黒子のバスケ

クレム・ハーレム

「……意外と、難しいもんスね」
「いい加減諦めたらどうだ」
「イヤっス! 絶対ぜぇえええったい諦めないスからね! 諦めたらそこで試合終了なんスからね!!」
「――ソーカイ……」

笠松の呆れを隠そうともしないぞんざいな態度に、黄瀬は目もくれない。手元の一点を凝視して一心にがきがきがきがき、理想的なくらいにすらり伸びた指を動かしている。
がきがきがきがき。
立方体のそれは黄瀬の両の掌に収まるくらいのサイズで、先ほどから忙しなくその様を変えている。それくらいに一心不乱に黄瀬はそれに集中していた。
ソファに寝そべるようにして楽な姿勢でいる笠松とは対照的に、黄瀬は背中を丸めて躰を強ばらせている。初めての代物に悪戦苦闘する姿は、何事もそつなくこなす彼にしては珍しくて、笠松は最初こそ微笑ましく、穏やかな気分で見ていた。
だが、こうも放っておかれると少しだけ、そう、ほんの少しだけ空しいような悔しいような気分になってしまう。黄瀬の手元を直視することはできなくても、黄瀬の考えと目的は知っていたので尚更だった。
がきがきがきが、ぎ。

「――っだああ、もう、何でスムーズに動いてくんないかな、コレ?」
「お前が焦りすぎなんじゃねぇの?」
「そりゃ焦るでしょ、期限は明日なんスから! ってか一番はセンパイがやって――……」
「ぜっってぇヤダ」
「って言うからオレがやってんでしょーが」
「あのな、諸々言いたいことはあるんだけどよ。――何でエロルービックキューブに熱中してるお前をオレは眺めてなきゃなんねぇんだ?」

がきん、と。
金属を噛むような派手な音がした。





事の発端は例によって例の如く、森山だった。
今日の練習終了後の部室で、妙にかしこまった顔で話しかけてきた。

「聞いてくれ、笠松」
「断る」
「聞かせてやる、笠松」
「……」

剣もほろろな態度を取るが、そんなことで諦めるような男ではないことは知っていた。
最初のやりとりの無意味さに脱力しつつ、笠松はあんだよ、と横目に隣の森山を見た。

「先ずはこれを見てくれ」

すっとロッカーから出したものを笠松の眼の高さにまで掲げ、森山は厳かに言った。

「これ、六面全部揃えられないんだ」
「……ハ」

笠松の眼が点になった。
何だ、と多少なりとも注意を向けていた所為で、衝撃的なその物体から視線を逸らす契機を逃す。結果、森山の掌の上のものをまじまじ注視してしまうことになった。

「姉貴の彼氏がさ、必死こいて六面揃えた奴をオレがふざけてがたがたにしたらマジで怒っちゃってな、直せ、と。命じられたんだがなかなかコレがどうして難しいんだよ」
「ア、ノ」

錆び付いたブリキの玩具さながらに、ぎこちなく動く唇から発せられる声音は硬い。
それも想定内だったので森山は気にせず話を進めていく。聞いていることは解っていたからだ。

「週明けまでに元に戻せねぇと、オレ制服でアキバの大人の玩具専門店に行かされる羽目になる。これは由々しき問題じゃないか笠松。名門海常バスケ部レギュラーが十八才未満立ち入り禁止だろう大人の玩具専門店に行くなんて」
「ソレ」
「しかも購入するのがこのエロルービックキューブのアラブ版だ。何だか、ボーイズラブのアラブジャンルみてぇなノリで色々種類があるらしいぞ」
「イヤ」

そう、自分の手の内にあるのは、肌の露出度が高めの美女達が艶かしいポーズを取っている写真が各面に貼られた、ルービックキューブのちょっと大人版――のはずである。
そうとしか言えないのは、未だに二面しか揃っておらず、他の部分がばらばらになっているからだった。

