黒子のバスケ

amnesia:Age 15 and 17. in Spring:1

01

むわり、の隙間を縫って。ふわり。
部活終わりの男子高校生でいっぱいになっている部室なんて、唯只管汗臭いだけだ。
しかしその中で、ふわり香ったものが何なのか。その香りの先を追うと、光の色をした髪が眼に飛び込んできた。

染めたのではないらしい生粋の金は、この部室の薄暗い照明の下では色褪せて見え、何処かしら冷たい印象を与える。
いや、実際黄瀬という人間は何処か冷めた部分を持ち合わせている人間だ。少なくとも、普段自分のしごきに泣いてみせる姿はあくまで表面的な部分であって、ずっと氷解することのない何かを持っている。

「……何スか?」

――たとえば、これだ。目線だけで振り返るなんて、先輩相手によくも生意気な態度を、と叱り飛ばすことを一度横におく。
その目線の温度のなさが、芯から冷え切ってしまっている所為なのか、それとも熱くするものがないからなのかを考える。

全国屈指の強豪と呼ばれる海常の中で、入学前からレギュラーが確定している人間などいない。否、いなかったというべきか。
前例を打ち破った男の才能は認めている。入学前の練習で、鋭いドライブに切り裂かれたディフェンス陣の呆気に取られた顔を思い出す。

レギュラー同士での試合の最中でも、しかし、黄瀬というのはつまらなそうな表情を見せることが多々あった。
勝ちが決まったとき、シュートが決まったとき、止めたとき。
その時々で黄瀬は呼吸するようにつまらなそうな表情をした。力のない眼、半分死んでいる、虚ろな眼。

こんなの勝って当然、決めて当然、止めて当然。
全ては黄瀬にとって当たり前の出来事で、予定調和もいいところ。
キセキというのは強ち馬鹿にできない呼称だった。勝利を当然のものとして享受する――それこそ奇跡だと思う。より正確に言えば、そんな風にしか受け取れないくらいの才能と環境があったことが、奇跡だ。

特にこの黄瀬という男が、実際バスケットではなくても他のスポーツでも遺憾なく才能を発揮するだろうことは想像に難くなかった。
一度見たものを自分のものできる。唯の真似よりもずっと上等な、自分のものとして昇華した上でのプレーを目の当たりにしたとき、どうしてこいつはバスケを選んだのだろう。純粋に気になった。
バスケが好きだったからだろうか、とも考えたが、それは直後のつまらなそうな表情に打ち消された。――こいつは、バスケが好きだからバスケをしているわけではない。

「――お前はさ、バスケじゃなくても良かったんだろ」

前置きも遠慮もない言葉に、黄瀬は視線を一瞬断ち切るように瞬いた。
何を思っての一言だったのかを黄瀬は知る由もなかっただろうに、その軽そうな頭と外見を裏切る一言が返された。

「――勝てないのって、バスケでだけだったんで」

その言葉以上に黄瀬自身を裏切っていたのは、その眼だった。
それこそ瞬く間だけ、針を振り切って跳ね上がった熱に咽喉が焼かれた。
力がないどころではない、はちきれんばかりの力をその眼に湛えて、死んでいるどころか、ぎらつかんばかりの生に執着していることを隠そうともしない欲に満ちた眼で。

勝ち続けてきた男が勝てなかった相手は、キセキと呼ばれた内の誰だろう。それとも全員だろうか。探ることに意味はなかった。唯、つまらなそうな表情をする理由だけは解った。


この男の心に放り込める火種を自分は持っていなかった。





熱い氷
(触れてはいけない)


02

キセキ。才能溢れる選手。十年に一度の逸材。そんな言葉が空転する。
そこで泣いていたのは、図体ばかりがでかい子どもだった。
何で自分が泣いているのかも解っていないだろう、ぽろぽろと零す涙を拭う手にも戸惑いが見える。
「生まれて初めて負けた」なんてあっさり言って、でもそれがどれだけ凄くて、おかしなくらいだってことをちっとも解っていないそれを見ていると、才能以外に環境というものがどれだけ影響するのかなんて考える。

才能があっても環境に恵まれなければ、逆に環境に恵まれていても才能がなければ、日の目を見ることない人間というのもあるのだろう。
でも、才能があって環境にも恵まれていた黄瀬は、今まで敗北を知らなかった。

何で、何でと繰り返す黄瀬を蹴り倒して、一喝。振り向いてばちくり瞬いた眼からぼろり涙がまた零れ。

透明なそれが体育館の照明にちかりと光って、床に落ちて跳ねて。

ぼろぼろと、そのとき零れて剥がれ落ちたものは一体何だったのか。
純粋に勝利を貪ってきた人間が敗北を知って無様に泣く姿を笑えばよかったのか。

唯、それはとても綺麗なものに思えた。





冷たい血
(見てはいけない)


