baby act
作品の一部にR-15程度の描写を含みます。
十五歳以下の方(義務教育未了の方)の閲覧はご遠慮下さい。
馬鹿がいる。
どれくらい馬鹿なのかは、今からコイツが口にする一言だけで事足りる。
まだオレの中に居座ったまま、吐き出されたものと中のもので膨れた気がする腹をそうと擦りながら、黄瀬は呟いた。
「本当にこれでも赤ちゃんできないって、逆に不思議っスよね」
お前のその考えこそが不思議そのものだ。お前今までに経験あるんだろう、なぁあるんだろうモデルさん。なのにその無知は何なんだ、天然物の馬鹿なのか。
本当も嘘も、明らかな事実。未来永劫オレに子どもは産めない。
黄瀬がきらきら蛍光イエローも霞むほどの輝いた笑顔でオレの背後に陣取り、足の間にオレを挟みこむようにして座る。オレはそんな奴にもたれかかるように雑誌を読む。黄瀬曰く至福のときで、オレ曰くのジャストフィットクッションな時間なのだが、その日の黄瀬は、きらきら輝く星を手に入れてそっと後ろ手に隠している、みたいな妙にそわそわした顔でオレの様子を探っていた。まるで子どもが母親に素敵な宝物を見せようとする前のような、どきどきとわくわくを隠そうとしても隠し切れていない顔。
そうして何故か、オレの腹をそろそろと擦ってはきゅっと抱き締めてくること数十回。何だ、一体何なんだ。
ぶっちゃけて言うならば、そのとき、既に悪い予感はしていた。だが敢えて無視していた。こちらから相手に都合よく契機を与えるわけにはいかなかった。無駄だった。
堪えきれなくなったのか、パタパタ尻尾を振りながらセンパイ!と弾んだ声で呼ばれる。あぁ振り返りたくない、振り返りたくないのに。すっごく眼をきらきらさせて輝く琥珀色が好きだったから、オレは、振り向いた。振り向いてしまった。――予想通り、よりも、予想以上に満面の笑みの黄瀬。感染して思わず緩みそうになった口元を、意識して引き締める。
「――ンだよ」
「センパイ、知ってましたか! あのスね、男同士でも赤ちゃん、できるんスよ!!」
「――――――――…………………………」
――知りたくもなかったし聞きたくもなかった。
直後、黄瀬の顔面に裏拳一発。脊髄反射だった。
そして取り敢えず、顔面をお岩にするか股間を犠牲にするかの二者択一を提示。どちらも嫌だと喚いた犬の頭に再度裏拳をお見舞いする。躾は大事だ。
「痛!」
「痛くしてんだから痛いに決まってんだろーよ。馬鹿か、お前は馬鹿か。そうだったな、馬鹿だった」
淡々と紡いだ言葉に黄瀬があんまりっスと泣く。
「馬鹿じゃないスよ、だって実際帝王切開で出産したって!」
「ほーぅ、誰情報だそれは?」
「黒子っちっス!!」
何てこと吹き込んでくれたんだ透明少年。存在感薄いくせに発言が濃いのはどうなんだ透明少年。考える人よろしく思わず前屈みになって頭を抱えたオレに、黄瀬は仕入れたばかりの知識を嬉々とした表情で直送してくれる。
「あのっスね、これ別に男同士でっていうか、女の人のための研究でもあるらしくて。体外受精の応用?とからしいんスよね、だから」
そんな知識を仕入れるんならもっと常識を仕入れてくれ、黄瀬。そのドヤ顔やめてくれ黄瀬。
一体この馬鹿犬をどうしてくれようかと頭を巡らせたオレは、一瞬気を抜いていた。その隙に目敏く黄瀬はオレの足の間と胸元に手を伸ばした。するり寝巻き代わりのスウェットの内側に入り込んでくる指に、否が応でも声が跳ねる。
「――っちょ、テメェ、黄瀬!」
「こういうことって、でも何よりも実践だと思うんスよ」
「お前実践も何も、今体外受精って言ってたじゃねぇか、意味解ってんのか、おい!」
「解ってるスよーそんくらい。だから今生で中で出しても絶対に妊娠しないってことスよね?」
「っ違うけど若干合ってるけど何か違う! お前その考え方は何か違うぞ!? っていうか受精には精細胞と卵細胞が必要で、つまりその必ず女性の協力が必要で――……って、オレに何言わせてんだテメェ!!!」
「おうっふ!!?」
