今此処に存在しないものへの罪の名を問え
全く因果なもので、そう、笹塚は公僕になってしまった。公の僕。国民の皆さんの税金を糧に、日々生きています。税金の無駄使いだとか事故起こせば大将の首でも獲ったかのように腐肉に自然湧く蛆虫のようなマスメディアにたかられます。自浄作用を謳うメディア関係者には是非ともまず殺虫剤を自らの躰に振りかけて欲しいもの。全く面倒だ。蝿を追い払うのも億劫だ。蝿獲り紙でもそこら中にぶら下げておいてやりたい。あぁ面倒だ。面倒。而して兎にも角にも、公僕の職は勿論自らの意志に因るものであった事だから、その機構・組織・規則・その他諸々の煩わしい事に眼を瞑って現在のこんな状態も甘んじて受けている。
「――聞いているのか、笹塚、」
灰色の噂を耳にしたらしい違う課の男が、笹塚の肩を掴んで力任せにごりごり壁に押し付けるので、擂られる肩甲骨が痛かった。擂粉木じゃないのだ、この肩は。何をそんなに擂り潰したいんだか。余り衛生状態の宜しくなさそうなトイレのタイル張りの壁、お決まりのようにきっと入り口には現在清掃中に付き入れませんな札でも下げられているのだろう。全く何だってんだ。
「お前の、情報源、――紹介しろよ」
そんなん自分で探せと言ってやればそれで済むし、教えてやっても同じ結果だろう。傲岸不遜な態度に腹を立てようにも、立てる腹を持っていなかった。屈強という言葉も霞む、お前はどうやったらそうなったんだというでかい図体に覆い被さられたら、自分に圧し掛かってきたら息が相当苦しくなるだろうとぼんやり片隅で思った。流石にきつい。きついが。
だからと言っておいそれと教えるなんぞしたら自分も相手も得るものは何もない、寧ろ失うものの方が多い。それは頭を働かせる必要もなく解っていた。折角蜜を運んでくれる相手を、たかだかマル暴の犬にして何の徳がある。それこそ公安のSと同様の扱い、芋蔓式で吊られる前に先手を打って殺してしまうだろうに。使い捨てにする為に、Sにしたわけじゃない。S? 違う、あれは、一蓮托生の存在だ。切り離せない、互いの肉と肉が接着されている。――命運までも。
「――あのさ、」
今はこの場をやり過ごす事を決める。一言の為に口を開く事はこんなに面倒だっただろうか。口数少ないと言われるだけ、実際多くを語る事はしない。空気が一つ一つ死んでいくようで、吐き出した分だけの空気を取り戻せる気がしない。だから話すのは極力避けたいのが本音だった。「俺こんな誰が聞いてるか判らない所で、プライヴェート語る趣味ないから、」 取り敢えず仕事戻りたいんだけど。
「……逃げるのか、」
「逃げるも何も同じ建物内だろ」
「今ここで吐いた方が後腐れない……と言ってもか?」
ちらつかされる後々の暴力に心底うんざりし鉛でも飲み込まされたような倦怠感が躰を襲う。
「腐るだけの何かがアンタと俺の間に存在したのか?」
何もないだろ。全くこんな言葉の為に、何故自分は貴重な酸素を貪って消費して害悪たる二酸化炭素を嘔吐しなければいけない。いっそ本当に空っぽの胃から酸性の液体でも吐いてみせればこの男も引くだろうか。
視線は揺れ震え、捉え所なくまるで薬を極めた中毒患者だと何かを映しながらも何も脳に写してはいない曖昧な己の眼差しに気付いていた。男が必死に自身の視線を捕まえ留めようとしていたが、男を誑かすのに長けた娼婦のようにはぐらかす。ここで完全に絶つ事はしない。関係も、言葉も、視線も。全ては相手の解釈次第だ。自身からは決して終止符を打たない。
「――――今後、」
ふっと離された肩、圧し掛かってきていた重さが消える。
「もう少し利口になってくれる事を、祈るぜ」
――これが、この男の定めた線。自分を完全に切り捨てない事を選んだ、これがこの男の選択。ならば笹塚はそれを認めるだけだ。
「――努力するよ」
笹塚の言葉に、軽く顎を引く。男の了承がそれだった。きっと勘違いをしているのだろうが正そうとは思わない。
認めるだけ。認めるだけで、受け入れる事などしない。努力するとは、文字通り努力であって保証ではないのだから。
己に背を向けた男の無防備さに、矢張りこれは努力だけに終わりそうだと思った。肩甲骨が痛かった。
彼には敵しかいない