ラベリング・ラビリンス
森山小辞典。一例。
こぼる:小堀に会うこと。
活用例「今日こぼれた(=小堀に会えた)」
かさまつる:笠松に会うこと、もしくは(受身で)説教されること。
活用例「オレこの後かさまつられる……(=笠松にシバかれ叱られしごかれる)」
きせる:最初と最後しかない、中身のないこと。
活用例「きせる乗車(=最低乗車賃分しか払わずに電車に乗ること)」
「何でオレだけ悪口なんスか森山先輩!」
喚く黄瀬に、森山は彼独特のチェシャ猫のような笑みを浮かべて「悪口なんかじゃないぞ」と嘯く。
その言葉とは裏腹、孤を描く眼と口元が何とも言えずに意地悪気で、黄瀬は唇を尖らせた。
「キセルってあるじゃん。それにならって」
「酷いっス! ってかそれまんまっス! オレ何にも関係ないじゃないスか!」
「何だよー、つまらなそうにしてるから良いこと教えてやろうとしただけだぞオレは」
「何処が良いことなんスか!」
そしてつまらなそうにしているのは、笠松がいないからだった。
笠松は監督に引き止められて、まだ体育館に残っている。黄瀬も一緒に残ろうとしたが、先に戻っていろと笠松に諭されて渋々部室に引き上げてきていた。
既にシャワーも浴び、着替えも済んでいる。それでもまだ笠松は来ない。部室に残っているのは、揃って自主練習をしていたレギュラー陣だけだった。
汗も十分に拭けていなかっただろうに、これで笠松が風邪でも引くようなことになったらどうしてくれるんだ、という愚痴と、唯でさえ一緒にいられる時間が少ないというのに、監督もどうして部活中に話を済ませておかないんだ、という恨み言を心の中で幾度となく零す。
実際笠松はそこまで柔ではないと解ってはいるが、貴重な時間を潰されていることに加え、森山のにべもない一言に黄瀬の機嫌は下降線を辿るばかりだ。
ベンチに座り、口をへの字にして仏頂面を曝す黄瀬に目もくれず、森山は言い継いだ。
「ちなみに『もりやむ』は『運命の出会いをすること』だ」
「聞いてないし拡大解釈しすぎでしょそれは! 『思い込みが激しいこと』で『もり病む』でしょ!!」
間髪入れずに突っ込んだ黄瀬に、着替え終えた小堀がロッカーを閉めながら宥める。
「まぁまぁ黄瀬。森山曰く『はやかわる』は『早く変わること』でストレートな解釈もしてるから」
「全然フォローになってないっスよ小堀先輩! ってかそれなら『ラ行が言えないこと』って言って欲しかったっスねオレは!」
「黄瀬お前今オレ馬鹿にしただ(ろ)このヤ(ロ)ウ!」
「早川先輩どうせなら最後までラ行入れないで喋って欲しいっス! 途中まで言えてただけに残念度倍増っス!!」
常識人なのに相変わらず何処かずれている小堀とやはりラ行の言えていない早川に間髪入れず突っ込む。しかし当然、森山への突っ込みとは段違いに控え目な突っ込みだった。
全くもうどうしてウチの先輩達はこうもずれているのか、と片頬を膨らませた黄瀬の眼の前で、ちっちっと森山は立てた人差し指を左右に振った。
「安心しろ黄瀬。本題はここからだ」
「今度は何スか!」
「笠松に、今の流れで『きせる』出したとき、そりゃあ素直に答えてたから」
「……どういう」
唐突に出された恋人の名前に、黄瀬の勢いが弱まる。
窺うような黄瀬の上目遣いの視線に、森山は三日月さながらに眼を細めた。
「だからさぁ」
――……で、『こぼる』が『小堀に会うこと』な。
――はぁ。そのまんまじゃねぇか。
――それじゃ笠松、『きせる』は何だと思う?
――『黄瀬に会えること』だろ。
「――って。何の躊躇いも恥ずかしげもなく」
森山が得意気に言い終わるよりも前に、黄瀬は顔を両手で覆って伏せてしまっていた。
本当に、本当に笠松はそんなことを言ったのか。あぁ、でもきっと。笠松ならきっとそうなのだ。そういう人だから。
沈黙した黄瀬に、追い討ちの一言を森山は口にした。
「本当さぁ、そこはオレとしてはきせるは煙管だろ発音おかしいだろとか、百歩引いて黄瀬に会うことでも良かったんだけど。駄目だねアイツは。頭の中が春だね、沸いてるね。自分が惚気てることにも気付かなかったんだぜ」
何でよりによって「会えること」なんて答えちゃうのかねぇ。
「……っ先輩達スミマセン。オレちょっと体育館に忘れ物したんで」
堪え切れずにベンチから立ち上がり、残る三人を見向きもせずに出入り口に向かった。
逸る気持ちに縺れそうな足を内心で叱咤する黄瀬の背中に、森山の揶揄に滲んだ声が放られる。
「えー、何、かさまつってきちゃうわけ?」
その言葉に、ドアノブに手を掛けた黄瀬の動きが止まる。
かさまつる、の意味。笠松に会うこと、もしくは受身の活用で説教されること。
でも。
「……そっス」
笠松に会うこと・会えること・抱き締めること・キスすること・好きと言うこと・手を繋ぐこと・セックスをすること・笑い合うこと・一緒に眠ること・それから――……。
「――沢山、かさまつってきます」
振り向いて口にした言葉に、自然顔が綻んでしまう。自分でも抑えられなかったし、抑えようともしなかった。頭が沸いているのは自分もだった。
意味を一つ一つを挙げていたらきりがない。
黄瀬にとってはそれら全てが『かさまつる』だから。
「……行ってらっしゃーい」
「行ってきます」
明らかに苦笑と解る笑みを浮かべつつも、手を振ってそう言ってくれた森山に返事をして、黄瀬は部室を飛び出した。言葉に違わず良いことを教えてくれた森山に合コンのセッティングを頭の片隅で誓いながら、躰と心が真っ直ぐに向かうは体育館。
恋人のいる場所までの最短距離を最短時間で黄瀬は駆け抜けた。
「……凄いな、あれが黄瀬の素の笑顔か。中てられるな」
「ってか笠松だってもうすぐ上がって帰ってくんだろ。ちょっとくらい待てないのかアイツは。流石駄犬だ」
「待てなかったんだろ。――おーい早川。もうここ出ようか」
「え、何でっスか?」
「中てられるどころか寝込むことになんぞー」
「いや森山、毒じゃないんだから……」
(きかさる:――――こと)
labeling labyrinth:標識だらけの迷宮。
さとう様のリクエスト「限界の向こう側まで甘い黄笠」でした。有難う御座いました!