議論と承認
自称淫魔・外見体育会系熱血漢(童顔)のカサマツさんに、いきなり同居生活二ヶ月目にしてオレは意を決して言った。
「セックスの『練習』しません?」
オレの意を決した一言を咀嚼するみたいにぱちぱち大きな眼を瞬かせた後、カサマツさんは口を開いた。
「練習ってあれか、オーナーが事前講習と称して二人きりになって新人の風俗嬢食うのとか、遣り手婆が張り型で遊女を仕込むのとか、中で出さないとか生でしないとか、そういう感じか? あ、薬物はごめんだからな、幾らオレが悪魔ってんでもよ」
そう、この人、じゃなくて、悪魔さんは、淫魔というやつで。
Hなこと大好きで人がセックスしている最中を「牛の種付け」呼ばわりして観察してくれちゃうくらいで。
侮っていた。
……流石、流石淫魔です、カサマツさん。
後半よく解らなかったけどオレだって言われてることのおおよその見当くらいつくんです。
それがもう何て言うかそんな真顔ですらすら般若心経唱えるがごとく言えちゃうようなことじゃないってことくらい、解るんです。
後オレ薬物使ってのセックスなんてしたことないです。
どんだけセックス探求しちゃってるんですかね、カサマツさんの中のオレは。
……カサマツさんの中、のオレ?
――一気に想像、して。
さっきの女の子の最中の姿をそのまんまカサマツさんで想像しちゃって。
脚開いて腰揺らめかして、締め付けてきて。
あ、あ、やばい。やばい。
「……あ?黄瀬どうしたよ?おい?」
カサマツさんが怪訝な顔でずずっと近寄ってくる。あ、駄目。今近付いてこられたら凄く駄目。無理。股間をクッションで完全に防御。
だってカサマツさんの方がちっちゃいから、オレ、見上げられる恰好になるし。
半ば懐に潜り込まれて上目遣いって……それなんてサチコ。
「――いやいやいやいや何でも何でもないスよあー取り敢えず場所移動しましょっか、ね? ね? そう、テーブルで向かい合って話しましょうか!」
先ずカサマツさんと距離を置くことを正当化してくれるものを欲する。
テーブルはいい、向かい合う分距離がある。こんな密着されることはない。
「意味解んねぇけど……まぁ、別にいいぞ」
カサマツさんが小首を傾げながらも立ち上がろうとして、止まる。オレはまだちょっと無理なんだけど。
「……」
カサマツさんの視線が向かっているのが何故だろう、オレの盛り上がっている部分のような気がする。
隠してるのにばれたのか。カサマツさんがイく姿とかその中でイっちゃうこと考えて滾ったのがばれたのか。
「……黄瀬、お前さぁ」
「な、何スか!?」
挙動不審もいいところな、しどろもどろの対応自体は不審には思われてないようだった。
が、カサマツさんはオレの股間辺りからじぃとオレの躰を這うように視線を上向かせて、言った。
「一回だけじゃ足りてないのに何でさっさとさっきの女帰したんだ? お前、今凄く昂ってるのにさ。何、思い出し勃起? そんなにさっきの女悦かったのか?」
「何その思い出し笑いみたいなの!? 違うっスよ、天地神明に誓ってそういうんじゃないっス!!」
思い出す、というか妄想して勃つことはある。あるっていうか今まさにそうだし。
でもそんな言われ方をするともの凄く間抜けな感じは否めない。
思い出し勃起……いやいや、ないない。
「や、悪魔のオレの前で天地だの神だのに誓われても困るんだけどよ。……ふーん、ま、そっか。睡眠中も人間って勃起するもんな、男女関係なく。周期的に何かしらの契機で勃起することもあんのかもな」
「…………」
目覚めてるときに周期的に勃起してたらそれってもう変態なんじゃないかと思うわけなんスけど。
カサマツさんは何かしら納得したような顔。まぁ今のオレの状態に深く突っ込まれるのは避けたいので沈黙を守る。