「ちなみにこれはコスプレ版だ。ほら、オレが必死に揃えたこの面とこの面、婦警と女教師な。いいなー、この見えそうで見えないのいいなーモロじゃないのがいいなー」
「……モロヤマ……!」
「惜しい笠松、オレはモリヤマだ」

無意味なほどの鷹揚さを保ちながら、森山は掌の上でそれを転がす。笠松が茹で蛸よろしく真っ赤になっているのを知らんぷりして、「で、だ」と話を続ける。

「笠松、お前こういうの得意だろ。直してくれ」
「ムリダ!!!!」

きんと高い声で叫んだブリキの玩具状態の笠松を、僅かながらも部室に残っていた部員達が振り返る。何だ何だと森山と笠松の元に近寄ってこようとするのを、さりげなく手にしたものを隠しながら、空いた片手でしっしと森山が追い払う。
その隙にようやく視線をルービックキューブから剥がすことに成功した笠松は、しかしながらシャツから覗く肌という肌を真っ赤にして俯いていた。恐らく羞恥心と戦っているのだろう。その邪魔をしてはいけない、これもまた使命だったのだ、と部員を追い払った森山は一人頷いた。
森山の目的はあくまで笠松一人と犬一匹だった。毎度女子生徒に捕まって戻ってくるのが遅くなるその犬も、そろそろ来るはずだ。
そんなことを思ったとき、がちゃ、とドアが開く音がした。噂をすれば何とやら、だ。

「――どしたんスか、」

海常バスケ部主将の忠実な犬こと黄瀬が、迷いのない足取りで一直線にやってきた。
仮にも三年部員のロッカーの並びに、一年坊主の黄瀬がここまで躊躇いなくやってくるというのもおかしな話だったが、今ではすっかり恒常化していて違和感を覚えなくなった。慣れとは恐ろしい。

疑問符を頭の上にぽんと浮かばせながら、俯く笠松の顔を覗き込んだ黄瀬は、その赤面具合にぱっちりとした眼を更に大きく見開いた。

「え、ちょ、笠松センパイ大丈夫スか? 具合悪かったの、風邪だったとか?」
「チ、チガ……」
「なぁ黄瀬、お前ルービックキューブとか得意か?」
「は? え、や、あんましたことないスけど、っていうか笠松センパイどうしたんスか、一体?」
「いやな、笠松の女性免疫をつけるためと受験勉強に疲れがちな頭の体操を兼ねて、これをな、やってもらおうとしたんだけどな……」

すっと再び差し出されたものにびくり肩を震わせて眼を閉じた笠松と対照的に、黄瀬は「何スか、それ」と表情を変えずに、むしろ手にとって矯めつ眇めつ眺めていた。

「何かばらばらッスけど……色じゃなくて、写真ってか絵なんスね」
「そうなんだ。これ六面揃えてくれないかって笠松に頼んだんだけどさぁ、無理だって」
「いや、これは無理でしょ。センパイにはまだコスプレエロは早いっス。最近やっと対め――いや、まぁもっと段取りを……痛っ」

真顔で話していた黄瀬の鳩尾に笠松の一撃が入る。この辺りは半年あまりの間に生成された条件反射のなせる技だった。

「――っでも、これ直さないと何かヤバいんスか。笠松センパイじゃなくても、地味に小堀先輩とかもこういうの得意そうっスよね?」

少し離れた位置でやりとりを見守っていた小堀だったが、急に話を振られて苦笑した。普段だったら早川の耳を押さえる役目を担っている小堀だったが、今日早川は法事で早退していた。

「得意ってほどでもないけどな。森山、諦めて正直に無理だってお姉さんの彼氏に言ったらどうだ?」
「えー」
「ってやっぱり彼氏さんスか……。毎度毎度まぁ、キワモノが好きな人っスねー」

何となく話の全貌を読み取った黄瀬は、軽く溜息を零す。掌の上の卑猥物をどうしようかと悩み、そのまま森山のロッカーに戻そうとしたとき、「ちょっと待て黄瀬」とストップがかけられた。