無茶苦茶に振った肘が黄瀬の脇腹を抉る。緩んだ拘束から何とか這いでようとフローリングの床に手を突くと、復活が早すぎる黄瀬にのしかかられる。何だこの回復力は。腹の辺りで両手を組まれて、黄瀬の上体の体重を全部背中に受け止める。尻が、黄瀬の腰にもろに押し付けられる恰好になって。
「センパイ、よくもまぁオレの前で四つん這いなんてできますねー?」
「そんな意味ねぇから! 勘違いも、程ほどにしろ……!」
黄瀬のそれが、硬くなっているなんて知りたくもないのに知らされる。
「えー、でももうこうなっちゃってる以上、そうしちゃうのが自然の流れっていうか?」
「お前は自然を勘違いしてる! 自然はそんなんじゃねぇ! 帰るな自然に!」
自分でも最早何を言っているのか解らない。が、ここで黄瀬の流れに飲まれるわけにはいかない。足掻き藻掻くオレに、黄瀬は直接的な力行使してくる。
「――離せ、おい、っ黄瀬……!」
オレのに服の上からやんわりと触れてくる黄瀬に押し潰されるようにして、腕を床についてしまう。駄目だ、今のこの体勢は完全に黄瀬の思う壺だ。焦る脳内に、黄瀬の呟きが落ちた。
「――だって、センパイ子ども好きでしょ」
「は?」
ぽつん、と落ちた言葉はさっきからの話題を引きずっていて、でも何か違って。オレは首を捻って黄瀬の顔を見ようとした。けど、まるで隠すみたいに額を項に押し付けられてしまったらもうどうしようもない。オレのに触れていた手が、滑って腹を撫ぜた。何かを確かめるように、ゆっくりと、指の一本一本で触れて。
「……オレは子どもとかあんま興味ないスけど。でも――絶対オレとじゃ無理だから。でも、実際男同士で子ども持てるってあるんだなって解ったら、そういうのもありなんだって思ってスね」
オレだって、男同士のセックスで子ども作れるとは思ってないっスよ? そうおどけるみたいに口にされた言葉。それと裏腹。抱き締める力が強くなった。
「……黄瀬」
黄瀬はあけすけに感情表現をする方だが、肝心要の部分でいつだって強がる。何てことないのだとか笑っていても、ちょっと突付けば簡単に泣いてしまうようなところがあって。――そういう部分込みで、好きなわけだけど。
オレが子ども好き、男同士、子どもは無理、で。
今回の黄瀬の思考の流れが何となく、読めてしまった。これは溜息を吐いていいレベルなのかどうなのか。自分でもよく解らない。怒っていいレベルではあるかもしれない。あ、そう思ったら何かむかっ腹が立ってきた。今直ぐ腹に一撃くれてやりたくなったが、一つ、深く息を吸って、吐いて。落ち着きたいときには深呼吸。
「……確かに、オレ、子ども好きだけどさ。それとお前の子作り実践にかこつけた単なる性衝動と何の関係があんだよ」
「――それ、は」
「あれか? やっぱり子ども欲しいから別れてくれって、この先オレが言い出すかもしれないどうしようあぁどうしよう、あ、男同士でも子ども作れるならそれを理由に別れを切り出されることはないかも、よし! ……ってか?」
「……っス」
授業中でも予想でも、当たって欲しくないときに当たるのはどうしてだろう。全くもって不思議だ。これは確率論として成立する気がする。もしくはあれか、心理学的な統計が取れる気がする。まぁ、単純に印象強くなるからって返されるだけなんだろうけど。と、どうでもいいことを考えて、戻って、やっぱり出たのは溜息だった。ごろり漬物石を吐き出すみたいに、大きくて深くて重い溜息。
「……あのなぁ。先のことを勝手に妄想して不安がって、で、自分の中で解決してって突っ走りすぎだろーが、おい。流石に心配したくなるレベルだぞ、おい」
「……っス」
黄瀬がぐっとオレの躰を自分に引き寄せて。わざとかどうかは解らないけど、尻に当たるものがなくなって、腰を引いてんのか、と思う。今更恥じらいを取り戻しても遅い。
そもそもこの体勢で何でこんな色気ないことを喋ってんだか、オレらは。いや、これは色気ある話題か。
と、考えて、万年発情期なのは別に黄瀬だけじゃないことに気付く。この体勢に完全に慣れている自分が怖い。ヨガか何かやっていない限り、普通はこんな姿勢を取ることはないのに。そして勿論オレはヨガはやっていない。
「――兎も角だな、黄瀬」