あれか、カサマツさんは誰が誰に発情しているのかとかは解らないのかな。
食ってきた女の数とか初体験の時期は解るとか言ってたけど。でも誰と誰が寝たことあるくらいは解りそうだな。
……オレのそういうのも、全部解られてるのかな。だとしたら、何かこう……微妙な気分だ。
寝たことのある相手が近くにいたら、何かピンクの糸で股間が繋がっているとかそんなアザゼルさん能力あったらどうしよう。
うわ、想像だけで微妙すぎる。あ、ちょっと萎えた。けどまだ、立ち上がるのは無理。
「……何だったらそれ、抜いてからの方がいいんじゃないか? オレそんくらい待ってるし」
抜くのを待たれるってどういうプレイっスか。
というか、カサマツさんで勃ってんのに何でカサマツさんに抜いてこいって言われなきゃいけないの、オレ。
あー、でも、うん。
「…………ご好意に甘えさせてもらいます……」
前屈みで立ち上がりつつ、オレはトイレへ向かおうとして。
「何だ、別にここで抜いてもいいのに」
「………………」
カサマツさんの無邪気な一言は完全に黙殺して、トイレの扉を開けた。
抜くものを抜いたはいいものの、何となく気怠さを背中に張り付かせたままオレはテーブルに向かう。
元々二人用のものだったから椅子も揃いの二脚。
単純に一人用のテーブルで気に入るものがなかっただけなんだけど、今となっては丁度良い。
「大丈夫か、黄瀬?」
常備してあるコーヒーを啜りながら、カサマツさんは椅子に座るオレを見つめる。
オレの分も用意してくれてて、有難う御座いますと言って一口。
それから、あの、と深呼吸の後に一言を、
「で、黄瀬。さっきの話だけどさ、要はオレが女役になってお前の動きを文字通り躰で覚えるって話でいいのか? でもオレ流石に女の躰にはなれねぇし、男同士が尻の穴使ってやるような感じにしかなんねぇんだけど、それで練習になるのか?」
――遮られた。
「……うん、ま、そっスけど、その前に、色々と確認したいことがあるんでいーっスか……?」
「ん?何だよ?」
ここまでくると脱力するしかない。
そうだ、カサマツさんにとってセックスは食事だ。セックスの練習は食事の作法を学ぶことと同義だ。これはオレもいい加減頭に叩きこんどかなきゃなんない。
カサマツさんにとってセックスは食事。はい心の中で復唱。セックスは食事。また深呼吸と一口。
カサマツさんはオレの次の言葉を待ってくれている。
なのでぐるぐる考えて、今聞かなければならないことをピックアップする。
「……カサマツさんて、今の言葉を考えても一応人間の、男の躰なんスよね」
「まぁな」
「ってことは、その、中のつくりだったり、下半身的なものも男だってことでいいスか?」
「まぁな。ってか大体哺乳類の雄の下半身の作りなんて同じだろ。精巣あって男性器があって」
「……悪魔って哺乳類なんスか」
「悪魔ってのは言葉の外に位置する概念の生き物だよ。唯淫魔の雄は人間の女の腹に精液流し込んで孕ませて子ども産ませるからな、その点では哺乳類だ」
「…………」
前半の小難しそうな話は兎も角、自称淫魔・外見体育会系熱血漢(童顔)なカサマツさんの口から発せられるにしては非常に刺激的な内容だ。
何でそんな生物の教科書を朗読するみたいにすらすらとまぁ。
絶句するオレに、あ、でも、とカサマツさんは言い継いだ。
「オレ今完全に人間の躰に同化してるから、逆に排便なんかはねぇんだ。無理矢理言葉の内側に入ってるから、口にするもんは皆、この躰の構成と維持に使われるっていうのかな。だから所謂スカ――……」
「スト――――っップ!!」
オレは今日一番の大声を張り上げた。
咽喉が裂けそうなくらいの声を、張り上げた。
「その先ストップっスよ、放送禁止用語っスよ!!! そしてオレはそんな趣味ないし練習とはいえそんな異常性愛的なプレイまで網羅する気はないっスから!! あくまで! スタンダードなセックスの練習を!! しましょう!!?」
