黒子のバスケ

ジャージ・ジャッジメント

仲が良いというのはいいことだと思う。たとえば犬や猫がじゃれあっている姿の何と微笑ましいことか。だがしかしそれでもこれは許容できるだろうか否。


「どーしてー、どぉおおして小堀先輩のジャージをセンパイが着てるんスかぁああああオレ貸したのにぃいいい着てたって即脱いで脱ぎたてほやほやあげたのにぃいいい可愛いけどぉおおおでもぉおお!!」


少しばかり肌寒くなってきた十月半ば、何故に恋人が他の男のジャージを着て萌え袖になっている姿を目の当たりにしなければならないのか。
草木が萌ゆるようにこの腹の辺りからむずむずと頭を出してくるもどかしい感情とは反対に、胸の辺りではぐるぐるむかむかよろしくない感情が渦巻いている。

嫉妬というのか、美味しいところを奪われた悔しさか。だけど可愛い。その可愛さを作り出すのに一役買っているぶかぶかのジャージが小堀のものであると考えさえしなければいい。
素直に萌えとか言っていればいいのだと自己暗示をかけようとするも、目の前の自分のものとは異なる色のジャージがそれを許してくれない。
胸の「小堀」の字をマーカーで塗り潰して消したい。あぁ消したい。そして「黄瀬幸男」にしてやりたい。

オレって小さい人間だなと思うも、腰からぶら下がるようにして笠松から離れられなかった。
だって人間だもの。年頃の男の子だもの。都合よく有名な詩人を乗り移らせて黄瀬は内心言い訳した。

そうやってさめざめと泣く黄瀬とは対照的に、自分より一回りは大きい小堀のジャージの余った袖を捲っていた笠松は、露わになったその拳をぐっと固めると黄瀬の頭に落とした。

「っせぇわ! 学年ごとに色違うんだ同学年から借りるの当然だろうが! っていうかお前の人肌ジャージマジ要らねぇ! 気色悪ぃにもほどがある!」
「ひどおおぉおおおおいいいいいぃい」
「うーん、いつ見ても漫才だな。おい笠松もっとやれ。関東でもどつき漫才やれるってことを見せてくれ」
「森山先輩もひどおおおぉおいぃい」
「っからうっせぇっつってんだろ!!」
「ぎゃん!」

ベンチに座る笠松の足の間に顔を埋めるように崩れ落ちた黄瀬を見やり、森山が「ヒワイな構図だな」とにやり口元を歪める。意味するところを正確に察した笠松は、顔から火を噴きながら慌てて席移動をした。

「――何か黄瀬に申し訳ない気持ちになってくるな」

悪かったな、と移動した先――隣に座っていた小堀が、食べる手を止めて困ったように笑った。
それに笠松は顔の前でぶんぶん手を振って否定を返す。

「この馬鹿が子どもなだけなんだから、小堀が気にするこたぁねぇよ」
「そうか?」
「そっすよ!! こぼっサンは何も悪くねぇどこ(ろ)か良いことしてんすか(ら)!! 黄瀬の馬鹿な我儘でこぼっサンが意に介す(る)必要なんてねっす!!」
「汚ね!! 早川お前食べてるときに喋るなよ!!」
「っスミマセン森山サン!!!」
「ぎゃあああああ!! オレの方向いて喋るな馬鹿!」

うるささの元凶だった黄瀬が黙った途端に、今度は早川の聞き取りにくいトークが後を継ぐ。
どうして昼飯を取るだけなのに一々こうも騒がしいのか。笠松は額に手を当てて溜息を吐いた。
海常高校男子バスケ部のスターティングメンバー陣は、週に一度昼食を部室でとるのが習慣になっていた。
笠松が部長となってから――というよりも、協調性の欠片もなかった小生意気な新入部員かつ大型ルーキーを少しでも教育すべく設けられたその機会は、森山いわく今ではすっかり「バカップルを生温かく見守る時間」と化していた。

「……そもそもそんなに大騒ぎすることなのかよ、ジャージ借りるくらいのことがさ」

半ば脱力しつつ呟いた言葉に、どうだろうなと小堀も苦笑するしかない。いまだに周囲半径五十センチを湿度百パーセントに保ちながら泣く黄瀬と、米粒を飛ばす早川と避ける森山を眺めつつ暫く二人は黙して昼食をとる。

