信仰深き二人きりの宗教
ひいふうみいと指折り数えるひよこの背中のようなフォルムの頭と丸い頬の線を少し離れた場所から見つめていた。窓から投げ出した足はぶらぶらバタ足で空を泳いでいる。窓の柵の上で腕を組み、その上にちょこんと誰かの悪戯のように置かれているのは左右に振れて定まらない、躰の割に大きく不釣り合いな頭。止まる事なく数え上げられる言葉に合わせてゆらゆら揺れて、その気侭な物体を支えるには頼りなげな細く薄い首は、この腕の太さほどもないのだろう。右に左に振れる度に色の抜けた髪がさらさらと零れ、覗く首筋は子供らしからぬ低い平熱の弟にしてはやたら血色が良かった。透ける細いその髪が柔らかに、雪が拒んで返す冷えながらも鋭い尖った陽光を羽毛で優しく包むように受け止めては、その栄養を全身に馴染ませ巡らせていた。
子供とはえてしてとても不安定な比率の体躯だ。倒れる時だって手を着く前に頭がころんと首から転がるように地面に落ちてしまう。芋虫のように柔らかく関節などまるでなきが如くぐにゃりと地面に溶けてしまう。なんて柔らかく温かな生き物。
ひいふうみいよお、そこで幼い者特有の雛が鳴くような高い声がにいちゃん、自分を呼んで振り返った。ぐるんと頭が回りあぁ頭が一回転してしまうよユキ、そんな勢いつけて振り向かなくてもいいんだよ、俺はここにいるだろう。半ば冗談半ば本気で、その幼い首の捩れが怖くて仕方がなかった。そういう自分の気持ちを露と知らない幼い弟はにいちゃんにいちゃん、鳴きながら空を蹴っていたその折れそうなほど細い足をぱっと収めると、たたっと古くなった畳の上を駆けてきた。
おいおい、そんな大きな足音立てるとそこいら中に響くぞ、実際その足音はアパート二階の部屋の窓の目前を埋め尽くす、降り積もった雪に吸い取られてしまうくらいの小さな、頼りないほど小さなものだったのだけれど、ユキはきゃきゃはしゃぎながら自分の組んだ足の上にぽんとその小さな躰を放り投げてきた。腹の辺りの小さな生き物は器用にくるんと躰を返して、その丸まった背中をびったり腹に寄せてきた。この子はいつも後ろから抱き抱えられるように座るのを好む。それを解っているから自分も腕の中にすっぽりと弟を包んで隠してしまう。「あのねにいちゃん、」 腕の中からひょこり頭をもたげて自分を見上げたその顔は、餌をねだる生まれたての雛のようで少し笑った。
何だいユキ、柔らかすぎて内臓に直接触っているんじゃないかと思うほど熱くもある弟の腹を擦りながら問えば、少し開いた口の中、小さな白い歯の奥に見え隠れする赤い舌を懸命に操りながら、あのねにいちゃん、にいちゃんとぼくは十四こ離れてるでしょ、でもぼく指は十こしかないんだ。ほらと言いたげにもぞもぞと腕を持ち上げて左右の手、合わせて十本目一杯広げてみせる。小さな指は十分な長さを持っておらず、自分のごつりとした骨の硬さだけは十分に解るような指とはかけ離れた丸さ柔さだった。幼い指を一本、親指人差し指でビー球を摘むように触れてころころと解すように触れば、少し力をいれただけできらきら砕けてしまうんじゃないかと思えてしまって直ぐに離した。すると、「あ、」 ユキは離れた指に縋るようにしがみついた。にいちゃん、四こ指貸して。
