黒子のバスケ

Spare the rod and spoil the child.

1:甘やかさないように気をつけましょう

黄瀬はよく甘えてくる。
その甘え方は色々あって、犬みたいに濡れた眼でくんくん鼻を摺り寄せてきたり。
かと思えば猫のように気侭に近付いてきてごろんと膝に頭を乗せてきたり。
そうそう、ハムスターみたいに、きゅるんと丸まって身を寄せてきたときもあった。

つまり、奴の甘え方は基本的に動物のそれに非常に近い。
だから、つい気を抜くことが多いわけで。

その日もだらりと仔猿のように背中にべったりと貼り付いて来た黄瀬にされるがままで、手元の雑誌を読んでいた。
馴染んだクッションに胡坐を掻き、読んでいたのは珍しくバスケ雑誌ではなく大学進学情報誌。学校で配られたそれをぱらぱら捲って、いいなと思ったところのページの端を折っておく。
バスケ推薦で進学を考えているものの、それでも自分のやりたいこととか将来とか。そういうのを考えると、色々と情報は集めておくのは大切だ。
で、そのとき、あ、ここも、と折ったのは東北の方の大学だった。
「……センパイ、そこ行きたいんスか?」
のそりと背後から覗き込んできた黄瀬の声に、んーと生返事をする。
「できれば関東がいいんだけどな、でも地域だけで選ぶのも狭いだろ。ほら、帝光のあのセンター、紫原だっけか。アイツも北の方行ったじゃん」
ぺらりと次のページを捲る指を押さえるように、黄瀬の手が重ねられた。
「どうしたよ、黄瀬」
「……駄目、スよ?」
あんま、遠いとこ行っちゃ、駄目。
ぐりぐり後頭部に額を押し付けられ、腹に回された片腕にはぎゅっと力が込められ。まさに「抱き締められてる」って状態になる。子どもが人形抱き締めるみたいな力加減のなさに反射で眉を顰める。
「あのな、今や東北新幹線であっという間に青森に行ける時代だぞ? 日本国内でかつ電車で行けるくらいの距離――……」
「海外、考えてるんスか?」
「……や、そこまでは考えてねぇけどよ」
そりゃ、あんまり遠いとこになればなるほど、会うのは当然難しい。金銭的にも時間的にも。特に黄瀬なんか、前者はどうだか知らないが後者はどう足掻いたって増やせるものでもない。
無理すれば、とか、頑張れば、とか。
そういうことをオレとの付き合いでさせることはしたくなかった。だったらオレができる限り黄瀬に合わせてやりたい。実際問題、その場合オレは前者の部分で厳しいわけなんだけど。
「――ね、お願い、センパイ。遠く、行かないで」
「……」
黄瀬の言う「遠く」が、現実の距離や時間の問題のことばかりを指しているもんじゃないってのは、解ってて。
上手くは言えないけど、会う頻度とか、立場とか、心の距離っていう奴なんだろうか。
関係の変化を、黄瀬はここ最近酷く怖がっている。
今までとがらりと変わる。一つ歳を取って、高校生と大学生、って区切りに変わる。それだけなのに、もう違う。
同じ校舎じゃない。
同じ部活じゃない。
同じ時間じゃない。
同じ帰り道じゃない。
関係は変わらないのに、環境が変わって、そうして関係まで変わってしまうことを黄瀬は怖がっている。
それはきっと、帝光時代の名残だ。環境は変わらないままで、でも関係が変わって、為す術なくその変化に立ち尽くすだけだったことを、黄瀬は忘れられないでいる。そうそう簡単に忘れられるものでもないだろうけど。

「……オレ、そこまで不器用な人間じゃないっての」

手元の雑誌を放る。その手でぽんぽん、あやすように黄瀬の頭を軽く叩くと、むずりと頭を動かした黄瀬が、頬と頬とをくっつけるように横目でオレを見た。
まるで打たれた犬みたいに悲しい眼。じぃと見るそれは哀願する眼で、見ているこっちが寂しくなる。そんな眼、しなくてもいいのに。
「まぁ、お前に比べたら明らかにメールの返信量少ないし、遅いし、そこで量られたらちょっとつれぇけどさ、でも、お前と付き合ってるってことをなぁなぁにしようと思ったこたぁねぇし。それなりの臨機応変力は持ってるっつうか。だからさ、」
怖がるのはいいけど、怖がるだけに、しとけ、って。こつんと額と額を突き合わせる。風邪のときに、熱測るみたいにすりと寄せて。
「したら、ちゃんと安心させてやっから。メールだって、何ならお早うメールくらいしてやるぜ?」
頭を撫でていた手でそのまま後頭部を押さえて、触れるだけのキスを黄瀬の唇に落とす。離れるとき、サービスでリップ音一つ加えてやった。滅多にしない大出血サービスだ。――黄瀬にも、自分にも。
「な、黄瀬?」
こんな状況にでもなんない限り、条件反射で甘い雰囲気とやらを徹底的に拒んでしまうのは、もうしょうがないんで諦めて欲しいわけで。
だから、今オレが自らこういう雰囲気にしているってこと――オレに、こういう雰囲気にさせてるってことを、黄瀬は実際もっと自惚れて欲しいんだけど。
それを言わずして解れっていうのも無理難題だし、オレの我儘ってのも解ってるから。
オレからのキスで緩んだ拘束の中で躰を反転させて、その首に腕を回す。
一連の動きについていけないみたいに、黄瀬は濡れた眼をぱちくりさせて。
うん、犬だ。不意打ちで骨をもらったときの犬。条件反射で咥えちゃったときのあれ。咥えた後に骨だって気付いて、改めて喜ぶ、その寸前。
「……センパイ?」
「取り敢えず、だ。この距離でオレがこうして、後お前はどうする?」
最後の一押し。一、二、三、で。
触れてきた唇、入り込んできた舌、それと、服の裾に入り込んできた、手。
「……そりゃ、こうするしかねーっスね」
離れていくとき、黄瀬が小さく息を吐いて、笑った。先はきっと不安で濡れていた眼。それなのに今は熱くなった躰と欲で濡れていて。
「センパイも、実は結構甘え上手スよね」
その吐息と声音も確かに色付いていることに、ぞくりと下腹が疼く。
そう、本当、お互い結構甘やかしあってるっていう自覚があるから性質が悪ぃんだけど。気抜いてしまっているから尚更、歯止め利かないし、絆されまくるし、でも。
「甘えるって点では、お前には敵わねぇけどな」
「煽るって点では、オレはセンパイに敵わねぇっス」
言いながら、座るオレのジーンズを器用に脱がしていく黄瀬は、もうすっかり獣欲の虜で。今さっきまでくぅんと鼻を鳴らしていた犬は何処に行ったのかなんて思うよりも前に、再確認する。


こいつは動物みたい、じゃなくて、本能に忠実な、動物そのものだってこと。


Spare the rod and spoil the child.:《諺》子どもに鞭を惜しむと駄目になる。(=可愛い子には旅をさせよ)

(20110219)