今回の騒ぎ、もとい、黄瀬の嘆きの発端となった小堀のジャージを借りたのは何てことはない、笠松が長袖ジャージを洗濯のため持ち帰っていたのをすっかり忘れていたからだった。
半袖で午後一番にある体育を乗り切るには思った以上に寒く、ならばと違うクラスの小堀に借りた。それだけの話だった。それがどうしてここまで騒がれなければならないのか。

「わっかんねぇなー」

一足早く弁当箱を空にした笠松は、食べながら喋り、喋りながら食べる早川と、早川の米粒飛ばしからパンを死守する森山と、頽れながらも漸く昼食のパンを齧り始めた黄瀬を順々に見てから小堀を見上げた。

「そんなに大仰なことか、これ?」

両手をだらりと眼の高さにまで掲げる。長さも太さも、腕の部分の余りが酷い。だが同じくらい肩や腰周りの余りっぷりも酷かった。立つと腿の半分ほどが裾で隠れてしまう。

「まぁ、黄瀬はあの身長だし、周りと服の貸し借りとかしなさそうだからなぁ。色々と捉え方が違うのかもな」
「それはあるかも」

親しくする人間を選り分けているようなところのある黄瀬だ、友人との距離感覚や付き合いの感覚が自分と違うことは考えられる。
笠松は小堀の言に納得しかけたが、それを遮る声があった。

「お前ら甘いぞ。黄瀬だぞ、黄瀬。同性は解らないけど、女の子に自分の服を着せるという男のロマンの一つや二つとっくに経験済みに決まってるだろう!?」

昼食の死守を続けてきた森山は、小堀の後ろなら安全だと判断したらしい。にょきりと小堀の肩越しに会話に割り込んできた。

「ちょ、いきなり何を森山先輩!!」

まさかの森山発言に黄瀬が慌てて寄ってくる。
妄想力豊かで思い込みの激しい森山に過去を捏造されてはならないと、涙の残滓を振り切って笠松の元に馳せ参じて全力で否定する。

「オ、レは、別に、そんな彼Tプレイとかそういうのはしたことないっスから!!」
「本当のとこは?」
「そりゃある……って何でそこでセンパイ真顔で聞いてくるの!?」
「好奇心だな」
「嫉妬ゼロ!!?」

けろりとした顔で聞いてきたかと思えば、今はにやにやと黄瀬の反応を楽しんでいる。これならいっそ焼きもちで鳩尾に一発入れられていた方が余程マシだった。
滂沱の涙を流す黄瀬に、笠松は「本当面倒な男だよな、お前って」と言ってのけた。ちうと紙パックの茶を一口啜る。

「別に、森山だって言ってんじゃん。男のロマンって奴なんだろ。お前基本変態なんだから今更どうも思わねぇよ」
「そういう要らぬ理解をまた……」

がっくり肩を落として黄瀬は床に座り込んだ。そこまで解っているなら、今黄瀬が笠松を前に思っていることだって解ってもいいはずなのに。
センパイ鈍すぎるっスよ、いっそ恨めしく思ってそう口を開きかけた。

「センパイ――……」
「あれ、でも幸、今のってそのままお前にもあてはまらないか?」

黄瀬の恨み節を出だしから折ったのは小堀だった。

「何だよ。オレ別に変態じゃねぇよ」
「や、そうじゃなくて……。……その、だな」

によりと笑う肩越しの森山の表情とは正反対、小堀が眉尻を下げて言い澱む姿に、黄瀬はもしかして、と思った。
もしかして、小堀は解ってしまったのではないだろうか。彼のジャージを着ている笠松に、黄瀬がしつこく縋った理由を。

それはそれで非常に恥ずかしい事態で、黄瀬は居た堪れなくなって俯いた。耳が熱い。
小堀に言われるより前に自分で言ってしまった方が得策かとも思ったが、もう恥ずかしさが上回ってしまっている。口を開いたら何を言い出すか自分でも解らなかった。

「言いかけたんなら言えよ、おい、小堀」

黄瀬と小堀の微妙な空気に気付かぬままに、笠松はぐいぐいと小堀の脇腹を肘で突付いて催促した。
小堀は視線を宙に彷徨わせること暫し、……あのな、怒るなよ幸。ゆっくりと、まるで言い聞かすように口にした。

