黒子のバスケ

同居と順応

自称淫魔・外見体育会系熱血漢(童顔)のカサマツさん。
いきなり同居生活二週間目、部活も一日休みの日のこと。
向かい合わせで朝食を取っていた最中、何の前触れもなく言った。
オレは味噌汁の入った椀を口元に運んで。
カサマツさんは箸を沢庵の乗っている小皿に伸ばして。
一言。

「お前、ちっともセックスも自慰もしないのな。何だ、枯れたか?」

綺麗な歯がぽり、と沢庵を齧る音。
噛まずにごくんと味噌汁を飲み込んだ、オレ。咽なかっただけ儲けもん。
……アナタがオレの部屋に来て、女の子連れ込めなくなったっていうだけの話なんですけど。後自慰は元々そんなしていないし。

だけど、重ね重ね言おう。今、朝。爽やかな朝。耳をすませば、ほらチュンチュンチュンチュン小鳥の鳴き声。
――何でいきなり、自分の下半身の話題を提供しなきゃなんないんスか、オレは。





「大体スねー、オレそんなに女の子と遊んでないんで。カサマツさんのご期待に添えず申し訳ないんスけど」

胃の中に噛まなかった豆腐を浮かべて消化不良のまま、オレも沢庵に箸をつける。
ぽりぽり、この間安く売っていたからとカサマツさんが買ってきたもの。
本当は自分で漬けたいんだけどなぁと若干不満そうだったが、一人暮らししているオレの家に糠床なんてない。
一体どうするつもりなのか気になったけど、口にしたらいつの間にか糠床できていそうでそのまま放置中。
というか、この朝食もカサマツさん作。お陰で三食キッチリ食べさせてもらっています。
昼なんかは学食行くから本当は弁当要らないんだけど、同居生活二日目の朝――振り返ればそうだけど、実際にはいきなり押しかけられた翌々日の朝――、テーブルの上に朝食と弁当箱が載っているのを見て何か嬉しかった。

『朝食の残りに、まぁ後適当に作った。食えないのあったら言え、考慮する』

あんまり好き嫌いないオレは、だからそのまま頂いている。実際美味いから問題ないし。
……とまぁ、素直に自称悪魔と同居生活営んでる自分の順応力が怖かったりもする。
だっていきなり和食と弁当用意されていたら怖い。何か仕込まれていそうで怖い。

でもそのときのオレは、あっさりその朝食を取り、弁当を手に取った。
初対面での、そういうことするような人じゃないなって直感に引き続き、意外と義理堅く前日オレが家を出た後から帰ってくるまで、家の中になんかさっくり入れるだろうに外で待っていたことなんかもあって。
オレの家に押しかけてきた晩ですら、普通に玄関のチャイム鳴らしていた。
いやそこは悪魔らしくいきなり部屋の中に現れてくれても良かったんだけど、と思う。

――今のところ、メリットの方が多いから気にならなかった。そう、女の子関係以外。

「え、でもお前三百人切りだろ? や、正確には百人まで後……一人か、うん。まぁお前ならこの調子で行けば三百人の大台行ける。頑張れよ、黄瀬」
「全然嬉しくないス!! ってか何でそんなん知ってんスか怖いよ!!」
「淫魔舐めんなよ。大体解るわ食ってきた性の数なんざ。お前オンナのにおい半端ねぇし。何だったらお前の初体験の年齢まで解るぞ?」
「やめて、そういう辱めやめて!!」

思わず箸を放り投げて両耳塞ぐ。何でオレはこんな性的な嫌がらせを真顔で受けなきゃならないのか。
向かいの青年――というか、健やかな少年の顔をして、自分がどんだけ恥ずかしいことを言っているのかちっとも理解していない人を涙目で睨む。
この人にとって、下ネタやセックスの話なんて、天気の話と同等なのだ。大体解るわ、今日の天気なんざ。そういうレベル。だって淫魔だし。

「カサマツさん、ってか、もう少し時と場所を考えてそういうこと言って下さいっス! 朝飯食ってるときに、そんな下ネタなんて非常識っスよ!! マナーなってないス!」
「……!」

カサマツさんはぐっと眼を見開いて、唇をきゅっと真一文字に引き結んだ。持っていた箸を置いて、俯いてしまう。
この人――悪魔さんは、常識とかマナーとかに非常にうるさく、やかましいのだけど、どうもずれたところがある。それを自分でも解っているらしい。
だからオレが「常識」の言葉にかこつけて強気に出ると、こうやって直ぐ黙って反省モードになる。反省する悪魔ってどんだけ殊勝なんだ。

「……悪かった、黄瀬。その、どうもまだ感覚が解ら……や、言い訳だ、すまねぇ」

言い訳することすら恥じるって、いやいやアナタ、どんだけ日本男児なの。淫魔って外国産じゃないの、よく知らないけど。日本の妖怪に、そんな性的に誑かすなんてのいるのか。
そんなことを頭の隅っこで考えつつ、一つずつ学んでけばいいんじゃないスか、とオレは鷹揚に返した。

