悲劇を演じる道化の顔は
ゆっくり躰を離す。今の今まで組み敷いていた部下の、その肌蹴た胸元から苦々しげに視線を逸らすと、寝台の縁にどさり、腰を下ろした。睡眠を取るだけのために用意されていると言ってもいい、滅多に戻らない自室故にさして物も置いていない。音を吸収する物がほとんどない室内、聞こえるのは自分ともう一人の呼吸音だけ。
手持ち無沙汰になり、いつもの癖でシガーケースを探すも、それは脱いだ上着の胸ポケットに入れてあったので、舌打ちをしたいくらいの不機嫌を何とか心の中に押し留めた。
「……ごめんな、さい」
小さく漏れた言葉に振り向くと、顔を両腕で隠し、躰を横向きにして――シュバインに背を向けるようにして、アキラが再度、ごめんなさいと口にした。怒られるのを怖がる子どもの姿を彷彿させて、何もそんなに怯えなくてもいいものを。吐きそうになった溜息は、確実に彼を傷付けるだけのものだと解っていたので、何とか飲み込んだ。
「……別に、お前が謝ることじゃない」
最初から上手くいくとは思っていないさ。でも。お前、そんなに女でも経験がないんだろう。最後に口にした一言は図星だったようで、年若い部下は言葉を詰まらせ、一層その身を縮こませた。隠すことを知らない若さなのか性格のままの不器用さなのか、あまりに解りやすい様を見て漸く口元の強張りが解けた自分を、大概単純な男だな、俺も。シュバインは自嘲した。
(――上手く、いかないな)
男相手は初めてだった。男に手を出さなくても女がいた。では先程までの状況はと言えば、シュバイン自身もさてどういったわけだか。すっとぼけるしかなかった。
(そう簡単に、上手くいくと思っていたわけでもないが)
口元が寂しくて、つい手を当てる素振りをしてしまう。僅かに湿っているのは先まで触れ合わせていた行為の名残だ。触れるだけのそれから、更に奥にまで舌を潜りこませようとしたときに、部下の指が自分のシャツをぐっと掴み、酷く緊張しているのだと知れた。
女相手に受け身になることは少ない。だからだろう、その立場にいる自分に戸惑いを覚え、何処に手をやればいいのか迷っているらしいアキラの、幼さの残る細い作りの手首を柔く掴むと、自分の首に回させた。それでもまだ躊躇いがちに、首に後ろで幾度か組み直された腕に、柄にもなくじんわりと胸の辺りが熱くなるのが解った。
――ゆっくり、と。アキラのシャツのボタンを片手だけで外し、薄い胸板を露わにした。常日頃鍛えておけと部下の面々に言っているし、これも忠実に鍛錬を重ねているはずだが、元々の体質でそれほど筋肉に厚みが出ないのだろう。這わせた指には筋肉の密さが確かに感じられ、同時に緊張ではねた振動も伝わってきた。
そのまま胸筋の線に沿って脇腹、浮いた腰骨の辺りまでを幾度か撫ぜる。その度に身を微かに揺らして捩るのは、逃げようとしているからなのか、単純にくすぐったいのか、それだけではシュバインには判別つかなかった。だが、ぎゅうと強く頭を抱かれ、殺しきれなかった声に耳から首元を舐められて、あぁこれは怖がっている、そう気付いた。怖がっているのに、それを隠そうとしている。
相手に与えられるもの、それだけに一杯になって、しがみつく以外のことなどまるで思い浮かばないかのようにアキラはじっとシュバインの手に遊ばれていた。全てを曝け出すのではなく、全てを預けていた。何をされても構わないという心の現われなのか、それとも、けして自分を真に怖がらせることなどしないだろうという心の現われなのか。
まるで駆け引きを知らない様に、抱きたいという欲情以外のもっと他の何かがシュバインの身の裡に湧き上がり、その何かの名に気付いてしまったとき、手を止めていた。
「……アキラ」
上半身を捩り、丸めた背をこちらに向けたままの部下を呼ぶ。こっちを向け、アキラ。……でも。いいから、……俺が怒っていると思っているのなら、そのままでもいいが、そうじゃないなら。
「俺を見ろ、アキラ」
全く小狡い選ばせ方だったが、アキラは顔を覆っていた腕を外し、恐る恐るといった態でくるり、躰を反転させた。シュバインの見下ろす視線にびくりと躰を竦ませ、それからはっとした顔で寝台から降りようとした。それを軽く頭に手を載せることで制止する。別に、そのままで構わない。いえ、でも。そのままで構わないから、聞け。
アキラは視線を外し、暫し躊躇う素振りを見せたが、はいと軽く顎を引いて従った。今度は正座になって座ったアキラに、シュバインが眼だけで笑いかけると、また視線を右に左に泳がせた後に、ごく控え目にシュバインの口元辺りに視線を固定した。
アキラは反抗心の欠片もない従順な性格をしているというわけでもなかった。どちらかというと、むしろ何に対しても突っかかるような、血の気の多い男だった。これはもう若さの所為ではなく、元々の性格がそうなのだ。そういう男が自分に見せる顔や仕草を考えると、少しばかり自虐的な笑みを浮かべたくなった。本当に、これは。
「――今日は、ここでそのまま寝ればいい」
シュバインの言葉にアキラの眼が大きく開かれ、何かを言おうとした開いた口に自分のそれを重ねた。ひたりと触れ合わせた唇で押し留め、離れる間際に尖らせた舌先でアキラの言葉を残らず掬い取った。頭の上に残した手でアキラの癖の強い髪の毛を掻き回す。触れられるのが気持ち良いのか、猫のように眼を細める様に苦笑すると、それが気に障ったらしい。ふと真面目な顔つきになって、……俺じゃ、駄目ですか。沈黙の後の一言にも、拗ねたような甘さが感じられてシュバインはどうだろうな、撫でる手をそのままにはぐらかした。