「何スか?」

手の上でころころと動かしながら、黄瀬は森山に返事をする。その合間合間にも部室からはどんどん人がいなくなっていく。
森山が再び口を開いたのは、お馴染みのレギュラー陣だけになったときだった。

「――姉貴の彼氏は服飾関係の仕事に就いている」
「……はぁ」
「そんな彼氏は以前元カノにコスプレを頼んで返り討ちに遭ったことがある」
「…………そこまで彼氏さんの裏事情知っちゃっていいんスか。ってか何で知ってるんスか」
「まぁそれはおいとけ。……で、その元カノの身長は一八〇近かったらしい」
「……はぁ」
「で、結果としてそのコスプレ衣装は使われることなく家に眠っているらしい」
「…………あの、話が見えないんスけど」

森山の話の終着点を予想することは難しい。それとこれと一体何の関係があるのか。困惑の表情を浮かべる黄瀬の肩に、ぽんと森山の手が置かれた。

「――これを元通りにしてくれたら、それら一式をお前に無償で進呈しよう。ナースに婦警にメイドにとあらかた揃ってんぞ。お前達もそろそろ次の段階に進んでもいい頃だろ」
「な、何を、そんな――……っ」

妄想電波系・残念なイケメンこと森山の言葉に激しく動揺してしまう。ここまで直接的に言われてしまうと、そういった方面では経験値の高い黄瀬とて動揺してしまう。相手が何でもないことのように口にするから余計にだった。
しかし、心と裏腹に躰は正直だった。
ルービックキューブを持っていない方の手が、気付けば森山の手を握っていた。


「――約束っスよ。六面揃えたらくれるんスね!!?」
「男に二言はない」


こうして黄瀬は、明日までに森山から託されたルービックキューブの六面を全部揃えることになった。
固く握手を交わす二人の横で、漸く動き出した笠松が何かを言おうと口を開いたが、眼前の男二人の晴れやかな笑顔を前にそっと視線を逸らした。
どうしてこうも救いようのない馬鹿ばかりなのか。笠松の嘆きを和らげるように、小堀がそっとプリッツのサラダ味を差し出してくれたことが有難かった。

「――正直、もっとちゃっちゃかできるかと思ってたんよー」
「アホか、だったらわざわざ森山だって持ってこねぇだろうが。多分あれは本当にできなかったから持ってきたんだよ。後はまぁ。お前等のよく解らない活動に端を発しているんだろうけどよ」

ぎろりと睨まれて、黄瀬は愛想笑いを浮かべる。笠松の機嫌が不機嫌を通り越して呆れのそれになっていることは救いか否か。判断しかねたが、折角笠松が泊まりに来てくれているこの状況で、自分だけが手元の立方体に全神経を注ぐのも不本意だった。
だがしかし、魅惑のコスプレ衣装は欲しい。唯でさえ大柄なのだ、揃えるにしても少々厳しいものがある。譲ってくれるというならその好意に甘えたい。それが性に貪欲な十代の心じゃないのか。黄瀬は手元に視線を戻す。
四苦八苦して三面までは完成させたのだが、残り三面が難しい。これはまた一度崩して総合的に考えなければ、六面を揃えるなど夢のまた夢だ。

「ったく、あのまま大人しく小堀の言う通りに事を進めとけばよかったのによ……」
「うっ、それはちょっと、オレも思い始めてますけど、でも!」

後から聞いたところによると、週明けまでに六面揃えておかなければ森山は大層な罰ゲームをさせられるらしい。その内容が内容だけに、何処まで冗談で何処まで本気なのか推し量るのは難しかったが、本気だった場合海常バスケ部として大問題だ。
結局のところ、このルービックキューブを完成させておけば全てが解決する。森山も万々歳、黄瀬も万々歳で言うことはなかった。――笠松一人を除いて。