「多分黄瀬、その、……幸相手にも、その、そういうことしたいとか思ってたんじゃないのかと」
「……は」

そういうこと、とは何ぞや。と、情報処理速度以前に、知識が追い付かない笠松のために、小堀は更に言い募る。

「いや、だから、今回だったらオレのじゃなくて、黄瀬の」

「ジャージを着た笠松にアンナことやソンナことや盛り沢山なことをしたかったと、そういうわけだな。見えそうで見えない位置を無理矢理見ちゃうんだな。いやぁ変態変態。十六歳にして変態だなんてお前この先どうするんだ黄瀬。笠松道連れにするなんていい度胸だなイケメンモデル変態」

「あああああああ森山先輩オレ先輩に何かしましたかねぇ何かしましたか!? こんな惨い辱めを受けなきゃなんないくらいの何かをしたんスかねぇ!!?」
「お前の存在自体がオレの女の子との出会いを打ち消しているんだ。絶えろ……間違えた、耐えろ」
「ねぇ今同じ言葉だったんスけど、何スか同音異義語ってやつっスか?!」

黄瀬の涙に霞んだ視界には、最早小堀の背後にいる存在は悪魔に見えていた。
あんな風に言われるのならまだ小堀の口から言ってもらった方が何倍もマシだった。
居た堪れない空気が何だ、この今消え失せてしまいたい空気とは比べるべくもない。しかも捏造でも何でもなく、図星だったのだから言い返せもしない。

角も翼もなくたって、悪魔はいるのだ。そう、ここに。はぐがぐと何かを貪る音もする。これは早川が弁当を掻きこんでいる音だった。

おうおうと嘆きの泉に入水寸前の黄瀬だったが、せめて最期に愛しい人の顔をと顔を上げた。
予想していた通り、その顔は茹蛸よろしく真っ赤になっていた。その口が開いたのを見て、堰を切ったように話し出す。

「すみません本当にすみません不埒な輩ですみません恥の多い人生を送っていますスミマセン男のロマンって言うかセンパイがオレの服着てくれるなんて滅多にないからちょっと焼きもち的なものを焼いて炭化させちゃいましたスミマセン!!!」

相手が言葉を差し挟む余地すら与えない。ここは兎にも角にも謝るしかない。
そしてあわよくばこのまま勢いでこの場を乗り切りたい。やれる、オレならやれる。今こそ自己暗示の出番だ。

捲くし立てる黄瀬を前に、笠松はと言えば視線の置き所に困ったのか部室の天井の隅を穴が開くほど見つめていた。

「や、別に、それはいーんだけど、お前、……オレだぞ?」
「笠松センパイだから余計になんスよ!!! ってだからスミマセン変態スミマセン……っ」
「や、だからそれは別に……」

互いの顔を見ることもできずに、会話も噛み合わず、平行線を辿る二人の会話を最初こそ愉快気に見ていた森山だったが、次第に飽いてくる。食後のデザートも終えてしまい、同じく手持ち無沙汰で二人の様子を眺めていた小堀に話しかけた。

「何だこの永久リサイクルは。昼休み終わっちまうぞ」
「うーん、確かに。黄瀬に至ってはまだ昼飯終わってもいないしなぁ」

早川がご馳走様でした!!と元気良く弁当箱を閉じたところで、小堀はどうしようかなぁと思考を巡らせた。そろそろ昼休みが終わる。

そもそも黄瀬が拘っているところは、笠松が着ている自分のジャージだ。これは同学年ではない黄瀬にはどうしようもない。
その部分で引いてくれればいいのだが、それが拗れた結果のこの状況。さて、どうしようか。

悩む小堀を横目に、しかし森山は彼に何とかして欲しいと思って話を振ったわけではなかった。小堀なら何とかするんだろうなとは思っていたが。
この状況を把握していない早川と二人、ベンチに大人しく座って待機だ。

