賢い犬リリエンタール

彼は言わないままでいる

紳士組に次いで神堂組が日野の家へ向かった後の部下の様子がおかしかった。
普段から落ち着きのない方で、それは銃がないときは一層酷くなったのだけれど、さて今はもう返したはずだが、とシュバインはここ数日の自身の記憶を浚った。流れてくる情報や下りてくる仕事の割り振りを担う職に就いているだけ、この一日だけでも随分な仕事量だったので、数日分ともなると記憶の量も半端ない。
その中から、確かに銃は返したという事実を見つけ出すと、では何故あれはあんなに不安げな顔をしているのだろう。次の疑問が頭に浮かんだ。銃を持てばそれなりに見栄えもする男で、何故か仕事も普段の何割か増しでこなしてくるという、ある意味非常に解りやすい男ではあったので、やはりあの表情はおかしい。シュバインは、しかし部下の表情が冴えない理由もうっすらと気付いていた。
最初にRD-1と接触を図った際、あれは奪取対象であるRD-1自身に助けられている。報告書には記載されていなかったが、あれと同じ組の人間に聞いたからシュバインは知っていた。その報告書を書いたのが当該の部下自身だったから、書いても書かなくても大差ない己の失態ならば、書かない方を選んでも仕方ない。特に、あれはどうも自身の面子に拘る節があるのだから尚更だった。
唯、あの場で起こった全てを把握するのがシュバインの仕事だったので、他のメンバーを読んで報告書の読み合わせをしたまでだった。その結果、年若い彼は敵対する相手に命を救われるという少々情けない事柄を報告書から省いていたことが判明した。
『RD-1は、暗いところに落ちるのは怖いだろうみたいなことを、さも当然のように言ったんです』
その場に居合わせた他の人間はそう口にした。
『まるで子どもですよ、思考が。確かに妙な力を持ってるのは実体験してるので解りましたが』
子どものような思考回路で、何を契機にしてかは判然としないが、幻覚を具現化する力を持つ犬。それがRD-1と呼ばれる、己が所属する組織以外の数多の組織も狙っているという存在。シュバインはそれをいまだに写真でしか見たことがなかったが、何ともいえない妙な愛嬌を持った犬だった。
それはドーベルマンのように凛々しくもないし、ダックスフントのように愛らしくもない。一言でいって、不細工な犬だったのだが、見ていて和む類の犬ではあった。写真と報告書から推察するに、手のかかる小さな弟のようなもので、実際RD-1が匿われている家ではどうやら弟扱いを受けているらしい旨も報告を受けていた。
そういう存在を、あの摩訶不思議な猫に絆されて連れて帰ってしまうような男がどう思うか。想像するのは容易かった。――完全に、あれは情を移すだろう。
「――――失礼します」
控えめなノックの後、書類の束を抱えて部屋に入ってきたのは今まさにシュバインの思考の中心にいた男だった。姿こそ見えないが、あの猫もきっといるのだろう。一度に抱え過ぎたらしい、よたよたした足取りで自分の机にまで運んできた部下を「ごくろうだったな、アキラ」と一言労う。
「この件はお前たちの組に任せているからな」
RD-1に関する報告書の束の、その表紙を軽く捲る。最初に接触を図った分、紙面上には現れない情報も多く有しているだろう。その考えから、シュバインは確保までの担当をアキラたちの組に任せていた。特に、件の犬が生み出したと思われる猫に懐かれているアキラは、シュバインが考えているよりも、ある面では犬に近い位置にいるのかもしれなかった。
「……その、RD-1なんですが」
紙面に完全に視線を移していたシュバインは、部下の控えめな声に顔を上げた。
「何だ」
「いえ、あの……神堂組、は、手荒な連中なんでしょうか?」
つい数時間前、その神堂組の少女に手荒い制裁を受けたというのに、それを忘れたかのようなアキラの物言いにシュバインは薄く笑った。
「どうだろうな。まぁ、見た目に騙されると痛い目を見るのは確かだな。……お前も身を持って体験しただろう」
「それは」
下唇をぐっと噛んだアキラの幼さを、シュバインはまだ自覚が足りないなと思いはするが、疎ましくは思っていなかった。良くも悪くも素直な男だ。だから上手く仕事を仕込めば実勤部隊の一員として有能な男になるだろうし、それを指導するのもまたシュバインの手腕によりにけりだった。
「……心配か?」
ずばり、アキラの不安の的を射抜く。的中した言葉に、アキラは目に見えて挙動不審になった。視線が左右に泳ぎ、口をぱくぱく空気を食べているかのように開閉した。
「そ、そんなことは……あいつら、言ってみれば敵ですよ? 犬一匹に子ども二人とはいえ、妹の方はやたらめったら強いし、犬は何か妙な力使うし、兄貴の方は……よく解らないけど」
しどろもどろに反論するアキラの姿は、明らかに図星を突かれて狼狽する人間のそれで、シュバインはくくっと咽喉の奥で笑いを殺しきれなかった。
「……俺は別に、RD-1の方を指して言ったわけじゃないんだがな」
あんぐりと開いた口を塞げないらしい部下を横目に、再び手元の書類に視線を戻し、確認を始める。視線はそのままで、戻って良いと告げたものの部下がそこから動く気配は一切なかった。不思議に思って前を向くと、アキラは顔をこれ以上ないくらいに赤くし、硬直したまま立っていた。茶色の髪がかかる耳までも、塗られたように綺麗な朱をしていた。
「お、おれは別に、あいつらの心配なんか」
そこまでを口にした直後、シュバインの直視と無言に耐え切れなくなったのか、いきなり身を翻すと脱兎のごとくアキラは部屋を出て行った。妙に真面目な彼は、ドアが閉じられる前に失礼しましたという一言を忘れなかった。
「……あれもまだまだ、躾が必要だな」
どうにも感情で動くきらいのある部下の素晴らしい逃げぶりを見届けた後に、シュバインは一人言ちた。


どうということのない話。シュバインさんは大人の余裕で色々と楽しんでいる感じです。
(20100303)

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