黒子のバスケ

ウィーク・オブ・ウィンター

今年が閏年だったら良かったのに、と澪された言葉に目線を上げた。
「四年に一度、なんて意味ない」
隣を歩く男からぽつんと落とされたそれが、赤くなった唇の先でゆったり惑うように白い息に溶けていくのを最後まで見る。ゆるゆらりと、普段ならあっという間に霧散する吐息の白が、いつになく濃く藍墨に沈む道に残る。
それもそのはず、今日は神奈川でも珍しく朝から雪が降っていた。今は降り止んでいるものの、躰の芯から冷える空気は相変わらずこ凝ったように地上に残っていて、ついこの間豆撒いたばかりなのになと出がけにぐるぐると巻いたマフラーに鼻の頭まで埋めてしまう。ぬくり暖かなこれは隣の男からのプレゼントだった。
「今年って閏年……じゃなかったか」
「っス」
前を向き直して黄瀬の言葉の続きを拾うと、次いで黄瀬もその後を拾った。
「去年閏年だったから、今年はいつも通りの365日なんスよ」
横目に視線を僅かに下げて合わせてくる様に、ふーん、と気の抜けた声で相槌を打つと、ちょっとは興味持って下さいよ。声高に喚いたので頭を叩いて黙らせた。更に喚く前に「で、その心は何だ」と突きつけた。
「へ?」
「何で今年が閏年だと良かったんだ?」
「あー……」
自分で興味を持てと言ったくせに、いざ興味を持って問い返せば言葉尻を濁す。視線を前に彷徨わせて、口元をもごもごさせてはきゅっと引き結ぶ。それを何回か繰り返した黄瀬に痺れを切らし、一体何をしたいのだと言う代わりに膝裏をぼすり蹴ってやった。不意打ちを狙ったのに、前のめりになることなく耐えたのが腹立たしい。
「……だって、一日、長いでしょ」
蹴ったことが効を奏したのか、口を開いた黄瀬は、しかし拗ねるように唇を尖らせていた。
「は?」
「だから、長いじゃないっスか。一日。その分、長くいられるんスよ」
センパイと、と。
続けられた言葉に、見上げたままにしていた視線は固まった。一緒にいられる。一日分長く。その口振りが予感させたのは、あまり考えたくない類のものだった。――少なくとも、WCが終わる前の笠松だったら、そこで思考を停止させてしまうのに十分なほど、物憂げな横顔だった。
「……あー、何だ、つまりお前は、あれか。オレと一日でも長く一緒にいたいのにーみたいな、そういうアレか?」
「何か微妙な物言いですけど、まぁ、そういうことっスね」
頷く黄瀬の神妙さは相変わらずで、笠松は吐息より白く頭の中にかかる靄を払っていくことにした。
「更に言っちまえば、高校生のオレと一日でも長く〜とか、同じチームで〜とか、そういうアレか」
「っス」
ぼわんと靄が散って薄くなる。後少しだ。
「で、もっと単刀直入に言えば、その一日分があれば高校生の内にしかできないアレやソレができちゃうかもしれないのになーとかか」
「す、凄い! センパイそこまでオレの思考読めちゃうなんて、流石全国屈指のPGっスね!」
靄が晴れて見えたのは、きらきらと星を溶かしたように甘い蜜色の眼を輝かせ、残念な桃色の思考で頭の中を一杯にした後輩――基、恋人の満面の笑みだった。制服エッチは外せないっス、だとか、彼ユニでおねだりも堪らないっス、だとか喜々として語り出す様なんて正直見たくなかった。
「……お前、予想に違わずザンメンで泣けてくるわー」
残念なイケメンは森山一人で十分だ。脱力すると同時に吐き出した息はマフラーに埋めて、笠松は嘆いた。そこにちょ、センパイ何言ってるんスかと慌てた声が重ねられ、何だと顔を上げた。
「こ、こんな公道で、ザーメンとか……痛!痛い!!」
「しょうもない聞き間違いすんなボケェっ!」
聞き間違えた上に色白の顔を赤らめて恥ずかしがっている黄瀬に、文脈考えろ、文脈をとその肩を手加減なしに殴りつける。何でこんなに残念なのだ。かっかと火照る頬に、今日が今冬一番の冷え込みだったことも忘れてしまいそうになる。
「……てか、確かに高校生のオレは三月まで、だけど、制服だの何だのは高校生でなくてもいいんじゃね?」
黄瀬の拘りが高校の制服やユニフォームにかかっているのならば、何も笠松が高校生であるか否かは関係ないのではないか。そんな思いつきで口にした言葉だったが、直後笠松は失敗を悟った。
「せ、センパイ、それって、つまり、その、コスプレエッ――グエッ」
「そういうこっちゃねぇえええ!!!」
最後まで言わせることはしない。即座に巻いていたマフラーを外すと黄瀬の首に巻き付け、締め付け、絞め上げた。
「く、苦し、センパ、苦し……っす……!」
「苦しくしてるんだからそうだろうよ! お前もう黙れ、黙らせてやるから、黙れ!」
「ごめんなさいぃいいい!」
泣き喚く黄瀬の反省の声にマフラーを外し、己の首に巻き直す。センパイ乱暴者なんスからーと首根を擦る黄瀬に、お前もちょっとは学習しろと返す声には軽い調子の笑いで返される。
本当に解っているのか、と訝しがることさえも、いつもの二人っきりの帰り道の会話の範疇だった。今日に限れば最初は何やら深い話かと思いきや、結局いつも通りの間の抜けた話に落ち着いてしまった。変わらない黄瀬との会話に呆れながらも、あぁ、こういう帰り道がなくなるのは寂しいかもな、と。
敢えて口にはしなかった黄瀬の寂しさの欠片を、笠松もまた飲み込んだ。



20130210