「お前がそれを揃えても、オレは絶対に着ないからな。ナースだ、婦警だ? どんだけ親父趣味だよ」
「いいじゃないスか、男のロマンなんスから!」
「そんな腐った卵みたいな臭いを発するようなのはロマンとは言わねぇ。唯の変態の妄想だ」
「だったらそれでもいいスけどね!」
「開き直るな!!」

寝そべりながらの踵落としでも威力はそこそこにある。頭を押さえる黄瀬の手元には相変わらず視線を向けることはできない。笠松は口をへの字にしたまま、黄瀬に伸ばした足を滑らせて首根の近くに置いた。

「ちょ、何するんスか」

ごりごりと足の裏全体で肩を揉む。途端に黄瀬が「ちょっと、集中させて!」と抗議の声を上げるが、無視した。

「あー、もう、終わらなかったらどうするんスか!! オレはコスプレ衣装を手に入れられない、森山先輩はアキバの大人の玩具専門店に買いに走らされる、悪いことしかないじゃないスか!」
「オレはコスプレしなくて済む。こんなにいいことはねぇ。……ってかさ、お前」
「はい?」

よっと身を起こした笠松は、ソファの上で胡座を掻く。黄瀬が身を捩って笠松と視線と合わせようとすると、さっと視線を斜めに飛ばしてしまった。
心なしかその眉根にきゅっと浅い皺が刻まれていて、黄瀬は手にしたルービックキューブをローテーブルに置く。躰ごと向き直ってセンパイ、と呼びかけた。

「どうしたんスか?」
「――前の彼ジャージ?といいさ、何だ、その……お前、マンネリ、か」
「……はい?」

何故この状況でマンネリという言葉が出てくるのだろう。
そして彼ジャージとは、奥歯が多少擦り減るくらいには歯軋りした笠松が小堀のジャージを着た一件のことを指すのだろう。が、やはり何故いきなりそれを話題にしたのかが解らない。
黄瀬は素直に「解りません」という疑問符を浮かべて笠松を見つめる。変に解った振りをしてややこしくしない方がいいと、第六感が告げていた。
直視してくる黄瀬に、笠松は若干居心地悪そうに視線をずらしながら、だからさと続けた。首の裏を擦るのは、笠松が何かに言い惑うときの癖だったが、ぴたりとそれを止めて。

「そういう特殊っていうか、普通じゃない感じでその、シたいわけだろ。前のAVのときだって、変態プレイ混じってたし。……あんまり抱き甲斐のねぇ躰だなって自分でも思うからよ、そういうのが良いってんなら、まぁ、考えてやらないこともねぇ、けど!?」

言いながら段々と丸まっていく背中に回した腕に力を込めた。いきなり抱きつかれて抗議の声をあげようとした笠松の唇を塞ぐ代わりに、先に口を開いた。真正面から見つめて視線を絡めとって、躰の脇に投げ出された手に指を絡めてしっかりと繋ぐ。
少しだけ怒りが混じっている黄瀬の眼差しに、笠松は小さく息を飲んだ。

「マンネリとか先ずありえないんでその時点で突っ込み満載なんスけど。――あのね、これもう単純にセンパイの色んな顔みたいっていうそれだけの欲求だからね。マンネリって飽きちゃったとかでしょ。違うから、そういうんじゃないんスから。飽きるどころかどんどんセンパイの色んな部分知りたくて、たとえばナースの服着たらどんな顔して恥ずかしがるのかなとか着慣れてない服でエッチするとき何処から脱げばいいのかとまど」
「止まれえええええええ!! それ以上言うなぁああああ!! 真顔でそういうこと言うな気色悪ぃ恥ずかしい何かもうやめろ人間やめろ!!!!」
「最後ひど!!」

何を言い出すのかと思い、佇まいを直してみればこれだ。気が触れたとしか思えない、恥ずかしいというよりも恥を知らない言葉の数々に、笠松は腹の底から声を出して黄瀬を黙らせた。

