賢い犬リリエンタール

嫌いだと言う、嘘じゃない

兄さん、好きなんですかそれ。桜の声に、兄は背後を振り仰いだ。
「それ、」
今度は指示代名詞のみの簡潔な問いに、うん、そうだね、好きだな。口元を緩ませながら肯定する。
「可愛いよね、こういうの」
前を向きなおした兄と、ソファの後ろに立った桜の視線の先には同じものが映っている。大きな画面の中で、見かけとは予想外に滑らかに間接を動かせて二本足で歩くロボットは、一体どういう構造になっているのだろう。桜には見ただけでは解るはずもなかったが、ソファに座る彼はそうか、あの部分にあれを使ったのか、なんて呟いていた。
「相変わらず凄いっすね」
「そうでもないよ。同じ仕組みのを前に試しに作ってみたことがあるから。――まぁ、子どもの手遊びみたいなものだったけど」
そんなものを手遊びで作れる子どもがそうそういたら、この国はさぞかし技術立国として特許利権で存分に潤っていただろう。桜は呆れと羨望が多分に入り混じった視線で、兄の後頭部をじいと見下ろした。
この頭の中には、どんな画が浮かんでいるのだろう。この人ならば、テレビに映されたロボットの性能を更に向上させることだってできるだろう。世界でも名の知られた大学を、今の自分と同じ年齢の頃には卒業してしまっているほどの頭脳の持ち主だ。その経歴だけで大方の人間は兄の天才を認めるだろう。だが、桜自身は直接聞いたことのないその学歴よりも、もっと直裁的に兄の天才を肌で感じたことがあった。
まだ日野一家が隣に越して来て間もない頃、兄が一度戯れで作ってくれたことがあった。ネジや銅線、輪ゴム。ありあわせの工具用品にありきたりの物しかなかったにもかかわらず、笑いながらこれだけあれば十分だよ。そう言って作られていく玩具を見たとき、流れるように動く指先は魔法を紡ぐそれと全く同じだった。
彼の小さな掌の中で、何の関係もなかったばらばらの、ほとんど屑同然だった部品達が、まるで最初からこの玩具のための部品だったのだと言わんばかりのものに変貌を遂げたとき、桜はこの人は天才だ。直感した。この人は天才だ。
作られたのはゴムとバネ仕掛けで歩行と飛行ができる、胴体部分が厚紙で作られた紙ロボットだった。今なら多少高価で高度な小学生の夏休みの工作キットにありそうな類の物は、だが桜にはそれ以上の物に思えた。眼の前で何の設計図もなく組み立てられていく、組み立てていく指は完成図を見たことがあるかのような躊躇いのなさだった。この指ならば、きっと何でも作れる。
桜は作られた物に対してではなく、それを作っていく指、その滑るような動きに天才を見た。
「……兄さんなら、その内人間みたいなロボット作りそうすね」
悲しいときに泣いたり、楽しいときた面白いときに笑ったり、触れたら温かかったり、自分で考えたり、判断して動く、そういうロボット。言いながら眼だけで断りを入れて兄の隣に座るも、滅多にないことだが、何故か居心地が悪く、つと隣に座る兄を見ると、彼がじいっと自分を見つめていた。
「――どうか、したんすか?」
兄が誰かをこんな風に見ることがある、というのは珍しいんじゃないだろうか。凄いですね、こんなこともできるんですね、もっと人間の役に立つような性能が加えられるんですか。テレビの声だけが響く室内、兄の沈黙に耐えられずに桜は尋ねた。どく、どくんと早鐘を打ち始めた心臓を少しでも抑えようと飲み込んだ唾も、掻き集めるのが大変なくらいだった。いつだって笑っている兄は、だからこそその心が何を思っているのか掴み難い人でもあった。
「……さくら君は、ロボットの語源を、知ってるかい?」
強制労働とか、退屈な仕事を意味する言葉から、ある作家が作った言葉なんだけれども。前を向いた兄による突然始まった解説に、さくらは呆気に取られつつもそうなんすか、と相槌を打つ。この話の終わりはどこに着くのだろうと思いながら、感情の見えなくなった横顔を見つめた。
「今もそうだけど、人にできない仕事とか、単純な仕事とかをロボットはしてくれるよね。ぼくたちの生活を楽にしてくれる――それは凄く助かることだし、きっと今後もロボット技術はどんどん発達していくと思うんだ。だから」
きっと、本当に人間みたいなロボットって言うのは作られちゃいけないんだよ。
兄のその一言が突然すぎて、瞬時には理解できなかった。それまで言っていたことと流れが全く違う。いきなりの否定の言葉に、桜はどうしてすか、間抜けな一言しか返せなかった。
「アイロボットみたいなことになるかも、とか?」
「それもあるかもしれないけど、どっちかっていうと人側の問題かな」
兄の意外な言葉に眼を見開く。良い人の代名詞のような存在である彼が、人に対して冷めた見方をにおわせるのを桜は初めて見たかもしれない。口角が僅かに上げられていて、それが何故か誰かではなく兄自身に対しての嘲笑のようにも見えた。自嘲なんて、この人には似合わないのに。
「人はね、いつだって人以外のものにも心とか優しさを求めようとするけど。人以外のものに心を砕くことや、優しく接することすら面倒くさがるんだよ」
だからロボットが、そういう言葉が生まれたんじゃないかな。
「……」
何も言えなかった。兄の言葉の一つ一つに、それは彼自身の体験としての言葉なのかどうなのかを問いたくなるほどの重さがあって、桜には咀嚼することも嚥下することもできなかった。無理矢理詰め込まれたに等しい言葉を、桜はそれでも吐き出そうとは思わなかった。これが兄の、笑顔で見えなくなりがちな心の一つなら、それを放り出したくはなかった。
「兄さん」
「――あぁ、ごめんねさくら君。折角来てくれたのにお茶も出してなかった」
桜が口を開くや否や、兄はいつものように――いつものような笑みを浮かべながら、すっくとソファを立った。キッチンに向かおうとする兄を、その手を掴もうと伸ばしかけた手は、さくら君みたいに、兄に名を呼ばれて止まった。
「さくら君みたいに、皆が優しければいいんだけど」
――それは違う。桜は即座に否定した。それは違うよ兄さん。俺はちっとも優しくなんかないよ。だって、本当に優しかったら、優しさを知っていたら、きっとこんな風にはしないんだ。
掴んだ手首、引っ張れば簡単によろめいた。それを支えるように抱き締めて抱き込んだ。床に膝立ちしている恰好になった兄を足の間に挟みながら、おれは兄さんみたいには優しくなれない。きつく頭と肩を抱いた。
「兄さんみたいには、なれないんだ」
だって兄は天才で、人間みたいなロボットをいつか作れるだろう人で、だからこそあんな言葉を寂しそうに口にしたんだろう。自分の頭脳が手が指が生み出す名もない、今は姿形すらない彼ら彼女らが物のように扱われることを怖がって、いるんだろう。
おれは兄さんが作る物が、楽しそうに色んなの作るのを見るのが好きなんすよ。紛れ込ませた感情に兄は気付いていただろう。腕の中に閉じ込められたまま、兄は笑って有難うと呟いた。テレビから聞こえてくる話題は、いつの間にか変わっていた。


さくらと兄。勢いだけで書いてみました。
(20100403)

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