03

放る。入る。誠凛のキャプテンから聞いた一連を頭の中で反芻しながらまたボールを放る。入る。

黄瀬が練習試合の前に誠凛に勝手に行って馬鹿をやらかした、なんてことを知っているはずなかった。そこまで干渉する義理も義務もない。
けれども、一般常識や礼儀としてうちの部員が先方に失礼なことをしたのは事実だったから、頭を下げたら向こうがやたら慌てふためいていた。新設校でキャプテンの日向は二年だということも向こうが落ち着かなかった原因らしい。
そのときの様子を思い出してふっと緩んだ口元とは裏腹に、胸の辺りがすっきりしないことに気付いている。――あいつにも、欲しいなんて、そんな剥き出しな感情があったのか。放る。入る。

ある程度のことならば黄瀬は望める立場だろう。才能や頭の中身はさておき、あの容姿だけでもお釣りが来るくらいには。練習の最中に見せるつまらなそうな顔を思い出す。先の試合で見せた獰猛な眼を思い出す。あいつにも、そんなに欲しいと焦がれるものがあったのか。放る。

ボードががしゃんと揺れた。





渇いた涙
(望んではいけない)


04

誘蛾灯。夏の夜の誘蛾灯を思い出す。冬の濃紺とは違う、藍染めされた空気の湿気に滲んでぼんやり光る青白いあれに、無知な虫は無垢なままに自ら寄っていく。光に近付いていって自ら焼かれて死ぬ。

目映いというには弱く、仄かというには自己主張が激しいその光は、しかし夜夜中にあっては絶対の光源だ。
肌に絡むような光は何処か澱んでいて、陰になった虫達の姿はどうしたって不快感をもよおした。ちらちら、ちろちろ、光の中を飛び交う羽虫の姿は煩わしく、そして滑稽でもあった。

燃え盛る火ではない分、その場に飛び込んでも即座に身を焼かれることはない。だが離れる時機を逸してしまえば、光の放つ熱に焦げて死ぬ。
甘くも美味くもない、唯暗闇を照らすだけのそれにどうしてそんなに引かれるのか。
それが習性であるという、その一言で片付けられることも解ってはいた。

なら、光に誘われて群がる羽虫を愚かと笑うことが今の自分にはできない。そういう虫を愚かと笑うことは、自分自身をも笑うことだ。愚か。その羽虫は自分だ。そうして離れる時機を逃して死んでいくのだ。

絶対の才能に引かれ、それは自身にとっては甘くもなく美味くもなく、むしろ毒にしかならないと解っている分、夏の夜の虫より性質は悪かった。
始末に負えない、と自嘲しても、どうしようもないという観念が尾鰭のようについて回った。
勝負の世界に身を置くものとして、勝利し続けてきた――敗北を知らない存在が如何に希有かということを、身に沁みて解っていた。

勝利だけを食べて生きてきたそれが放つ光は、彼自身の容姿を良くも悪くも裏切っていた。
割合線が細く、男臭さを感じさせない優男に見える分、時折見せる動物の雄としての闘争本能に満ちた眼差しに何度も息が止まった。
それは獰猛な肉食獣のように爛々と黄金に燃え、自身の今までを爛れさせ腐らせる一方で、それでも浴び続けることを選ばせるだけの魅力に満ちていた。
それこそ真夏の夜の誘蛾灯のように、肌に絡む湿気を帯びた光で何も知らない虫を誘い込み、そこに留まることを選んだ愚か者達を容赦なく死に至らしめる。そこに誘蛾灯自身に責はない。全ては虫の責に帰すだけだ。


その希有な生き物が、敗北を知ったときに流したあの涙は、彼が今までに放ってきた滑るような光とは異なり、ただただ澄んで光っていた。
今までの濁りを浄化したような光は、滑りも欲も全て洗い流して、赤ん坊が流す涙のように唯、純粋で。


恐らく、それを見たときには既に手遅れだった。
目映い光に吸い寄せられるように、引き込まれるように、抗うということを考えもせずに、重力に従って落下するのと同じような自然さで落ちた。
あの涙が、ぽたりと頬を伝って落ちたのと同じくらいの自然さで落ちた。
どうしようもない感情だと思った。


自分ではどうしたって彼の心に火種を放り込むなんてことはできないのは既に証明済みだったのに。





湿った光
(近付いてはいけない)


さみしい連作

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