「――ま、そんな感じでセンパイの無用な心配はさておくっスけど、」

でも、と区切った言葉と次の言葉までの僅かな空白。その一時の沈黙が、先の言葉は黄瀬なりに茶化していたのだということを笠松に教えた。
言葉以上に雄弁な、黄瀬の自分を見る眼。そこに湛えられた感情は、名付けるならば何というのだろう。
悲しいような、切ないような、痛ましいような、青に彩られた感情の向こうに透けて見える、嬉しいような、優しいような、労るような、蜜に包まれた感情に、笠松は自分の言葉の甚だしい勘違いを痛いほどに感じた。
黄瀬の誠意を疑うようなことを口にしたことを謝ろうとした、それを黄瀬が遮る。

「……オレがセンパイに飽きたとか、そういうこと口にして欲しくないし、抱き甲斐? っていうの? そういうのを好きな人相手で考えるわけないっしょ。そもそも相手を感じさせないような抱き方する方にも問題あるわけで、お互い感じてればマンネリ化はしないし抱く度に深くなるし色々できる一方でポリネシアンセックス的な入れっぱなしでもいいっていう安心感をもたら」
「ああああ、だからお前は喋ると残念な男なんだよ、いいか話すな! 何も語るな! 眼で、眼と行動で語れ!! お前はそれで十分だ、オレにはそれで通じるから! いいな、眼と行動だ、それだけでいい!!!」

再び途中からおかしな方向に転がっていった黄瀬の思考を無理矢理打ち止める。どうしてこうも口を開くと残念な言葉ばかりが出てくるのか。
いつものように殴りたくても両手を繋ぎ留められているためにかなわない。両足の間に身を割り込まれているため蹴りも繰り出せない。せめてと大声を出しても、あまり効果的ではないのは目にも明らかだった。
黄瀬はぱちくりと眼を瞬かせて、「解ってくれたっスか?」と小首を傾げて見つめてくる。まるで無垢な犬のように。
先程あれほど煩悩に塗れた台詞を恥ずかしげもなく捲くし立てていた男とは思えないほどの綺麗な瞳に、笠松は言葉を詰まらせながら頷く。

「……まぁ、あれだ、うん。お前の気持ちは解った、おう。……色々と疑って、悪かったな」

笠松は顔が後ろに向いてしまうのではないかと思うくらいに首を捻って黄瀬の視線から逃れる。捻った首の筋肉が若干痛かったがそれも無視する。後でよく解せばいい。頬が熱いのもじきに治まるはずだ。

「……本当に悪かったって思ってます?」
「思ってるよ」

そう、このまま何もなければ、熱が引き、そして黄瀬はまたエロルービックキューブに熱中しだすはずだ。

「誠意を見せて欲しいんスけど」
「お前は政治家か」
「いやいや」

なのにどうして先程より黄瀬の吐息を近くに感じるのか。
答えは明白。
ソファが二人分の重さに軋んで。

「構ってもらえないのが寂しかったくせにそれを口に出せない意地っ張りな恋人を持つエロい一高校生っス」
「……お前みたいな手慣れた高校生がいてたまるか」
「じゃ、唯のエロい男で」

にぃと笑みを深くした黄瀬に、苦いものが口の中に広がる。その一方で、腹の底がむずむずとして挙動が不審になる。解らないとは思っていなかったが、口にされてしまうと居た堪れない気分になった。
いや、元はといえば、笠松が泊まりに来ることが解っていて森山のあんな口車に乗せられたこいつが悪いのだ、と黄瀬に視線を戻してきつく睨み据える。黄瀬は思っていた通りの締まりのない笑みを顔に張り付かせていた。

