agrypnia:Age 16 and 18. in Spring
01
別れてくれ、と頭を下げた人を前に、何言ってんの。頭が空転した。
何言ってんの、え、冗談でしょ。冗談じゃない、本気だ。お願いだ黄瀬、オレと別れて、くれ。
笠松センパイはずっと頭を下げたまま、オレを見ようともしないでそう言った。
別れてくれ、そう言った。
何でこんな、多分めでたい日に別れ話を切り出されているのだろう。
何でこんな、卒業式の日に、唯でさえ離ればなれになる日に、こんな本当に離れなくてはならないのだろう。
部室での送迎会の後、ちょっとだけいいかとセンパイと二人きりになって。
もしかしてボタンくれるのかな、なんて女の子みたいなことを思いながら、それでもセンパイがもう同じ学校にはいないと思ってしまうと涙出そうになって。
泣くのを我慢して何とか笑って卒業おめでとうございます、そう言おうとしていたのに。全てがセンパイの一言で薙払われた。
事態に頭が追いつかなくて、硬直するしかない。口の中もからからに乾いている。
何とか少しでも湿らせて言葉を発しようとするけど、どんなに唾液を掻き集めようとしてもちっとも集まらなくて。
からから、干乾らびた沙漠のように。
からから、躰中から水分が抜けていくみたいに。
まだ少し肌寒い部室の外から、他の部活の送迎会の声。にぎやかで笑い声すら聞こえる。でもオレは笑えない。
何、で。
漸く口にできたのはそんな一言。
センパイは茫然自失のオレを見ることなく、俯いたまま、視線を逸らしたまま会話を続ける。
いつも真っ直ぐに人の眼を見て話す人のそんな態度に、あぁこれは冗談じゃないのだと否が応にも思い知らされる。
「なぁ、黄瀬」
オレは、お前といると寂しかった。嬉しかった、楽しかった、それ以上に、寂しくなっていった。お願いだからもう、お前と一緒にいて寂しいなんてオレに思わせないでくれ。お願いだから、オレと別れてくれ。もう、これ以上。
「オレを、惨めな人間にさせないでくれ」
一段と深く項垂れて。
それはもしかしたらセンパイからの初めてのお願いで、我儘。それがこれって、どういう冗談なんだろう。滑稽すぎて笑うこともできない。
今笑ったら、多分皮膚とか肉とか骨とかが全部砂みたいにぼろぼろ崩れていきそうな気がした。
全部、跡形もなく、オレは。
「……センパイ、は、オレといると寂しかったの?」
無言。
でもさっきそう言ったのだから、そうなんだろう。
センパイはオレと一緒にいて寂しかったんだ。
それは、オレと一緒にいるから寂しかったんだろうか。
どういう寂しさだったんだろうか。
独りぼっちみたいな寂しさだったんだろうか。
オレがいるのに、独りぼっちだったのだろうか。
オレがいるから、独りぼっちだったのだろうか。
「センパイは、じゃあ、オレと手繋いでたときも、キスしてるときも、セックスしてるときも、ずっと寂しかったの。ずっと寂しいセンパイに、オレ気付かなかったの。オレどんだけ馬鹿なんスか、一人で浮かれて幸せで、オレ馬鹿みたいじゃないスか。馬鹿じゃないスか。そんで、オレ――どんだけ、馬鹿にされてんスか」
抑揚なんてつけられなかった。
吐き出すように言い切った言葉に、センパイが初めて顔を上げた。
泣きそうな、顔。
あの泣きそうな、顔で、センパイはオレを見て。
「――そう、だよ。お前、馬鹿だから、だから気付いてなかったんだろ。お前、本当はオレのことなんか好きじゃないって、自分でも気付いてなかったんだろ。お前、本当馬鹿だから」
口の端を歪めて、多分それは笑ってみせようとしたのだろう。
でも、笑ってなんかいなかった。
唇が震えて、声も、震えて、語尾も、滲んで。
「お前も、寂しかったんだよ。いきなり、皆と離れ離れになって、お前甘えただから、寂しかったから、黒子んとこ行ったんだろ。一緒にやろうって」
それでもけして泣かないで。
センパイはオレを真っ直ぐ見つめてきて、それはオレが好きな眼だ。
センパイの中で、センパイを一番表してくれるような黒の眼が、オレは好きで、大好きで。
センパイが好きだから、好きで。
でも、それをセンパイは切り捨てた。
「オレはそこに付け込んだだけ、だったから。手伸ばしたのに、何も掴めなくて、お前が寂しいときに、側にいてやれば、きっとお前勘違いするって、オレ解ってた。伸ばした手の収めどころ解んなくなってるときに、側にいれば、オレの方に向ける。そういう小狡い自分認めたくねぇけど、どっかでオレ解ってたんだよ」
自分を責める口調に、本当に自分を汚いもののように思っているのが知れて、そんなことないと言いたいオレの口は、乾いて何にも言えなかった。
そんな卑下はセンパイには似合わない、要らない。
卑下も自嘲も、センパイがする必要なんてちっともない。
だってオレは勘違いなんてしてない、オレはセンパイが好きなんだよ。
そう言いたいのに、――でも、オレも馬鹿だから。オレの方が耐えられなくなった。
センパイの頬を、ぽろり、落ちたものに声を失った。
「ごめん、ごめんな、黄瀬。オレの馬鹿な我儘に付き合わせた。謝ってもどうにもならねぇけど、本当にごめん。でも――言い訳じゃねぇけど、お前、もう自分が何に手を伸ばせばいいのか、解ってるだろ。ちゃんと欲しいもんが、解ってるだろ」
解んない、何言ってるのか、解んないよ。
だってオレが欲しいのはセンパイで、だから手を伸ばした。そうして手に入れたと思っていた。
好きだと何度も言って、何度も重なって、それでもどうしてセンパイはオレの全部をそんな風に否定するのだろう。
何でそんなに一方的に、オレの言葉を聞こうともしないで、オレの気持ちを決めつけるのだろう。
オレは確かにそこに怒っていいはずで、怒鳴り散らしてきっと一発殴ってもいいくらいの侮辱だった。
オレをそんな風にずっと見てたんスかって、罵倒してもいいくらいの屈辱だった。
でも、言葉も感情も全部が咽喉の奥で絡まってもつれて息もできなくなりそうだった。
一粒の涙を零して、笑うセンパイに、あぁ、オレはこの人を寂しくさせてたんだって。
解ってしまった。
気付いてしまった。
閃くみたいに、悟ってしまった。
オレが一緒にいると、この人はずっと寂しいままなんだ。
何にも言えないオレを前に、センパイはゆっくりと頭を下げた。
「今まで有難う。そんで、――ごめんな」
そう言って床に置かれたバッグを手に取って、オレの脇を通り過ぎる。オレは何も言えない。
ドアノブを捻る音。オレはどうしてか動けない。
開いて、閉じられる音。オレは何にもできずに、センパイが部室から出ていくのを、突っ立ったまま――一風化した手を、伸ばすこともできずに。
その日から、笠松センパイと連絡を取れないまま。
寂しさだけを残していく
(愛しさをも忘れろと貴方は言う)
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さみしい連作