forget-me-not blue
「名前って、奪われたらどうなるんスかね」
黄瀬の独り言の大半は聞き流すのに、それだけは何故か流せずに振り向いた。
笠松の隣を歩いていたはずなのに、いつの間にか立ち止まってその間は随分と開いている。
夕陽を背にする黄瀬は、その金の髪まで赤く燃えて見えた。
ちりちりと、夕陽というには随分と強過ぎる赤は濃く、赤よりもそれは紫混じりのどろりと溶け出しそうな色の空で、その中で黄瀬が立ち止まったまま。
まるで飲み込まれるのを待つかのように、立ち止まったまま。
――何に、飲み込まれるようだと思ったのだろう。笠松は自問した。
「――いきなり、どうしたよ」
「オレの名前、が、もし奪われちゃって、黄瀬涼太じゃなくて、唯そこに在るだけの何か、みたいになっちゃったら、どうなるのかなって」
一つ一つの単語を吐くのが億劫なように、途切れて届いた言葉に笠松は眉を顰める。
「……先ず、その名前が奪われるとかが意味解らねぇンだけど」
「や、オレにも解んないス、けど」
たは、と笑う黄瀬はいつもの黄瀬と何ら変わらなかったが、それでも心臓がどっどっと乱暴な力で血を忙しく全身に送ろうとしている。
まるで緊急事態だとでもいうように。
内側からの催促を落ち着かせようと一つ深呼吸を吐き、笠松は言う。
「――お前が、いなくなるわけじゃないんだろ?」
「……?」
「だからよ」
ずいと大股の早足で来た道を引き返し、黄瀬の前に立つ。
そうして夕陽に焼かれて赤い後頭部を掴むと、ぐいと腕の中に自分より大きな躰を抱き込んだ。
よろけた黄瀬の躰を何とか足を踏ん張って支え、背中に片腕を巻きつけた。
「取り敢えずお前こうしてから、ちゃんといるんだって確かめて。で、奪った奴ってのか、そいつぶん殴りに行って取り戻せばいいだけだろ。馬鹿の癖に難しいこと難しく考えてんじゃねぇよ」
単純馬鹿の癖に、と口悪く続けた言葉に応えるように、黄瀬は無言で笠松を抱き締め返す。
「お前は、ちゃんといるだろ」
「……っス」
黄瀬の焼かれた背中を労わるように、笠松は優しく、しかし指先にきゅっと力を込めた。
forget-me-not : 勿忘草