魔人探偵脳噛ネウロ

人間的な野蛮についての一考察

眠れないんだという彼の真実。誰かと寝る事を欲する彼の事実。

狂っているなんて容易い言葉で表現できるほどの単純な狂い方ではなかった。
眼に見えるものが溶けているのか視細胞が溶けているのか判らない世界の崩壊の只中に飲み込まれていたのだと、後になって彼は酒のつまみにするみたいに話した。からからに渇いた、いっそ痛々しい笑みを浮かべ、それは明らかに自嘲だった。
気が、触れるんだ。普段なら流せるうるさいものに。笹塚が呟いた事がある。気が、神経が、外界のものに直接触れてしまうんだ。火花がこめかみ辺りで散って、ヤバイと思った時にはもう遅くて。いつもなら選別が行われる情報が選別されずに全てが鉄砲水のように躰のなかを打ち抜いて、情報中枢はパンク、末端神経はショート、全部が全部イカれる。持っていかれる。外界との境目が一気に取り払われて、自分の容が維持できない。万物は流転して、人間だって本当はこんな風に留まれる存在じゃなかったのかもしれないと思える。人間は、いかに情報を上手く取捨選択しなければ生きていられないもんなんだと思い知らされたよ。――まぁ、それは警察社会でも同じようなもんだけどな、笑えないところでくくるっと咽喉の奥でくぐもった笑いを発した。

気が触れる、という。神経が剥き出しのまま生きることの辛さ。簡単にショートする。よく言えば感受性が鋭い、反面、簡単に外界の情報を和らげる事すらできずに、それこそ剥き出しにされた神経が直に触れる事。その歪み。脳味噌が溶ける。
狂う事を面白いと思いながら狂わずに日常を生きられる図太い神経の持ち主だったら、きっと楽だったのだろう。それこそビニールコーティングされた神経の持ち主だったら。そういう都合のいい事は生憎と帳尻が合わせづらく、笹塚はコーティングを剥いた神経の持ち主で、しかも途中で断たれた所為でより敏感に刺激を感じる男だった。

いつになく饒舌で、躰の裡に溜まったものを一気に流し出すかのような笹塚を見るたびに、自分は彼のアースの役割を担わされているのだろうかと考える。その身を走る電気が漏電した時に、笹塚自身を焦がし焼けつかせないように。自分を介して、彼は何とか平静を保てているのだろうか。心の方でも、躰の方でも。自分自身に随分と都合のいい発想だと、笹塚に負けない自嘲をする。口さがなく自身を蔑めば、笹塚の諸々の捌け口に過ぎない。汚いものも、何もかも含めて。

まだ、時折呑みこまれるんですか。ショートした神経から流れ込む選別されない情報が創り出す混沌、混ざり合いながらの極彩色の主張激しい世界に触れる事を、笹塚は呑みこまれると表現した事がある。筑紫はベッドの縁、身に何一つ着けないまま煙草を噴かしている男に話しかけた。背中には鬱血の跡が散って、こんなに跡をつけたのは自分だっただろうか、冷めた眼でその赤を数えた。以前は嫉妬に狂ったように、それこそ緑の眼の化け物のような心で笹塚の肌の上、その赤を自分の唇で塗り重ねていたが、それももう過去の事になっていた。

「……まだ、じゃないよ、」

浮いた肩甲骨が上下して、咥えた煙草を指に持ち替えたのだと解った。ふぅと白い煙が吐き出され、立ち昇り、霧散した。「毎日、呑みこまれてる、」


彼が穏やかに眠る事ができないのは、何も悪夢だけの所為ではないのだとも知っていた。そう、気が触れて自殺した天才達と同じように、彼はその身に狂気を飼い続けているのだ。


(20060507)