gibber-gabber
01
「あーあーあー、あのときのユキちゃんは可愛かったのになぁー、ねぇ普段着を女装にしないスかぁああっ!?」
「ざけたコト言ってんじゃねぇぞ!! 何でオレが女装なんてしなきゃなんねぇんだよ!」
幸男が吠える様には可憐さの欠片もない。凛々しい眉がきっと吊り上がり、その性を如実に表した声の低さに、黄瀬はだらりと両腕を垂らす。
両足を交互にばたつかせて子どものように全身で退屈を表現する。
やる気が、出ない。
恰好良い掃除人には美女の相棒がいてしかるべきだ。先ず画になる。見栄えがいいというのは大切だ。黄瀬にとって。
その点、幸男もけして悪くはない。悪くないのだが、何分黄瀬と同じ、男だった。
だからこその、女装のお勧めなのに。
溜息を隠すことなく零す。
幸男の後姿の稜線、特に足から腰に掛けては黄瀬も太鼓判を押しているのだ。何度女装を勧めても、どうしても幸男はうんと言わない。
せめて下半身だけでいいから、スリットが深く入ったチャイナ服を着てくれと頼んでみたときには、黄瀬は簀巻きにされて夜中ずっと外に吊るされていた。
しかし、それで諦める黄瀬ではない。それで諦めるような黄瀬ならば、黄瀬ではない。
「ねぇねぇ、オレの眼と精神の保養のために、是非女装を――……」
「絶対せん!!」
だん、と眼の前に置かれた紙束に、黄瀬はマリアナ海溝より深い溜息を全身の筋肉を絞りきって吐き出した。幸男が口を開く前に、げんなりしつつも一応確認する。
「まーたチラシ撒きっスかぁ?」
「あぁ、何だその嫌そうな顔は!? だったらお前今直ぐ男優にでもなるか? 一肌脱いで一発金稼いできてくれんのか!!?」
「ちょ、身も蓋もないこと言わないでよユキちゃん……!」
まさかの男優転向すら口にされ、黄瀬は困りきった顔でチラシの山にごそり顎を乗せる。
そろり目玉を下に動かすと、パソコンで作成されたチラシはカラーで、隅には見慣れた幸男の手書きの文字で「何でもやります!」と書かれている。実際何でもやるのは黄瀬なのだが。
「何でもっスかぁ……」
「何でもだ! 最近お前が美人じゃない美人じゃないってオレの知らないトコで依頼断ってたの知ってんだからな! 背に腹は代えられないと知れ!! さもなくばオレら今月二人で一ヶ月全部込みで一万円生活だかんな!!」
「えぇえええ!!?」
幾ら家賃代はなしとはいえ、電気水道光熱費諸々込みで一万生活は、成人男性二人には余りの酷だ。
しかもここは東京・新宿。
コンクリートジャングルには道草に食べられるようなものはないというのに。
「考え直そうよぉー。大丈夫だよー。貯金切り崩せばいけるよー。せめて一ヶ月二万円ぐらいにー」
「二万円生活送ることを前提にするな! 仕事を先ず拾え!!」
ふんと鼻息荒く腕を組んだ幸男は「いいか、これから行くぞ!」ともう一束あったチラシを小脇に抱えて部屋を出て行く。
きゅっと引き締まった下半身は、彼が中高時代に部活で鍛え上げた故だと聞いた。あの脚線美をどうして幸男自身が解っていないのだろう。
大股で闊歩するその後姿に、やはり諦めを拭い切れないままに黄瀬も重い腰を上げた。
02
「ユキちゃーん、似合ってるよーそれ!」
「……黄瀬、テメェ、覚えてろよ……」
忌々しげに毒を吐きながら黄瀬を睨む幸男のその姿にはいつもの覇気がない。わなわなと震える握った拳も、唯震えるだけで振りかざされることがない。
それはそうだろう、折角の好意が無駄になる可能性が高いからだ。
俯いた顔は、しゃらり流れる黒髪に邪魔されてどんな表情をしているのかは解らなかったが、少なくとも穏やかな心中ではないのは明らかだった。
覗く耳が赤い。真っ赤すぎて可愛い、を通り越して怖いくらいだ。
「だってぇ、『背に腹は代えられないと知れ!!』っつったの、ユキちゃんでしょおぉ? だからオレ、来た仕事引き受けたんじゃないスか。あ、でもその前に忠告したっスよね、『断った方がいいと思う』って」