「駄目だとか大丈夫だとか、そういう話でもないだろう」
こういうことは、と上目遣いのまま自分を見るアキラに問い返せば、どう言っていいのか解らなかったのだろう。そうですか、と納得していないことがありありと解る声で呟くと、そっと俯いた。これはいじけたな、そう思いシュバインは苦笑混じりの溜息を零した。……別に、色々な在り方があるだろう。
「どうしてだか、抱く以上に何をすれば良いのか解らなくなるときがある」
今も、そういう状態だ。衒いのない一言に、それがシュバインの本音だとアキラも解ったのだろう、顔を思い切りよく上げてじぃと見つめてきた。視線と視線が真正面からぶつかっても、自分もアキラも敢えて逸らそうとはしなかった。こめかみから顎の先までをゆっくりとなぞり、そうして手を離した。自身の膝の上で組んだ両手にある温かさは、きっとアキラの熱だった。それほど長い時間触れていたわけでもない。それでも簡単に移った熱の存在に居心地の悪さを覚える。アキラの視線を払うように、前に向き直した。
抱き締めても足りない気がする、抱いても違う気がする、突き放してもすぐに手を伸ばしてしまいそうな気がする。どの行為を選んでも自身が納得できるものではないだろうと、そう確信させてしまうような感情の在り方をシュバインは知っている。当に今さっき、アキラに抱いた感情がそれだった。自分で自分の感情を上手く分けられない、というのは厄介なのだということを久々に痛感した。
「……シュバインさん」
アキラの探るような声を背中に受けて、何だとそのままの姿勢で返した。シュバインさん、その。……どうした。その、隣に座ってもいいですか。……別に、断りなんか要らないぞ。じゃあ、あの、失礼します。ずりずり膝をずってシュバインの隣に並んだアキラは、しかしまだそわそわした様子で横目でちらちらシュバインの方を窺っていた。それに気付いていたものの、暫く経ってもアキラは何も言い出さなかったので自分から問うた。いきなり横を向いた、それがアキラにとっては不意打ちも同然だったらしい。ばっちりと開いた彼の眼とかち合う。
「どうしたんだ、アキラ」
「いえ、あの、何ていうか」
こうやって隣に並ぶことなんてほとんどないなぁって思って、そしたら何か。視線が合った直後に俯いてしまったアキラは、ぽつぽつと言葉を床に落とすように継いだ。シュバインに向けられていると言うよりも、およそ独白に近く、膝の上で固められた拳にきゅっと力が篭るのを見た。……そしたら、何だか嬉しいなぁって思って。
「……」
こういうとき、どういう顔をすればいいのだろう。シュバインにはアキラが感じたらしい嬉しさというものがさっぱり解らなかったが、彼の言葉に呆けた次の瞬間には今すぐに抱きたいと思っていた。アキラを今すぐにでも抱きたい。そうでなければ、それ以外の方法では、何も伝えられないような気がした。抱き締めるだけでは大事なものを零してしまいそうな気がした、突き放すなんて以ての外だった。抱く以外の方法を考える前に、抱かずにいられないと思った。
シュバインさん、自分の名を呼んだ部下の微かに色付いた顔を至近に見る。驚きに何度か瞬いた眼は、ゆっくりと伏せられる。それに合わせ、シュバインは押し付けるだけの唇を僅かに開き、尖らせた舌先でアキラの緩く閉じられていた唇を解いた。中に入り込んでしまえば、もう考えることは無意味だった。
耳から脳へ、下って心臓から四肢へ。少しずつ濡れた声に躰が熱く湿っていく。じわり内側から燻されるような熱の生じ方に、自然と指先の動きも性急になる。思いのままにアキラの躰を開いていけば、いつの間にか首に回されていた腕がシュバインの頭を強く掻き抱いた。荒い呼吸の合間、耳元で途切れ途切れに何度も名を呼ばれる。与えられる刺激をそのまま声の強弱に反映させながら、細く、小さく、涙を滲ませた声で何度も呼ばれる。シュバインさん、シュバインさん……。
その縋るような声に、何ていう声で泣くんだ。呟いてもろくに聞こえていないようだった。再度、今度は心の中で呟いた。何ていう声で泣くんだ、お前は。これじゃ、お前、
(犯しているような気分に、なる)
自分を唯信じているだけの存在のまっさらな感情を、自分の都合の良いように解釈しているだけのような気分になる。自分の感情や欲求を押し付けているだけなのではないかと怖くなる。――アキラが自分に抱く感情が、恋愛と親愛とが未分化なままのそれだと解ったからこそ、さっきは指を止めたはずだった。それなのに。
「アキラ」
名を呼べば、柔く抱き締められる。肌を撫ぜれば、細く声を吐く。指を噛めば、甘く鼻を鳴らす。それらの反応に、ますます戻れない方へ押し流されていった。後悔することになるかもしれない、そう囁く声は次第に遠くなっていく。お前は卑怯な男だ、そう罵る声も呼気とシーツの波間に沈んでいく。アキラを可哀想だと思わないのか、そう問いかける声だけがずっと頭蓋の内側で響いている。それでも。
(それでもいい)
抗う気など、最早なかった。
色々な意味で、これぞ四月の愚か者。アキラが何か……うん。シュバインさんは、大人の余裕があってもいいし、大人故の葛藤があってもいいと思う。ザッツ大人。
(20100401)