……あのさ、黄瀬、幸。昼休み残り時間五分になったとき、壊れてノンストップ状態に陥ったメリーゴーランドにライドオンしている黄瀬と笠松に向かって、小堀が口を開いた。

「この際、幸が中に着てる体操服を黄瀬のにすればいいんじゃないか? それで黄瀬の拘り部分は解消されるわけだろ?」

「………………はい?」

図らずも小堀と早川を除く三人の声が重なった。海常バスケ部が誇る常識人・小堀は一体いつからしれっと爆弾発言をするようなサプライズ精神を覚えたのだろう。
メリーゴーランドは強制的に停止させられ、黄瀬と笠松は揃ってベンチにのほほんと座る小堀を凝視する。

「あのぉ、小堀先輩? 解ってます、よね? オレがさっき言ったことの中身、解ってたんスよ、ね?」

恐る恐る黄瀬は尋ねる。
気分は牧師さんに性的な質問をする成人男子の気分だ。子どもだったらまだノリでいけたはずなのに。

「え? あぁ……だから、黄瀬が自分の服を幸に着せて……って、いうんだろ」

言葉尻を多少濁しながらも答える小堀に、黄瀬はぶんぶんと大きく頭を振る。

「そうスよ、それで……あぁ何でオレの方が恥ずかしいンスかねこれセンパイ!!?」
「小堀が多分お前の真の変態的部分までを実感として理解してねぇからだろ……あぁクソ! オレまで恥ずかしいじゃねぇか馬鹿黄瀬! 小堀を汚すな!!」

平行線を辿ることはなくなったが、この状態もけして望ましいものではなかった。
何故に良心故に発せられた一言にここまで気恥ずかしい思いをしなければならないのか。笠松が口走った最後の一言に、黄瀬が眦を吊り上げた。

「っそうやってセンパイが小堀先輩別枠っぽく扱うのがまたいけないんスよ! これが森山先輩のジャージとか早川先輩のジャージとかならまだいいのに! 何で小堀先輩なんスかいっつも!!」
「森山同じクラスだし早川のは学年違う上に何か汗臭そうだからに決まってんだろ!」
「オレのは!? 汗の臭いもこれみよがしの柑橘系の匂いもしないのに!!」
「ってかオ(レ)のジャージそんな臭わないっス主将! 今年まだ一回もジャージ着てないっスか(ら)!!」
「割り込み禁止早川先輩! 収集つかなくなるでしょ!!」
「ッむっかぁ――っ!! 生意気言ってんじゃねぇぞ年下の癖に!!」

「――うわぁ、泥沼……」

笠松と黄瀬の諍いに早川まで乱入して、事態はますます手に負えなくなっていく。森山は渇いた笑いを口元に貼り付けた。
隣の小堀は、事態の沈静化を図った己の一言が予想外の火種になってしまっていることに困惑を隠せていなかった。

「オ、レ、何かまずいこと言ったか森山……?」

眉を八の字にして助け舟を求めてきた小堀に、森山とて舟どころかエンジンとオールも貸してやりたいくらいだったが、しかしどうすればいいのか。皆目見当が付かない。

「……ま、昼休み終わったら気付くだろ、嫌でも。オレらは先帰ってようぜ」
「え、でもこのままだと三人とも遅刻……」
「とはいえ止まらないだろ、これ。その上オレらまで遅刻しちゃ、バスケ部何やってんだって源太にクレーム行くわ」

気にするな小堀、笠松という威光は結構使える。そう言い継いだ森山の言葉は、小堀にも大いに頷けるものではあった。教師陣からの信頼も厚い主将の名前を出せば、一回程度なら誤魔化されるはずだ。森山がそう考えるのも納得いった。

「ほら、行こうぜ」

鞄を持って立ち上がり、さくさくと部室の出入り口に向かう森山と、完全に周囲の見えていない三人組を交互に見比べてから、それでも良心に抗えなかった小堀は一言、口にした。

「――幸」

恥ずかしいのは解るけど、素直さも大事だぞ?

それじゃあオレは先に失礼するから、と森山に続いて出た小堀には、ばたんと扉が閉じた後、一瞬の沈黙を経て部室内で吹き荒れた嵐のこと――そしてほぼ無関係なのに巻き添えを食らった早川の悲劇――は知る由もなかった。

後に黄瀬は、自分のことを天然人災略して天災だとぼやいていたと小堀が耳にするのは三日後のことだった。





(悪気がない分どうしようもない!)


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