「――っ!!」
あ、青筋。と拳に浮き出た血管を認めたが、黄瀬は口笛を吹かんばかりに気分上々だった。大丈夫、けして幸男は手を出してこない。足も今は無理だろう。
いつもの飛び蹴り膝蹴り踵落としの三種の神器は封印されている。主に幸男の自制心と、そしてお姐さん方の好意の集大成によって、厳重に鍵が掛けられている。
そのことを十分解っているから、取り敢えず未だ見ぬ未来より、この現状を楽しむことを黄瀬は優先させていた。
理由は簡単だった。
「ユキちゃん可愛いよー。似合ってるスよー、その女装姿……っぷぷ!!」
「笑うなぁっ!!!」
がばぁっと顔を上げた幸男の顔は、想像通り茹で上がった蛸のように真っ赤だった。
血流が良過ぎだろうと突っ込みを入れたくなるくらいに真っ赤で、そして可愛かった。
「いやぁ、やっぱりお姐さん方の化粧力は半端ないスねぇ!! 可愛く仕上がってるじゃないスか、眼の大きさが存分に活かされてて、うん、やっぱり黒が似合うっスよ、ユキちゃん! 凛々しい眉も前髪で綺麗に隠されてて、うん、日本女性って感じ!! そう、言うならばお菊人形現代チャイナ版……ぷぷっ」
「お菊人形っつったな、今お前お菊人形ッつったな!!? もう勘弁ならん、そこに直れ、首根っこから刈り取ってやるわ!!」
腿までの深いスリットの入ったチャイナドレスの裾をたくしあげ、腿を露わにした幸男に、それでも黄瀬は余裕の態度を崩さない。笑って指差した先は、その腿だった。
「そんなことしちゃったら折角借りたお洋服駄目にしちゃうっスよー? ストッキング破けちゃうよー? いいのかなぁ、折角お姐様方が精魂込めてユキちゃんを女の子にしてくれたのにねぇー? お店に出るまで後ちょっとだよー?!」
「ってめ、何処まで卑怯なんだ黄瀬……ぇ!!」
「あ、時間間に合わないかなぁ、間に合わなかったらユキちゃん、大切なお仕事先なくしちゃうかもねぇー!?」
「何処まで、本当お前って奴は何処まで……!!」
――今回幸男と黄瀬が引き受けたのは、二丁目のゲイバーでの臨時ガードマンの仕事だった。
03
『ちょっとしたときにお手伝い、何でもやります、黄瀬商事です、是非ご用命をー!』
きんと張った二月の空気を震わせる、元気の良い声が新宿の雑踏に響く。
行き交う車とざわめく人と、遠くに電車、ビルの合間を抜ける風が唸る中でも、その声がよく響いて聞こえるのは黄瀬の耳によく馴染んだ声だからだろうか。
黄瀬は少し離れた植え込みの石段に腰掛け、頬杖突きながら幸男の後姿を眺めていた。
(元気っスねぇ……)
十九歳、溢れる若さには参るばかりだ。けして下半身的な意味ではなく、総体的な活力の面で。
そもそも、今時何故ビラ配りなのか。サイトでもツイッターでも何でもあるのに、何故ここまでアナログな方法を取るのか。ビラの作成にパソコンを使っているくせに。
果たしてこの九十年代初期の原始的方法に効果はあるのかと幸男の動きを追うと、しかし意外や意外、道往く人々はその手からビラを貰っていた。
『有難う御座います、宜しくお願いします!』
弾けんばかりの笑みを手渡す相手に向ける幸男に、いやいやちょっと、ナンパしてんじゃないんだからと心の中で突っ込む。
(ユキちゃんアンタ、一介のチラシ配りはそこまでやんないスよ)
手渡された相手は相手で――そう、たとえば今し方チラシを貰った中年のサラリーマンは、幸男の笑顔に面食らったように目を見張って、それからうんとかあぁとか言いながら意味もないだろうに首を縦に何度か振り、絶対に利用しないだろうにチラシを折り畳んでスーツのポケットにしまった。
賭けてもいい、彼は絶対に依頼してなどこない。
恐らくはあのチラシ、何処かの屑箱にでも捨て去られる運命だ。大体が、黄瀬に仕事を頼むなんて、やばいことに胸まで浸かってしまった人間達なのだから。
つまり、宣伝効果ほぼゼロ。