「……ルービックキューブ、さっさと揃えろよ」
「んー、まぁそれは追々善処するっスよ。万が一揃えられなかったらそれはそれで」
「森山が秋葉原行く羽目になったらどうすんだ」
「そんなこと本当に高校生にさせる男なんてロクでもないっしょ、いっそお姉さんと別れさせる方向で」
「……大事にしすぎだろ」
「じゃ、センパイがやってくれます?」
「…………」

幾らばらばらになっているとはいえ、粗方完成した状態を想定して揃えていかなければならない。つまり、男の煩悩を煽るような様々な制服を着た女性を脳内に思い浮かべながら、ということだ。
地と図を反転させ、背景の色で揃えようとしたところで、服の裾から覗く太股やガーターには抗いがたかった。否が応にも視線が引っ張られる。そう、今まさに引っ張られた。
ぼんと火を噴いた顔、沈黙とともに視線を伏せた笠松の初な反応が可愛くて、顔を甘く蕩けさせながら黄瀬はちゅっと口づけをその額に落とした。

「ま、どうにかなるし、どうにかするっスよ。でも、それも後で。ね?」
「……後回しにしていいことなんて何もねぇぞ」
「そっスね。センパイのこと後回しにしたつもりなかったんスけど、結局そうなっちゃってたし。優先事項誤ったらいけないっスね、やっぱり。――あ、でもセンパイの構って振り可愛かったからそれはそれで、」

よかったかも、と続けようとした言葉はそのまま笠松の口の中に飲み込まれてしまう。
黄瀬が不意打ちのキスに眼を白黒させている間に、首根に顔を埋めて笠松は呟いた。……言っただろうが。

「お前は話すと残念なんだから、黙って行動しろって。それで大概解るっての、単純なんだからよ」

かり、と。
歯を立てられても痛みはない。もう一度、かりと噛まれ、絡めたままの指先に力が込められた。
肌の赤みが引くには早過ぎる時間で、首筋も例に漏れず真っ赤なままだ。
黄瀬は横目にそれを確かめた後、思わず浮かんだ笑みを噛み殺した。

「……おっとこまえな一言言ってくれるっスね、センパイ」
「何処がだよ。ってかそもそもこんなんも言わせるなっての」

笠松も自身の言葉が照れ隠しのそれだと気付いているようだった。もう少し強気に誘ってくれても黄瀬としては一向に構わないのだが、最初に比べれば随分と慣れたものだ。
黄瀬の舌が項を辿り、耳の窪みから裏までを溶かすように舐めるのを止めようとしないで、笠松はくっと指に力を込め皮膚をざわめかせる漣のような快に耐える。
項から背中の真ん中を下って腰に留まるその快は、しかしじわりじわりと爪先にまで滲んだ。
あ、と思った刹那、痺れに似た電流が一筋爪先から逆流するように頭の天辺にまで走り、きゅっと足の指が丸まった。

「本当、時々吃驚するくらいに直球投げてくるのは何なんスか?」

くすくす笑いを零して黄瀬は笠松の耳朶を舐る。舌で捏ね繰り回して、歯で叩いて柔くして、きつく吸い上げた後にもまた舌先で突つく。
その一連を繰り返す男を振り切るように、笠松は反対側に顔を背けた。

「……耳弄るだけでイかせられるとか、思ってんじゃねぇだろうな」
「弄るっていうか、声だけでならやってみたいなぁとかはあるっスね。テレフォンセックスっていうのがあってスね……」
「そういうことを言ってんじゃねぇっての!」

むくれた顔をする笠松を宥めるように、解ってますって、とキスをその鼻の頭に落とす。

「だってセンパイがあんまり直球で来るから、遠回りしたくなったっていうか? オレも多少は我慢できるようになったんでー」
「まぁ、本当に『多少』だよな、そんなんなってる状態でよく言うよ」

半眼で揶揄された足の間のものを自分でもちらりと見下ろす。突っ張っているのは明らかで、それを恥ずかしいと思うような殊勝な心は生憎持ち合わせていなかった。
半年前は必死に隠そうとしたり落ち着かせようとしたりしていたが、恋人同士になってこの状況下で、どうして慌てふためく必要があるのか。