わざとらしい咳払いをしなかっただけオレはまだ冷静だった。しかし、取り敢えずこの体勢をどうにかしよう、という方向に頭を働かせられなかった時点で、やっぱり冷静ではなかった。
「まだオレ、子どもがどうのこうの言えるレベルじゃねぇよ。自分のことで手一杯だし。で、解らない未来のこと考えて今不安になってんじゃねーっての。今には今しかやれないことあんだろーが」
「……いや、でもセンパイならそこら辺のドウナノ夫婦より今でも余程子ども育てられると思うんスけど」
「そういう意味での手一杯じゃねーよ、ボケ。今のオレはバスケと受験とお前のことで手一杯だって話だよ。他に回せる余裕なんてねぇの。解ったか……っつか、解れ馬鹿」
黄瀬の拘束が緩んだのをいいことにのそりと上体を浮かせる。このまま匍匐全身で逃れることも一瞬頭を過ぎったが、今ここでこのままこの黄瀬を放置することは後々面倒だ、と判断する。
黄瀬はまた、結構引き摺るタイプでもある。青峰しかり、黒子しかり。だから断つときに断っておかないといけない。ぐるり、躰を反転させて、小猿が母猿にぶら下がるみたいに首に両腕を回した。
流石の黄瀬も平均身長を上回る体格のオレにぶら下がられて尚耐えられる腹筋を持ってはいない。反射で片手を床に突く。片手だけなのが忌々しい。しかしそういう些細なことに気を荒立たせるのは、全く無意味だってのももう解っている。
まだ眼を伏せてオレからの視線を受け止めないようにしている黄瀬をそのままに、その首に耳を押し付ける。耳殻で太く早く波打つ脈を感じた。
「そもそもオレにはな、でかい図体してよく解らん方向に突っ走る馬鹿な子どもが一人既にいんだよそいつで手一杯で精一杯ってんだ馬鹿な子ほど可愛いともいうけどまぁそういうことだ解ったか馬鹿」
流石に言っている最中から恥ずかしくなって後半息継ぎなしで言い切った。首に回した腕の力も強くなる。オレは何でこんなことで肺活量を試さなきゃいけないのかと自問自答するが、それはおいおい考えよう、そうしよう。この体勢だとオレの顔も黄瀬には見えないから好都合だった。顔が熱い自覚がある。それはもう茹でた蛸かってくらいに。
しかし黄瀬が、何も言わない。
この体勢でまさかの沈黙が降って、手も足も動かないで硬直している黄瀬にどうすればいいのか解らない。普段だったら即座に「センパイ大好きっスー」とか言いながらコトに及ぼうとするのに。何で静かにして欲しいときに静かにならないで、何か言って欲しいときに何も言わないんだ、黄瀬。さっき嬉々として男の妊娠について話していたお前のあの明るさが今欲しいんだが。まさかの事態に窮する。
オレとしては、黄瀬が盛る、殴る、解決という明確なビジョンを持っていたわけで。まさかの盛るがないと、以降の行動ができなくなる。何て手詰まりなんだ。オレの計画があまりに単純すぎた所為か。
取り敢えずこの姿勢をいつまで維持すればいいのか、誰でもいいから教えて欲しかった。そんな都合のいい誰かが現れることなどないと解ってはいたけど、藁にも縋る思いで黄瀬にしがみついたままのオレにはそこら辺はどうでもよかった。
「…………おい黄瀬、何か言え」
しかして、先に根を上げたのはオレの方。八方塞がりの状況を打開すべく、水を向ける。そして願わくば阿呆なこと言ってオレにしばかれてくれ。随分勝手なことを言っている自覚はある。
すると、する、とオレの腰を支えるように回されていた腕が肩甲骨の間辺りに添えられた。そのまま視界が壁から天井に変わる。背中と床がくっついて。支えができたことに糸が撓んで、ゆっくり噛り付いていた首根っこから腕を外すと、黄瀬がずい、とオレの顔の両脇に手を突いた。
「――だって、オレ子どもじゃないスよ」
黄瀬を見上げて、黄瀬に見下ろされて。
オレに覆い被さる黄瀬のその眼に、声に、自分が完全に選択を間違えたことを知る。これは盛る段階を飛び越えている。これはもう、食べる段階だ。食べられるのは無論、オレ。
動物が飢えたときの眼をオレは知らない。けれど、黄瀬が飢えたときの眼なら知っていた。――まさしくこれだ、この眼だ。ぎらぎらと、潔癖さや穏やかさには程遠い、荒ぶる心と躰と欲を無理矢理押さえ込んで、今まさに爆発させようとしている眼。