それなのに、少なくともその場に丸めて捨てなかった。それは間違いなく、幸男の所為というか、お陰だろう。
あんな風に悪意のない笑みで手渡されたものを、邪険に扱うのはそれはそれでストレスになる。だから皆、頷きながらそっと仕舞うのだ。
健康的で硬派なホストなんて見たことも聞いたこともなかったが、一人くらい店にいるとアクセントになっていいかもしれないタイプかなぁと、半分呆れて重い息を吐いた。間違っても幸男にホストなんぞ務まらないだろうが。あの性格はむしろ任侠だ。
吐いた溜息と共に項垂れる。そのとき、不意に手元が翳った。
『……アンタは』
顔を上げると、見知った女性が笑っていた。
04
『――きーちゃんじゃない、珍しいわね。こんな真昼間に外にいるなんて』
『桃っちこそ、相変わらず凄いっスね。その大胆な服――じゃなくて、オレの変装見破れる人、なかなかいないんスよ?』
大きく胸元が開いたシャツに、膝上何センチよりも股下何センチで測った方がいいくらいに短いタイトスカート。
桃井がくすくす笑いながら黄瀬の隣に腰掛けて足を組むと、むっちりとした白い腿が露わになった。
対して黄瀬は、くたびれたジャケットを着て背中を丸め、普段の明るい金の髪を長髪の黒のウィッグで隠した上でニット帽を深く被っていた。更に太い黒縁の伊達眼鏡をかければ、それだけでも十分な変装になる。
牛乳瓶底眼鏡でイメージががらりと変わるというのは強ち嘘でもない。少なくとも今集中する視線の大半は桃井に向けられていた。
平素ならば、黄瀬にも多くの耳目が集まる。特に女性からの熱い視線に焼かれそうになるくらいだ。
だが、今は何故あんな美女と冴えない男が並んで座っているのかという男性からの不可解な視線が多く寄せられていた。
『……で、何か用スか、桃っち? 警察からの仕事ならお断りっスよ? 黒子っちに借り何発分溜まってると思ってるんスか』
『んー、別に。久し振りにきーちゃんとユキちゃんに会いたくて。それとテツくんに手出したら私が承知しないよ?』
『約束は約束なんで、桃っちに口出す権利はないっスねぇ』
ぼそぼそと小さな声で言葉を交わす二人の視線の先には、チラシを配り続ける幸男がいた。
『……何か、解ったっスか』
『……いいえ、何にも』
『そっスか』
短い会話の中に含ませたものは多かった。桃井はすっくと立ち上がる。
『ユキちゃんには声掛けてかないんスか?』
『お仕事中に邪魔しちゃ悪いもの』
また今度伺うわ、と一つ微笑を残して立ち去る桃井は、初めて出会ったときと変わらないようでいて、しかし確かに変わっている。
真っ直ぐに伸ばされた背筋、雑踏を切る細い肩に多くの責任を負い、桃井は随分と逞しくなった。
(青峰っちがいなくなってから、もう一年だもんな……)
青峰と桃井と、そして黒子の三人は幼馴染だと聞いたことがある。
随分と仲が良かった三人は、そのまま同じように警視庁に奉職し、そして青峰が辞めてからも三人の付き合いは変わらなかった。
――青峰が失踪する、その日まで。
『……そういや、ユキちゃん』
遠くなりかけた思考を引き戻し、先まで幸男がいた場所を見やる。だが、そこに幸男の姿は見えなかった。――山のような巨体の男性陣にぐるり囲まれて。
その中に、どころか、大半が顔馴染みであることに気付いた黄瀬は、背中を脂汗が伝うのを感じた。
(……ユキちゃーん、駄目っスよー。そのお仕事請けちゃ駄目っスよー……)
黄瀬の心中の叫び虚しく、幸男が『仕事だ、黄瀬、仕事! 一ヶ月振りのだぞ!!』ときらきら弾けんばかりの眼で駆け寄ってきたとき、黄瀬も流石に言うのを躊躇った。
躊躇ったが、口にしなければこの先面倒なのは明らかだった。
『……こ、断った方がいいと思うんスけど、ね?』
恐る恐る口にした途端に無言で殴りつけられた。
『……一ヶ月一万円生活送るか?』
『……いいえー』
幸男の満面の笑みが逆に怖くて、引き攣った笑顔になったのはしょうがないと思う。
