黒子のバスケ

0cm

埋めようのないゼロセンチ

背中にべったりと張り付いてくるのが、たとえば、小さな子どもだったら可愛かった。
その体重すら愛しいと思えただろうし、そんな仕草をしてくることそのものが可愛くて仕方がなかっただろう。
けれども、自分の背中に張り付いているのが、自分より遥かに図体のでかい男だったら。

「っぜええわボケェ暑苦しいーんだよ!!」
「っぐぉっ」

その脇腹に肘を入れることは許されると思う、夏。





「大体な、お前。最近引っ付きすぎなんだよ。何だよ一体」
高校の時分から黄瀬やはやたらと笠松にくっつきたがっていたが、この猛暑日の最中にもそれを実行されてはたまったものではない。笠松が真向かいに正座させた黄瀬に説教を始めて十分が経過していた。
「だって……久々のセンパイだったから補充しておこうかと……」
俯きがちにぼそぼそと言葉を紡ぐ黄瀬に、その言葉この部屋に入ったときにも聞いたぞ、と間髪入れずに指摘する。
「で? 何だ? こんだけ人の腰がっくがくにしてくれたくせにまだ言うか?」
「……腰砕くくらいにはしてないじゃないスか……」
「それは比喩か言葉通りか? どっちにしろオレは今お前の顎を砕きてぇ」
「怖いこと真顔で言わないで! 拳これみよがしに固めないで!!」
情けない悲鳴を上げながらずずずっと尻込みした黄瀬を追い詰めることはしない。正確に言えばできなかったのだが、笠松は代わりに一際強く睨むと、ゆっくりとベッドの脇を背にして凭れかかった。丁度ふわりと涼しい風が吹いて、気持ち良さに眼を細めた。
外はかんかん照りの猛暑日、しかし部屋の中は適温に保たれている。肌を時折薄く撫ぜる風の心地良さは格別だった。
笠松の部屋と違い、黄瀬の家にはエアコンが設置されている。それを好ましく思うのはこういうときだ。普段冷暖房機器を使わない笠松だったが、流石に午前中から情事に耽った後では話は違った。あんまりこの温度に慣れてもいけないよな、と思いながらも、笠松は涼むのを止められない。気が抜けていくのが解る。こうして人間は怠惰になっていくのだ――ともっともらしく心の中で嘯いた。
「――そもそも補充も何も……せいぜい二週間だろうが、会わなかったのって」
高校生の黄瀬と大学生の笠松では生活サイクルが違うのは当然だ。更に言えば黄瀬にはモデルという副業もあり、一層不規則な日々になっている。薄目を開けて黄瀬を見やった笠松に返されたのは、しかし予想外に硬い声音だった。
「違うっスよ、センパイ。――会わなかったんじゃなくて、会えなかったんだよ」
そう口にした黄瀬は何処か情けなさを引き摺ってはいたものの眼つきだけは鋭く笠松を見ていた。
「オレは、だって、会えるもんなら毎日会いたいんだよ。一緒にいたいし、一緒にいるならいるでくっついてたいし、っていうかヤリ……」
「最後が本音だろうがテメェ!!」
蹴りを鳩尾目掛けて放つ。どうしてこうも若さが間違った方向に暴走しがちなのだろうか、この男は。涙目になって腹を押さえる黄瀬があんまり情けなくて、笠松は深く息を吐いた。首の裏に手を当てると、冷房のお陰で肌はひんやりとしていた。
「……そんなに、べたべたひっついてて何が楽しいんだよ」
「楽しいっていうか……安心できるっていうか」
「オレはライナスの毛布かよ」
正座して小首を傾げる仕草はわざとらしいにも関わらず、殊勝な態度が妙に可愛らしく見えてしまうのは惚れた欲目か。ついさっきまで自分を散々いいようにしてくれた男であることを忘れてしまいそうだった。
「もしくは、センパイと一緒にいるんだなって心身ともに感じたいと言うか、癒されたいというか」
「森林浴かよ」
どうも黄瀬が笠松に求めてくるものが子どもの欲求直球で、小さく苦笑を漏らす。
「……お前さぁ、もしかしなくても疲れてんだろ」
「――ちょっと」
本音を衝かれたのか、僅かに眼を瞠った黄瀬も観念したように苦笑した。
「最近仕事詰められちゃって。部活優先したいって言ってたんスけど、こればっかりは」
