monkey bite
※センパイと黄瀬が同棲しています。黄瀬大学一年生、笠松さん大学三年生。
顔色は普通、呂律も普通、近付いてきた足取りもしっかりしている。
けれども解る。
センパイは酔っている。そりゃ泥酔ってくらいに酔っている。
どうしてそれが解るのかというと、悲しいかな。
「黄瀬ー」
オレにこんな満面の笑みで抱きつくなんて、それ以外にない。
「黄瀬、黄瀬」
今日はちょっとゼミで飲んでくる。朝そう言っていたセンパイが帰宅したのは日付が変わるちょっと前。
玄関を開けてただいまの一言にオレがお帰りなさいと返して、それからリビングに来るまでは至って普通。
で、ソファで雑誌読んでたオレの前に立ったセンパイを見上げて笑ってお帰りなさい、と再度言えば、黄瀬と笑われて。
――冒頭。
きゅうきゅう可愛く首にしがみつかれて、胸に頬摺り寄せられて、つまり非常に密着しているこの状況で、何故オレは我慢しなければならないのでしょうか拝啓神様。
いや、これは我慢などしなくていいというお達しでしょうか神様。
「黄瀬、今日早かったんだな!」
猫のようにオレの腕の中で丸くなるセンパイは本当に酔っているわけで、酔っていなかったらこんなに積極的というか、甘えてくるわけはなくて、理由はどうあれ可愛いことに変わりはない。
つまりもうどっちでもいいと思えてきてしまうオレ。
どっちでもいいんでこの生殺し状態を脱するための知恵を誰かに授けて欲しい、切実に。
「センパイ、そんなに飲んできたんスか、今日?」
「んー、今日は日本酒一合くらい飲んできたー」
「一合でそんなんになっちゃうの!?」
弱いにも程があるだろう。一合でしょ、一合。
うーん、こんなに弱いなんて、センパイ弱いか強いかどっちかだというのは予想ついてたけど、まさか弱い方だったとはなぁ。
ごろごろと咽喉を鳴らすセンパイは、ここまでくると猫が憑いているんじゃないかってくらいに甘え上手。
シャツをくっと掴んで上目遣い。酒の所為でちょっと潤んでいる眼。ようやっと酒が回ってきたのか、耳辺りがほんのり朱色。
うん、誘ってるわけではないスよね解ってます。解ってるけど解ってない振りしてノリで襲いたい。
あぁ、でもなぁ。
「センパイ、ちゃんとベッドで寝よ?」
「うーん、黄瀬が運んでー。躰重いー」
酔ってるセンパイ相手にがっつりいっちゃうのもなぁ、邪道な気がするし。
ここは真摯に紳士な黄瀬くんを見せて……といっても、明日には全部忘れられてそうだけど。
「それじゃ、服はこのままでいい? それとも着替えたい?」
「着替えるー。着替えさせろ黄瀬ー」
おおぅ、このまま寝るのは寝にくいかなと思って付け足した一言に食い付かれてしまってちょっと動揺。
「着替えるって、その、上着脱ぐだけでいいスか?」
「うー、シャツもー」
そうですよねー、やっぱりそこ脱ぎたいスよねー。
しかしそうなるとオレも一緒に脱ぎたくなるんスけど、でも駄目だって解ってますー。
よっと横抱きにすると、センパイはふわっとするーなんてきゃらきゃら笑う。無邪気無垢な笑みにきゅっとくる。うわ可愛いー、可愛いよー!! 猫だ、猫だー!!
じたばたしたくなるのをぐっと堪えて、紳士な顔を作る。
「じっとしてて下さいっスね」
「黄瀬力持ちー」
センパイを落とさないよう気をつけながら彼の部屋の扉を開ける。
薄暗い中でももう何処に何があるのかなんて解っていて、というか元々整理整頓好きのセンパイの部屋なので、さして足元に気を配る必要なくベッドに運ぶことに成功する。
そうと優しく降ろすと、くったりとオレに身を任してくれちゃうセンパイを裏切るわけには行かない。こんな状態のセンパイに手を出すなんて、男として不誠実極まりない。
「あんがと黄瀬ー」
ふにゃりと笑ってお礼を言ってくれるセンパイの好意にもお応えしなければならない。頑張れ自分。
上着を脱がしてハンガーに掛け、失礼しますと一言置いてボタンに指を掛ける。そのときに、開いた襟元から除く肌に指先が軽く触れて。
「っうん」
「……っ!!」
まさかの鼻に抜ける甘い声。不意打ちでキた、下半身に。
「……黄瀬?」
「せ、んぱい……、その、あの……」
まだボタン一つも外していないのに、この下半身にぐっときたものをどうしろっていうんだ。
「黄瀬、どうした?」
くるり稚くも甘えるような濡れた眼がオレを見る。
これは何だ、何て名前の可愛さを武器に本能に訴えかけてくる生き物なんだ。解ってます、そのお名前は笠松幸男っていうんです。オレの恋人です。
「黄瀬、シャツ、脱がしてくんないのか?」
「……っいいえー、脱がすんで、ちょっと待ってて下さいっスねー……」
そうですよねー、どうしろも何も、オレが抑えるしかないんスよねー。
心で泣きながら顔は笑う。引き攣ってないかな、大丈夫かな。ぐっと自分を叱咤して。
そうと、雪の結晶に触れるみたいに指を慎重に這わせて、ボタンを一つ二つ、外していく。
酒を飲んでいて、で、まだアルコールが引き切ってないから肌が赤くなっていて、それがまた扇情的で。直に下半身に来て。
そうじゃないって解ってるのに、オレが勝手に煽られているだけなのに。
「センパーイ……」
酷いよーなんて、心の中でやっぱり泣く。こんなに煽っといて、やっぱりセンパイはまだオレが最後まで脱がすのを待ってる。黄瀬、なんて小首を傾げて。
「どうしたんだ?」
だからその信じ切った眼でオレを見ないで頂きたいわけでありまして。
……ちょっと、だけ。ちょっとだけいいかな。
「……黄瀬?」
自分が肌蹴させた胸元に、顔を近付け、赤い肌の上に一つ、啄ばむように口付けを落とす。
それだけで済ませようと思っていたのに、凄く勝手に、腹いせでちょっとだけ意地悪したくなって。
「っきせ」
更にシャツを開いて、肩口に近い鎖骨に歯を立てる。柔く、けれども犬歯で。それから消毒するように舌でぺろりと舐めて、最後にちゅっと音を立てて。胸元から顔を上げれば、センパイがオレを見ていて。
「……これだけは、許してね?」
センパイ、って狡く念を押すと、さっきまで信じ切った眼だったのに今はちょっと眉間に皺を寄せていて、唇を尖らせて。不機嫌な顔でセンパイは小さく呟いた。きせのばか。
「これだけなのかよ」
――――だから、もう。
どうしてそういうこと、言っちゃうのかなこの人は。
(拝啓神様、この人頂いちゃってもいいですか!)
《俗》愛咬のあと、キスマーク。