05
「――準備はできたかしら?」
野太い声に揃って同時に振り向く。出入り口に立っていたのは黄瀬の馴染みで、この店のママだった。
顎の下にたぷり肉を蓄え首がほとんど見えない。にも拘らず、きらりと光った首飾りの青の宝石に黄瀬はすぅと眼を細めた。
「あらぁ、やっぱり私の眼に狂いはなかったわね! 可愛くなってんじゃない幸ちゃん、初めてとは思えなくらいにしっくりきてるわよ」
「あ、いやママ、ユキちゃんこれ初めてじゃ……」
初めて出会ったときのことを思い出し、口を挟んだ黄瀬の顔面に掌底が食い込んだ。鼻は恐らく陥没した。
「じゃかましいわボケェ!!」
「……っだ、って、ユキちゃん、あのとき、」
「いーんだよいーんだよ、忘れろよ! 過去は寝て忘れろ!」
鼻を押さえて蹲った黄瀬の前に仁王立ちになった幸男だったが、女装している所為で普段の迫力は半減していた。
むしろ黄瀬の目前にはきゅっと引き締まった脚があり、それは黄瀬も認める美しいラインであり、つまりどちらかといえば良いこと尽くめ。
そう、何故って幸男は今女装している。それも可愛い、若干背の高めの女の子に化けている。
黄瀬は今現在自分が幸男に抱き着いていないのが不思議なくらいだった。
「あらあら、元気良いわねぇ幸ちゃん」
おほほと口元を隠して笑うママは、大層ふくよかな腹部を揺らしながら幸男に近付く。
一歩踏み出すごとにずしんと背景に擬音が描かれている気がするのは、それこそ気の所為だろう。
「――でもぉ」
ずい。と。
視界を厚い掌で遮られて。
「お店のお客さん相手にそんなことしたら駄目よぉ〜?」
「……っすみません。源太さ……」
「じゃなくて。ジェーンね、ジェ・エ・ン」
「……すみません、ジェーンさん」
反射で先程教えられた本名で返すも、即座に訂正される。首筋をなぞる手にぞぞぞっと鳥肌が立ったがぐっと堪えた。
これが黄瀬相手だったならば、腹に一発食らわせてもいいはずだったが、そうもいかなかった。
その黄瀬はまだ座り込んだままだったが、幸男の引き攣った笑みがツボにはまったのか、けらけらと涙を流しながら笑っていた。
背中を丸め、その嫌味な程長い足をばたつかせながら、全身で笑い転げていた。
「もー最高スよ、ユキちゃん!! 手も足も出ないユキちゃん新鮮! もー可愛いなぁ……ふっ、腹痛いっス!! 頑張って、是非お店で頑張って下さいっスね!! ぷぷぷっ」
ってか、根は体育会系なんだから、どうしてオレにはあんな生意気なんスかぁなどと笑いの混じった声で茶化してくる黄瀬に、あらと源太は大仰に驚いて見せた。
「何言ってんの黄瀬ちゃん、アナタも着替えんのよ?」
「……はい?」
その言葉に、糸の切れた操り人形宜しく動きの止まった黄瀬に、再度源太は言った。
「だからぁ、黄瀬ちゃんもお化粧して、で、お店出てもらうって。何で幸ちゃんだけなのよ、アナタ達二人に依頼したんだから、当然黄瀬ちゃんも女の子にならなきゃでしょ?」
「――え、いや、でもオレに合うサイズの服なんて……」
「大丈夫よ! その辺りは準備万全だから! 何、そんな心配してたの、黄瀬ちゃん意外と律儀ねぇ」
「や、その、律儀っつうかスね」
だらだら背中を伝い始めたものは冷や汗か脂汗か。
黄瀬が何とか女装を回避しようと頭を働かせ始めた瞬間、ぽんと幸男がしゃがみ込んで黄瀬に笑いかけた。
「黄ー瀬」
にっこり笑った顔は、太陽の光を背にしているかのように晴れ晴れとした、健やかなそれで。
先程まで散々嫌がっていた女装だというのに、こうして見ると本当に幸男は違和感なく女としてそこにいた。見事に着こなしている。
幸男のはずなのに、幸男じゃない。
そんな存在を眼の前に一瞬呆けた黄瀬に、追い討ちの一言がかけられた。
「やるよな?」
「……はいっスー」
やはりこの仕事、断るべきだった。
黄瀬は今更後悔した。
C.H.アニメ第三話パロディ