この二週間、カサマツさんが手も口も早いことを身を持って知ったオレだったけど、こういう素直な態度を見てしまうと擽ったくて仕方ない。まだまだ子どもだなーなんて思ってしまう。
実際はオレと桁違いで生きてるんだろうけど。にこり笑ってちょっとした余裕の態度すら見せてしまう。

「――まぁ、今はバスケってのがあるから。本当、あんまり女の子には興味ないん――……」
「それは困る!!」

被せてきたカサマツさんの勢いに気圧される。
がん、とテーブルに手を突いて、身を乗り出してきたカサマツさんは、心底焦っているような顔をしていた。

「だってお前がセックスしてくんねぇと、オレ勉強できねぇんだよ! こういうの、慣れた男がしてるの見るのが一番だってモリヤマ言ってたから!」
「……」

その謎のモリヤマが気になる。カサマツさんに「三百人切りの男」とオレのことを吹き込んだのもそいつだったらしい。とんだ迷惑だ。

本当オレなんかじゃなくて、加藤鷹の撮影現場アシスタントにでもなって潜り込んだ方が余程勉強になる。
桁が違う。夜の帝王なんだから。本物を見た方がいいんだ、絶対。

でもそれを何か口に出せない。
口に出そうと思った一日目、玄関先で待っていた笠松さんに絆されかかって、二日目の朝、弁当で落ちた。
――あれ、オレどんだけ餌付けされてんだ? これカサマツさんの策か?

「――や、いやいや。そもそも、そもそもっスよ。オレがしているところ見るって、オレそういう趣味ないスよ? たとえ女の子が見られてることに興奮する子でも、オレは興奮しないっス。何で部屋に第三者いた状態でセックスするんスか。視姦プレイっスか? カサマツさんそれで興奮するんスか?」

最初からいようが後から入ってこようが、どっちにしろ第三者がいる中でのセックスなんて経験ないし、とうっかり間抜けな自分を認識してしまう前に逃げる。
けれど、そんなオレの逃げ道をカサマツさんはあっさりと断った。

「安心しろ、オレちゃんと見えない形で見てるから。それに興奮? か? オレ別にしないし。お前らだって、たとえば牛の種付けだったり、魚の体外射精だったり、猿の交尾見たって興奮しないだろ? 同じだよ、同じ。観察したいだけだからな」
「…………!」

まさかセックスを牛の種付けとか猿の交尾とかと同列にされるとは思っていなかった。
いや、同じだけどね、後者は完全に同じだけどね――って納得しちゃいけないオレ!

「いやいや、そんなカサマツさん、自分と同じ姿というか、同じ器官を有して同じ作りの動物がセックスしてたら興奮するでしょ?」

いやむしろして下さい。そうしないとオレの自信がなくなりそうです、マジで。
いやいや、まだオレしてるところ見られてないから大丈夫、自信失うのにはまだ早い。
――ん、これだとオレ見られたいってことになる? いやいや違う、違うんだ。けれど、その、男として、だ。

「しねぇよ。だって、セックスってオレに取ったら食事だし。お前、食事に興奮するか? 味噌汁掻き回す箸に官能感じるか? 飲み干すときに興奮するか? 沢庵摘んだ箸先に色気感じるか?」
「何でそこでそんなに客観的立場を取れちゃうのか解らないんスけど! それとごめん本当これ朝食時にする話題じゃなかった! 広げたオレが悪かったんで後で! 後で話し合おう!」

無理矢理打ち止める。眼を瞑って手を顔の前で必死に左右に振る。
駄目だ、これ以上会話を続けたらオレの何かが耐えられない。
オレを真っ黒な眼で真っ直ぐ見つめながら話してくるカサマツさんに耐えられない。

「……黄瀬、お前顔赤いぞ」
「あー暑いっスねぇ今日は! だからっスよ!!」
「……そうか? オレまだ人の躰慣れてねぇからよく解んねぇわ」

実際暑いどころか快適爽やか薫風の朝なわけですけど。
兎にも角にもカサマツさんにこれ以上この場で性的な話題を口にされたら、オレ般若心経覚えて精神統一に励まなきゃならなくなる。消えてくれ煩悩。
……と。ひたり。額にひんやりしたもの。

「あ、本当に熱いな。風邪じゃねぇんだよな?」

前髪を除けて、掌で額の熱測って、るのは。

「――――っ!!」

椅子ごと後退って顔面を隠す。何これ何これ、何してくれちゃってんのこの人っていうか悪魔っていうかもう、何なんスか。
まるで子どもみたいに扱われて恥ずかしいのか何なのか自分でもよく解らなくなってくる。言葉が縺れて何にも言えなくなる。

「黄瀬?」

――あぁもう、この同居生活、間違ってたかもしれない。


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