モデルの仕事を選んだのも自分なのだから、と黄瀬はそれ以上胸の内を吐露することはなかった。眼を伏せた黄瀬の何処か物憂げな顔が珍しくて、笠松はこれは本当に疲れてんな、と一人納得した。
帝光時代とは違い、二年生にして部を――ひいてはチームを牽引する立場になっている黄瀬にとって、部活と仕事、そして学校生活とを過不足なくこなすのは容易いことではないだろう。ましてや全国大会常連である海常高校バスケ部なのだから。
首の裏を擦っていた手は自然止まっていて、躰の脇に投げ出した掌を何度か握っては開いてみる。視線は黄瀬の膝頭に投げたままだった。
「――くっついてりゃ、お前元気になるのかよ」
「……親父ギャグで返した方がいいスか?」
「真面目に」
俯き加減になっていた所為で上目遣いになってしまう。黄瀬の降りてくる視線を掬い上げて、笠松は先を促した。
黄瀬はその琥珀色の眼をくるり動かして斜めに飛ばし、暫し思案気な顔をしてみせたが、のそりと膝を進めて距離を詰めてきた。のそり、のそり。
「くっついててもいーんスか」
「少しばかり冷えたからな」
ん、と手を伸ばして黄瀬の頭を撫でる。顔を擦り寄せてきた黄瀬に、先とは違い真正面から抱き着かれる恰好になった。首根に押し付けられた額の熱が、じわり皮膚に滲みこんでいく。
「……あったかくなるまでくっついててもいースか」
「あぁ」
ぴったりと貼り合わせた肌と肌の間には冷気も通り抜けることはない。皮膚の内側の熱が、触れ合った場所からじわりと移り、移ってくる。
「あったかくなってもくっついてていいスか」
「……程々ならな」
たとえずっとこのまま抱き合っていたとしても、しかし、黄瀬が抱いているだろう感情や感覚が消えることはないのだと笠松は知っていた。高校時代と違い、明確な約束がなければ会うのも一手間がいるようになった。それは直結して二人の環境の隔たりを表している。高校生の黄瀬、大学生の笠松、二歳という年齢差以上のものを、黄瀬はこの二週間に感じていたのだろう。
――けれど。
少しかさついた手で黄瀬の頭を抱き込む。体育会系で接触過多のきらいがあるとはいえ、それとこれとは全く別物の触れ合いで、少しの隙間も許せないのもお互い様だった。足の間にその身を割り込ませくる黄瀬の重みを脇に逃すこともできず、笠松はベッドの側面に押し付けられる形になった。
「……こんだけくっついてんのに、何でまだ足りないって思うんスかね、オレ」
「オレが知るわけねぇだろ」
「そっスね」
ぐりぐりと頭が動くたびに、黄瀬の柔い髪の毛が頤を擽って仕方がない。笑いを殺した代わりに吐いた息に重なって、黄瀬がぽつり呟いた。――オレ、本当は解ってるんスよ。
「本当は足りてないなんてことなくて、もう十分なくらいなのに、まだまだ欲しいって思っちゃってるだけなんだって」
「……ふぅん」
曖昧な相槌を打ち、黄瀬の頭にことり自身の頭を預ける。黄瀬が口にしたそれは、ぴたりと貼り合わせた肌と肌がこれ以上近付くことが叶わないのは解っていても尚、抱き込む腕に力を込めてしまった自分の気持ちと違うものなのか同じものなのか、を笠松は考えた。これ以上埋めようのない距離だというのに、いっそマイナスの距離に至ってしまいたいくらいのこの心と同じものだろうか。――同じであればいい、と思った心を認めてしまい、黄瀬のことが笑えなかった。
「――欲深だよな」
「お互いに、スか」
「……まぁ、な」
打てば響くような、小気味良い黄瀬の返しに思わず笑ってしまう。笠松が思っている以上に、黄瀬は笠松のことを解っていたようだった。
「ね、センパイ。欲深くなるのはオレ相手にだけでいてね」
触れ合った肌は熱いばかりだったのに、それでも何も言わないことが返事だった。





(埋めようのないこの距離のこの熱で解れ、馬鹿!)


0cm.
身長差は十一センチ。」様提出作品です。
素敵な企画にこそこそと参加させて頂く……そんな自分のチキンはさておき、当日多くの黄笠に出会えることが今から楽しみです。
企画者様に感謝致します。

(20110626/0704)