オレに飢えてる眼、だ。
そろりと顔の輪郭をなぞるように滑り落ちていく掌には遠慮がない。咽喉仏を押さえたり擽ったりして、それこそ息の根を止めたいような仕草をする黄瀬を思わず睨む。黄瀬はそんなオレの耳元に唇を寄せると、低く、歌うように囁いた。
「子どもってこういうことしないでしょ」
「……最近の子どもは早熟だからな。お前だってそうだろうが」
掻き集めたのは理性とか根性とか。黄瀬にこの流れで引っ張り込まれるのは未だに癪で、最後まで足掻こうとするオレも込みで、黄瀬は楽しんでいるんじゃないかと思う。現に横目に見た黄瀬は、オレの皮肉めいた一言にも笑うだけだった。
「否定しないっスけど。子どもって、好奇心だけでこういうことしちゃえるじゃないスか。半端に知った後は遊びみたいに。でも」
そこで区切ると、また上体を起こす。
「オレ、子どもじゃないから、好奇心でも遊びでもないし。好きだし、恋してるし、惚れてるし、だからしたいって思って。本気で断られたら引くくらいには、愛してて。でも、それが全部受け入れられて――それ以上のものを返されるから、たまらなくなるんスよ」
今みたいに、とオレを見る黄瀬に、こっちが堪らない。眩しいものを見るみたいに眼を細めて、こっ恥ずかしいことこの上ないことを言ってるのに、ちっとも臭く感じなくて。大半の奴が口にしたら上滑りしそうな、歯が浮いて溶けるくらいの言葉なのに、それが心臓に重く響くってどういうことなんだ。
飾られていない、真っ直ぐな告白に。
堪らないのは、こっちだってのに。
「……馬鹿が」
視線を逸らしたオレを無理に自分に向けようとしない。それがまた悔しい。オレがもう止める気がないのを黄瀬はちゃんと解っている。ここじゃ痛いでしょ、と軽々オレを抱き上げて先まで背もたれ代わりにしていたベッドの上に下ろす。そうしてまたさっきの体勢。仰向けのオレに覆い被さる黄瀬の図の出来上がり。違うのは、オレが黄瀬のシャツのボタンに手を伸ばしていること。
胸から腹まで、向かい合わせになった他人のボタンを外すって実はあんまりない体験だった。黄瀬はそれをさも当然のように受け入れつつ、オレのズボンを下着ごと脱がしている。お互い、無駄な時間をできる限り省こうとしているのがちょっと笑えて、黄瀬もそれは同じみたいだった。くすくす笑う声が重なる。
「――でも、子ども欲しくなったら言って下さいっスね。オレ幾らでも協力するんで」
「……や、だからそんな余裕ないし、産めないし、産む気ないし、ってかお前協力って」
「精子の提供とか? 後、まぁオレが産めと言われ……」
「いい、そういうのいいから!」
「そっスか?」
本気か本気じゃないのか解らない。いや、多分冗談半分本気半分なんだけど。やっぱり笑ったままの黄瀬のシャツの後ろ襟を引っ掴んでぐいと引っ張り下げる。剥き出しになった躰は同じバスケ選手として羨ましいくらいのもの。キセキと謳われる才能が遺憾なく発揮されるための躰。――子どもらしさの欠片もない、緊密で削ぎ落とされた男の躰。
「相変わらずむかつく躰だよな、お前」
「褒め言葉として受け取っとくっスよ」
オレの足から下着と一緒にズボンを引き抜いて放り投げる。下が真っ裸の状態でも恥ずかしさを感じないのは、これも慣れか、それとも男同士だからか、両方か。さっさと上も脱ぎたいくらいになっている。
「センパイって、その気になると早いっスよね」
さっきと打って変わって黄瀬の方が落ち着いた声。本当にコイツは手のかかる馬鹿な子ども九割なくせに、一割の妙なところで子どもじゃなくなる。全く、随分とオレを振り回してくれる。それが嫌じゃないオレもかなりの馬鹿ってことなんだけど。あぁ、だけど。
これからちっとも可愛くない行為をするってのに、本当馬鹿な子ほど可愛いってのは名言だな、なんて。どうでもいいことを思いながら、黄瀬がシャツをベッドの脇に放り投げるのを見た。
(一人で手一杯なんだけど)
baby act:子どもっぽい行為;
《口》未成年[子ども]だという理由での弁解[抗弁, 責任免除法規]