「……こっちでは追々楽しませてあげるっス」
「親父臭ぇな、おい」

意識して作った呆れ顔はにやけた顔の黄瀬のキス一つで呆気なく崩される。躰をソファの背凭れに押し付けられ、圧し掛かられてしまえば、自然言葉もなくなる。
手は繋いだままで、その内離すことになるとは解っていても、どうしてだろうか。

少しでも長く指が解けないよう、ぎゅっと強く握り込んだ。






「――で、黄瀬。これはどういうことだ?」
「どーもこーも、見たまんまっス
「ほーほーほー、つまりお前はオレに制服でアキバで大人の玩具を買って来いと、ひいては海常バスケ部を廃部に追い込みたいと、そういうわけか、ん?」
「や、オレ考えたんスけど――その彼氏さんとお姉さん、別れさせましょ!」
「どこをどうしてそーなんだよ!」
「そもそもエロルービックキューブなんて実際何の役に立つんスか! 娯楽のためっスか、頭の体操っスか、頭使って疲れたところを更に抜くんスか!? だったら素直にAVでも雑誌でも見とけばいいじゃないスか!!」
「何で若干逆ギレてんだ! キレたいのはオレの方だ馬鹿黄瀬! 男同士の約束を破るなんて、お前男の風上にも置けない奴だな!」
「ぐっ……!!」

エロルービックキューブの受け渡しのために、と朝練開始よりも早い時間に森山と待ち合わせを約束していた黄瀬に付き合って登校したものの、笠松は少しだけ後悔した。
何故この二人の会話は聞いているだけでもこんなに疲れるのだろうか。その理由は解っている。会話の内容が情けないことこの上ないからだ。
しかし、森山と黄瀬のやり取りを背中に聞きつつ、笠松は内心森山に同意する。
流石に別れさせるという発想はどうだろうか。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるという言葉を、登校途中に教えてやったのは無駄だったようだ。溜息を一つ零す。背後の喧騒はさておき、着替えてしまおうとシャツを頭から被ったときだった。
森山の反論に言葉を詰まらせていた黄瀬が、だって、と声を震わせた。

「だってセンパイにあんな可愛く誘われたら頂かずにはいられないでしょ!!? 据え膳食わぬは男の恥なんスよ構ってもらえないからってちょっかい出してくるセンパイがどんだけ貴重か森山先輩は解ってないんス! ツンデレっていうかいっそ意地っ張りで天邪鬼ばりのデレ成分の少ないセンパイが!! 誘ってきてくれたんっ――!!!?」

丁度視界が遮られていたことが災いした。
黄瀬のどうしようもない暴露を背中へのドロップキックという力技で止めたが、時既に遅し。森山の生温い視線が笠松に向けられた。唯でさえ細い眼が、更に細められて最早糸のようだ。

「……へーぇ、笠松くんがそんなことしちゃうんだー……へー……そっかぁ……」
「…………森山、お前何企んでる」
「いやぁ、堅物主将の模範的優等生の笠松くんがそんな不純同性交遊してるくらいだし、別にオレアキバ行っちゃえるかなって思っただけだけどぉ?」

茶化しているのか本気なのか判別つかない調子の森山に一瞥をくれると、大丈夫だ、と言い放った。

「……もう少し、待ってろ。後少し待ってれば、全部綺麗に丸く収まるかんな」
「は?」

森山の顔に浮かぶにやりとした笑みを横目に、笠松は断言した。そう、後少しで彼がやってくるだろう。恐らく次来るのが、待ち望んでいる人物のはずだから。
すると、がやがやと廊下から聞き慣れた声が二つ。そうして。


「はよ――っす!!! 昨日はすみませんっした!」
「はよっす、今日も早いな、お前ら」


笠松の予想通り、そこにいたのは小堀と昨日は早退していた早川だった。


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