賢い犬リリエンタール

真ん中の感情

さてどうしようかと思案している間に、先に痺れを切らせたのは相手だった。
あの、手を離してくれませんか。顔を背けながら口にされた一言に、そう言う代わりにそうやって見せた首筋には噛み付いてもいいということなんだろうか、と思った。
「シュバインさん」
今度は名前だけ、それだけだったが自分を見るアキラの眼が不安に揺れているのが容易に見て取れて、答える代わりに掴んでいた右の手首を離した。片手だけの拘束とはいえ、それほどの力の差があるとは思えない。上司と部下という関係を考慮しての遠慮だったのだろうと見当をつける。
「……もう、大丈夫ですので」
「そうみたいだな」
相手と距離を置いて、それから視線を足元に落とした。アキラの脚に擦り寄るように頭を寄せているのは、例の犬絡みで引き取ることになった猫のような生き物、だった。しかし、それは普段の大きさと比べると二回りほど小さい、仔猫のような姿形をしていた。
「いきなり小さくなったりするんだな」
この猫もどきも、あの犬の力により生まれた所為もあるだろう、様々な尋常じゃない力と能力を有していた。躰の伸縮もその能力の一つであり、しかし何故今このように小さな姿をとっているのかは、シュバインには皆目見当もつかなかった。それはその猫の面倒を見ているアキラも同じだったようで、まさに足を下ろそうとしていた場所にいた存在に気づいたと同時にバランスを崩しかけた。倒れそうになったその躰を反射で支えようと腕を掴み、そうして先程の状況だった。
猫が足元からすっと身を避けた後に手を離せばよかっただけなのに、そのタイミングをどうしてかシュバインは見失ってしまった。それはまだ成人年齢に達していない男の手首を一周できてしまったことに驚いた所為でもあるし、そうかこれはまだ子どもといえば子どもなのか、と妙な世代の格差というものを感じた所為でもあった。
そして離した後は離した後で、どうも落ち着かない状況ができあがってしまっていた。アキラからしてみれば、自分を咄嗟に支えてくれた時点まではよかったものの、それ以降、何故上司であるシュバインは手を離そうとしないのかが解らなかっただろう。しかしそれはシュバイン自身にも解らなかったので、問われても困るだけだった。
「……その猫も、小さくなればなったで意外と可愛げがあるな」
何かしらアキラに対して弁明をした方が良いだろうか、と考える内につい関係ないことを呟いてしまう。人語を解する能力もあることは知っていたが、つい漏らしてしまった言葉に猫は「ありがとうございます」と律儀に返事をした。
「……いや、別に今の褒めてるわけじゃないんじゃないか?」
控えめなアキラの訂正に、そうですかと言わんばかりに見上げる猫の姿の、そのきょとんとした顔が思いの外猫らしくて噴き出してしまった。
「シュバインさん」
困惑しきったアキラの声に、あぁ悪いな、引き留めて。シュバインは口元に笑みを湛えたまま詫びた。「今度から、足元に注意しながら歩けよ」
まるで子どもに対する言い草だなと自身でも思ったが、それに対してアキラはかしこまった表情になってぴんと背筋を伸ばした。
「はい、今度から気をつけます。――ありがとうございました、シュバインさん」
きっちり腰から曲げられた、深々としたお辞儀をする年若の部下に対して、シュバインはふっと口角を上げてその場を静かに立ち去った。


スーパーうちゅうねこの回をしっかり読んでいないので、捏造率高めです。シュバイン26歳にときめきが隠せない。
(20100226)

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