思わず椅子を蹴るようにして仁王立ちになってしまったオレを、カサマツさんが吃驚した顔で見上げてくる。
真ん丸な眼にはっとして再度の深呼吸、また椅子に座り直す。
何故だ、何故この幼い顔で無垢な表情で真摯な眼差しで、いきなりウンコ食うプレイは無理だとか言おうとしてんだ、この人。
自称処女の女の子がいきなり咥えてくるよりハードル高い。
意味解ってないならまだしも、意味を解って口にされている分どうしようもない。――そうだ、ここで魔法の言葉。
セックスは食事。食事。セックスは食事でウン――……うわ、気持ち悪くなりそう。
俯いて気を落ち着かせる。
「黄瀬? ――あぁ、そうだよな。こういうのも特殊嗜好だってオレ知ってはいたんだけど――ごめん、お前はそういうんじゃないもんな、本当ごめん、大丈夫か?」
がたんと椅子を立って、オレの側にカサマツさんが寄ってくる。
背中を擦る手は少しだけひんやりしている。
「っあー、はい、大丈夫っス……。で、本当オレはスタンダードなものを、考えてるんスけど……」
いけない、スタンダードを見失いそうだ。
思い出せオレ、そう、さっきしていた行為を思い出せ。あれがスタンダードじゃないか。
と思って、カサマツさんの視線を意識して勃起しちゃったこととか思い出しちゃって、あれこれスタンダード? 違う気がする。駄目だ、まとまらない。
黄瀬、と気遣わし気な声。あー、心配かけちゃってる。
駄目だ、このままだと折角一念発起して提案したのに、無理すんなとか言われて流れてしまう。それはイヤだ。
がばり、上体を起こすとカサマツさんが吃驚していた。今日はオレ、笠松さんを吃驚ばっかさせてんな。
「黄瀬――……」
「っあの、カサマツさん、は、男同士ですること自体には抵抗ないんスか!?」
「え? あぁ、別に。人間だって和洋中フレンチ・インドにペルー料理その他、色々好きだろ」
それとは違う気もするけど、もう気にしてなんかいられない。
カサマツさんの両手首をがっちりホールド。さっきとは逆に、オレが見上げて。
「それじゃ、尻にチンコ突っ込まれてもいいんスか!!?」
「……お前、ちょっとヤケクソになってないか? 言葉遣いが粗野になってんぞ? 別に無理して練習相手になってくれなくても――」
「いいんスか!」
「い、いーけど」
もうゴリ押し一本だ。形振り構ってる余裕はない。約束だ、先ず約束取り付けないと。
考え出すと変な方向に行くから、先ず道標立てとかないと。カサマツさんとのセックスへの。
「じゃ、そういう方向で練習するってことでいいっスね!!」
「……何でオレが練習渋ってるみたいになってんだ……?」
「いいんスね!!?」
「――――っだから、オレは最初っからいいって前提で話してんだろうがボケェエエエっっ!!」
あ、頭をおおきく振りかぶって――
「ぅぎゃっ!?」
額に衝撃、かち割り額。
ゴン、て音の後、一瞬思考も視界もふっとんだ。
あ、真っ白な世界。なのに眼が回ってるって解るのは何でだろう。
握力もふっと抜けてしまって、その隙にカサマツさんが寝室のドアの方に逃げてしまうのを、薄ぼんやりとした視界の影として見ていた。
そのまま寝室に逃げ込まれる、と思ったけど。
ドアを開ける音はしても閉める音がしない。その代わり、……黄瀬、って、小さな声。……いいか。
「オレはむしろ、お前が練習の相手になるって言ってくれて、凄く、嬉しいとすら思ってんだからな……!」
言い逃げみたいに一言残して、ばたん、ドアは閉められて。空間は分断されて。
カサマツさんはドアの向こう側、オレはドアのこちら側。
当然相手の顔なんて見えなくて、でも。
どうしてか、オレにはカサマツさんの真っ赤になった顔が見えたような気がした。