be in a pickle
夏休み明けの部活終わり、部室で森山が言い出した。
「――夏のあの試合は、前哨戦だったんだ」
「はい?」
着替える手は止めず、黄瀬は視線だけを森山に向けた。今部室にいるのは、黄瀬と森山、そして早川と小堀という馴染みのレギュラーメンバーだけだった。
黄瀬にとって、夏、と言われて思い出すのはインターハイだ。桐皇に敗北を喫してのベスト8という結果は、黄瀬にとっても悔恨の残るものだった。全力を尽くした、けれども届かなかった。後悔はないなどとけして言えない。それでも今こうしてまだバスケを続けているのは、借りを返したいから、その一心だった。
そして黄瀬は、自分以上にその敗北と結果を悔やんでいる人間がいることを知っている。悔やみ、苦しみ、自分を責めた人を知っている。一人で泣いた人を知っている
黄瀬だけではなく、この部にいる者は全員知っている。この場にいる者ならば、尚更だ。それなのに。
「――前哨戦って」
森山の真意を探ろうとなるべく軽めの声を意識するも、不穏な口調になってしまい内心舌打ちする。しかし、黄瀬のその声音の低さに気付かなかったのか、敢えて気付かない振りをしたのか。森山は立てた人差し指をちっちっちっ、と顔の前で左右に振った。
「つまり、食欲の秋・芸術の秋・そして……スポーツの秋!」
がっと拳を握った森山は、そのままラオーよろしくその拳を天井に高々と突き上げた。
「バスケ一筋のオレ達の雄姿を女の子に見せて仲良くなる絶好の機会ということだ!」
「――――…………あぁ……」
全身が脱力する。そうだ。夏にはもう一つ試合があったのだ。キセキの一人、ZUNONBOYで表紙を飾るほどの人気モデルでもある黄瀬という男を擁していたにも関わらず、二連敗――しかも惨敗という悲劇の試合が。
「……まだ、懲りてなかったんスか?」
「懲り(る)って何だ! 諦めた(ら)そこで試合終了だ!」
常に森山側の早川の援護射撃はどうにも的外れだが、黄瀬は体育会系縦社会の伝統に則って静かにする。唯、やられっぱなしでいるわけではない。救援信号代わりの視線を小堀に向けて、口をぱくぱく開閉させる。
(何とか言ってやって下さいっス!)
その救援信号が届いたのかどうかは定かではないが、小堀が苦笑しながら「まぁ待てよ」と口を挟んだ。
「何だよ小堀」
「オレ達の雄姿を見せるって言ってもなぁ、それ言ったらいっつも黄瀬のファンの子達に見せてるってことになるんじゃないか? 今更取り立てて何かすることはないって。それこそ今まで通りで十分だろ」
「……確かに」
小堀のもっともな意見に丸め込まれた森山は、顎に手を当ててぶつぶつ考え始めた。ナイス小堀先輩、と黄瀬は心の中で親指を立てる。この隙に帰ってしまおうと、そそくさと荷物を鞄に詰め込んで「お先に失礼します!」と逃げの一手を打った、そのときだった。
「――何だ、黄瀬、笠松待たなくていいのか?」
黄瀬の足をその場に縫い付けたのは、今し方黄瀬を窮地から助けてくれた小堀だった。
「――え、と、その」
視線を左右に泳がせた黄瀬を、更に容赦ない一言が襲う。
「……黄瀬、お前今さっさと帰ろうとしたな? 巻き添え食うのを避けるために」
「ぐっ」
「んだと!!? お前いないと勝算が低くな(る)のに!!」
「あ、それは解ってんだ早川」
「勿論す、こぼっさん!」
両の手をぐっと固めた早川とにこにこ笑う小堀の脇をすっと通り、森山が硬直したままだった黄瀬の肩にぽん……、と手を置いた。
「笠松はもう少し遅くなるはずだからなぁ。それまで黄瀬君は待っててあげるんだよな? な、一年生エースの黄瀬君? 昨年まで中学生だった黄瀬君?」
「何なんスか、その搦め手は何なんスか!?」
「黄瀬、お前よく搦め手なんて言葉知ってたなぁ」
「か(ら)めてって何すか!」
「搦め手っていうのはだな……」
だらだらと汗の流れる背中に、小堀と早川の牧歌的な会話が聞こえる。もう助けて小堀先輩、とも言えない。救援信号を送る気力もなくなった。
「さーて、次の試合の作戦を練るか、な、モッテモテの黄瀬君よ!」
がっと強く肩を抱かれたが、これはほとんど拘束と同義だった。
せめて笠松が一分一秒でも早く帰ってきてくれることを、黄瀬は心から祈った。
be in a pickle:《口》困っている。