サマリー・オブ・サマー
センパイにとってのバスケって、何スか。
酷く大雑把な問いかけをしてきた後輩は床に胡座を掻いて座っていたので、自然見上げられることになった。苦々しいながら、普段とは反対の構図だ。
「……そうだな」
顎を伝う汗をシャツの裾を引っ張りあげて拭いながら、笠松は考えた。黄瀬への答えとは違うことをだ。
部としての練習の後に行っている二人きりの自主練習。夏休み最後のそれを切り上げる前、一回だけと押し切られての1on1は思いの外長引いた。これで終わりだと放ったボールはネットを揺らし、てんとコートに跳ねた。と同時に、あーっと大口開けての喚いた黄瀬は、そのまま大の字になった。
互いに息も荒く、笠松も許されるなら同じように四肢を思い切り投げ出して大の字になりたかった。しかし片付けの時間もあまりなく、閉門までには着替えも済ませて鍵を返さなければならなかった。できることならシャワーも浴びたかった。
邪魔だ、モップ掛けるぞと足蹴にしても痛い痛いと繰り返すだけで起き上がろうとしなかった。漸く起き上がったかと思えば、いきなりの質問。
――オレにとって、は。
「バスケは、生活の一部だな」
少しの思案の後、それ以上でもそれ以下でもないと付け加えて言い切ると、黄瀬は眼を真ん丸くした。
「……へぇ……」
気の抜けた相槌とは裏腹に、驚きのままに見開かれた眼はじぃと笠松を見つめる。流れる汗を拭うこともしない。
何だ、期待外れの回答だったかと問えば、少しの戸惑いを滲ませた顔でそんなこと、と口にする。
「……センパイ、も、何だかんだでバスケ馬鹿じゃないスか」
「馬鹿の部分は聞かなかったことにしてやる」
間髪入れずに黄瀬の無礼を指摘しつつも、のそり立ち上がる動きの邪魔はしない。スマッセンとぼろり崩れたような半端な笑みを唇に乗せ、黄瀬は続ける。
「バスケは、オレの一番とか人生そのものとか言うのかと、思ってました」
「……そりゃあ、オレの答えは期待外れだな」
「や、そんなこたはねっスよ?」
くだんないこと聞いてスマッセン、さくっとモップ掛けちゃいますね。話題を打ち切るように用具入れの方に向かう黄瀬の背中には、汗でべっとりシャツが張り付いている。絞ったら凄いことになるだろう。こなすべき練習をこなした後に、更に上乗せで自主練習をして、汗塗れになって、このままシャワーも浴びずに帰るのは黄瀬とてごめん蒙りたいはずだ。唯、随分と時間が押している。
だから、笠松は投げつけるようにその背中に向かって口を開く。……確かに、さ。
「……でかい割合占めてるし、生活のあれやこれやはバスケ中心で考えるけどよ、でも、まだ全部高校生って枠組みの中でのこと、だし。それに……万が一バスケを取り上げられるような、そういうことになっても、だ。色々あるとは思うし、今は上手く言えねぇけどよ、何があってもバスケから得たことは最後にちゃんと残るって、思ってるから。バスケなくなったら後は燃え滓人生なんて、そんな風にバスケ好きなわけじゃねえから」
――青峰みたいに、とは言わない。そこは今の黄瀬には言えない。黄瀬が振り向くより先に横に並ぶ。横っ面に突き刺さる視線を、敢えて無視する。
汗を拭いながら考えていたのは、黄瀬は誰を思い浮かべて笠松に問うてきたのか、だ。黄瀬は一体誰にとってのバスケとは何なのかを考えたのか。質問してきたのは、その誰かの応えを知る上で参考にしたかったのだろう。他人にさほど興味を抱かない男がそんな風に心の内を探りたくなる相手、を考えていた。
あの透明少年か、アメリカ帰りの男か、それとも。でも彼らにとってのバスケ、の答えは黄瀬が望んでいただろう答えとはずれている、という直感もあった。まるで、バスケが全てだといわんばかりの姿を見せてきたのは一体誰か。
――ごく自然な連想の先に、その人物はいた。自分達の前に立ち塞がった壁。黄瀬の憧れ。黄瀬のバスケの始まりの相手。青峰。
「……お前にとっては、どうなんだよ?」
「へ?」
「お前にとって、バスケって何?」
バスケを唯一のものにしていた男の背中を追い続けたお前にとって、バスケは一体どんな位置に在るのか。
横目で見遣れば、いつものように見下ろしてくる視線とぶつかった。
黄瀬は実際、バスケでなくても良かった人間だ。追いつけないかもしれないと感じた相手がバスケをやっていたから、それだけでバスケを始めた人間だ。もう少し待てばサッカーでもバレーでもラグビーでもアメフトでも、黄瀬が追いつけないほどの才能を持った人間が現われたかもしれない。唯、一番最初に黄瀬が出会ってしまった「追いつけない相手」がバスケをやっていた。それだけだ。
更に言ってしまえば、この歳で、俳優でも歌手でもなく一モデルが写真集を二冊も出すことがどれほど凄いのか。知りたくもない、興味もない。けれども黄瀬のファンを名乗り笠松に文句を押し付けにやってくる女子生徒のお陰で知っている。スポーツでなくても、黄瀬には無数の選べる道があったはずなのだ。
そんな黄瀬にとって、バスケとは何なのか。
「黄瀬、お前は」
バスケが好きなんだよな。そう聞こうとした矢先、オレの、と黄瀬が口を開く。
「――オレにとっての、……オレにとっても、バスケは、これしかない、もんだったんスけど、今も、そうなんスけど、でも」
オレにも、多分何か残ると思うんです、と。
前を向いて、一度眼を瞑った黄瀬がその瞼の奥で何を弔ったのか。笠松には解るような気がした。
Summary of summer:20120831当日に上げていたもの+書き加え