、リョウタじゃん。お早う』
「カサマツくん」
たたっと駆け寄れば、しゃがみ込んでオレの頭をぐりぐり撫でてくれる。カサマツくんは上下共に動きやすそうな恰好をしていて、朝から一体何をするんだろう。
疑問に思ったオレがくんくん鼻を押し付けると、擽ってぇよ、リョウタ、こら。笑ってオレの首に腕を巻きつけてぎゅうっと抱き締めてくれた。
『あー、あったかいなお前。犬って体温高めなんだっけか?』
それはちょっとオレには解らなかったけど、温い温いと言いながら抱き着いてくるカサマツくんは随分と幼く見える。昨日の夕食中の会話を聞くに、実はコボリさんと同じ歳らしい。何ていうことだ。人間の多様性というのに吃驚してしまう。
「カサマツくん、どうしたんスか? こんな朝早くから」
そう聞くと、朝から元気良いなぁリョウタは、と朗らかに笑いながら立ち上がる。それからぐっぐっと何度か膝から腿にかけてを押し解して、最後に伸び。あれ、これさっきのオレみたい。
じぃと見つめていると、なぁリョウタ、お前も一緒に行くか? 話しかけてきた。
『ジョギング、ちょっとここら辺り走るだけだけど』
「ジョギング?」
繰り返して首を傾げるオレを見て、カサマツくんはぷっと吹き出した。
『あー、こっちのリョウタは何か可愛いなー。素直なんかな』
こっち、がいるということはあっちもいるということで。それが誰なのかを知っているから、むぅと舌を垂らした。
あっちのリョウタは、オレの名前の由来となった人間で。キセと呼ばれているからキセリョウタ、という名前なんだろう。皆してキセキセ言っているから、多分昨日泊まりに来た四人の中で一番地位が下で。幸男さんの中の地位ヒエラルキーで最下位にいるオレと同じだ。
その点ちょっとだけ親近感も抱いていたりするけど、でもあのリョウタは何かいけ好かない。昨日の幸男さんへの態度を思い出して、更にむぅとする。
――怖がらないで? オレは痛いことも怖いこともしないから。
何であんな、それこそ誑かすみたいな。何なんだアイツは。舌を垂らしたままのオレに、リョウタ、どうした。カサマツくんが心配そうな顔でオレと目線の高さを合わせてきた。
『もしかしてお前、テイケツアツとかか? だったらジョギングなんて行かねぇ方がいいよな』
テイケツアツが何なのか解らなかったけど、ジョギングに行かない理由にはならない。オレは遊び盛りなのだ。ぶるんと躰を震わせて、元気がある証拠に大きな声で吠えた。
『っわ!! おま、いきなり吠えんなよ!』
元々大きな眼を更に大きくしてカサマツくんがちょっと後退る。でもオレの意思は伝わったのか、それじゃあ行くか。あ、リードとかあんのか?
きょろきょろとオレの小屋辺りを探す素振りを見せたので、自分でそれを咥えて再びカサマツくんの元に戻る。リードや糞取り用の道具一式はオレの小屋の隣に設置された箱の中に置いてあるのだ。
「はいっス!」
『おー、あんがとな、リョウタ。――あ、でもおばさんには一言言っとかないとな』
リード付きの首輪を手際良くオレに着けたカサマツくんは、ちょっと待ってろと言って一旦家の中に入って行く。大人しく座って待っていると、直ぐに戻って来てリョウタ、とオレの名を呼んだ。
『おばさんにもちゃんと言ったし。――それじゃ、行こうぜ』
「っス!」
リードの持ち手の部分を咥えててってっとカサマツくんの元にまで駆け足。はいと咥えた持ち手を差し出せば、本当に利口で良い子だなリョウタは、とまたくしゃくしゃと頭を撫でられた。
昨日キセを廊下の向こう側にまで蹴り飛ばした人と同じとは思えないくらいに、今のカサマツくんは穏やかで優しい。うん、何だかコボリさんに似た穏やかさだ。
しかし、さっきからの言動を鑑みるに、カサマツくんはどうやらあっちのリョウタに相当苦労しているらしい。確かに、春でもないのにあんなにオスのにおいを撒き散らす男はお目にかかったことない。もっと季節を考えるべきだ。同じリョウタとしてちょっと恥ずかしい、キセ。
『じゃ、行くか!』
「――はいっス!!」
同じ名を持つ人間に心の中で苦言を呈していたオレは、そのカサマツくんの元気な声に一度吠えて応じる。そうしたらまたカサマツくんがくしゃりと笑った。その笑顔を見て、幸男さんに褒められたときと同じようにほわほわした。何か嬉しい。何でだろう。
その理由が解らないながらに、やっぱり早起きっていいなぁと思いながら、カサマツくんと共に動き出す前の街の中に駆け出した。