言い終わらない内に自分よりはるかに大きな手をじっと見つめて人差し指から一本二本、数えて四本目小指で止まり、再び自分を見上げた顔は満面に笑みを蕩かして、これで十四こだ、得意げに言った。これで十四こだよにいちゃん。目を瞬かせていると、ユキは自分の小さな手に視線を移し、ぐっと握られた指をひいふうみい数え上げると同時に一本一本開いていった。……ななやあここのつとお、そこで数え上げるのが終わり指は十本、いっぱいに広げられて、あぁ本当に小さい指だと改めて思わなくてもいいような事を思った。それでね、ユキの声が軽く弾み、自分の角ばった人差し指の腹にとんと己の小さな脆い人差し指をぶつけひい、中指の腹をつんと同じ指で突きふう、薬指の先をてんと弾きみい、そして小指の先にちょんと触れてよお。――これで、十四こなんだよ、爛漫な弟は唯でさえ大きな眼を更に見開いて、ぼくの指とにいちゃんの指合わせて十四こ数えられるんだよ。
すごいよね、ぼくの指だけじゃ足りないけど、にいちゃんの指も合わせれば十四こちゃんとあるんだよ。すごいよね。無邪気に繰り返してはひいふうみいよお数え直してやっぱり十四こ!! 人形のように細い丸い柔らかい指は揃えられ、きゅっと自分の四本の指は挟まれた。この世にこれ以上の大発見はないとでも言いたげに誇らしげに、それでも微かに照れているのか声を躍らせながら片眉を僅かに下げて笑った。にいちゃんすごいね、すごいね。ぼくとにいちゃんで、足りなかったのに、足りたんだよ。弾んで踊る声は軽やかに冷えた部屋の中を駆けた。
「――にいちゃん、?」 何も言わない自分に不安になったのか、幼いユキはさっと灰色を琥珀の眼に散らして、首を大きく仰け反らせて再びにいちゃん、どうしたの、にいちゃん。その状態では言葉を連呼するのは大変だろうに、懸命に弟は自分に呼びかけた。次第に不安が増していく声音は、怯えて母を呼ぶ雛鳥よりも哀切で苦しく感じられ心臓が縮んでいくばかりだった。どうしたの、にいちゃん、どうしたの……
四本挟まれていた指でそのままユキの片方の手を包んでしまうと、空いた手でユキのもう片方の手をぎゅっと握り締めた。か弱い雛鳥の両手を自分の両の手で閉じ込めて、それでもう決して離したくなかった。どうしたのという言葉に大丈夫だよユキ、その一言を被せて封じ込めてしまう。大丈夫だよユキ、大丈夫、大丈夫。薄い肩口に頭を預け、そのままどんどん丸まってユキを体内に収めれば一つの塊のようになった。不安定な頭を支える首筋に耳朶が触れ、彼の体内を巡る血の熱さと音の太さをもっと確かめたくて抉るように耳朶を頬を押し付けた。太陽を受け容れた髪は温いままで、不快ではない生き物の匂い、肌や汗やそういったにおいが鼻を擽ったので鼻も寄せて弟を確かめた。弟、ユキは自分と同じ女の腹から生まれた兄弟。血や肉や遺伝子や、そういったもの全てを共有して互いに繋がっている、感情に溺れる必要のない肉体として確かに繋がった兄弟で、これ以上に確かな存在を知らなかった。自分と似て、自分とは異なる、弟という存在。
これから先自分はこの存在以外に欲するものなど在りはしない、感情など必要としない存在以外は、必要ではない。ユキは自分の弟。弟だ。これ以外何も要らない、だからこれだけは自分にくれ、これは自分だけを知っていてくれ。組んだ手を、その中に弟の両手を閉じ込めたまま、震えそうな呼気を悟られないよう細く細く吐き出しながら額に押し当てた。何かに深く祈りを捧げるように乞い願うように、でもその何かを自分は知らなかった。何に対して祈っているのか解らないまま解ろうとしないまま、それでも暫くそのままでいた。幼いながらも何か感じたのか、ユキは聡い子だったので為されるがままでいてくれた。なんて優しい生き物なんだろう。
この柔らかで温かな雛鳥が、いつか巣立っていく日を呪った。
早坂兄弟