不毛な会話を不埒な二人は
貴方はどうして先生を現場から遠ざけなかったのですかという問いに対しての答えはもうとっくのとうに彼女の方に返したというのに、その助手は偶然を装いながら確実に自分を待っていたのだろう、あぁ笹塚刑事奇遇ですねなんて傍目からもわざとらしく黙っていれば恐らく秀麗、しかしながら滲み出る不穏、油断ならない腹に一物持っているような空気・物言いの所為で、妖艶という言葉を冠したくなる顔に笑みを浮かべながら寄ってきたのだった。
「……アンタにも、謝っておくべきだったな、」
この男の胡乱な掴めない本性を覆い隠す精巧で完璧な仮面は、――自身も同じような仮面をつけてそれはもう肉と同化していたのだけれど――少なくともその役目をきっちり果たしていた。厚塗りの仮面の下の顔、本音は見えない、それが正直笹塚にとっては気楽だった。
だからこそ隠す事はない、笹塚は少女にしたのと同じようにその助手に理由を正直に告げ、頭を下げて謝った。視線を男の眼、顔にすら眼に合わせる事なく少しずらして首元を見ながら、あぁこんな態度じゃ伝わる誠意も謝意も伝わらないなと醒めた頭で思った。確かに申し訳ない気持ちも自分を恥じる気持ちもあるにも拘らず、同じように何がいけなかったのだと考えてもいた。何人も何百人も惨殺しているだろう人間を捕まえる為に関係者ではなくとも餌になり得る存在がいて、その二人を利用する事の何が。――いいわけ、なかった。一般人だ、巻き込んではいけない存在だ、自分とは違う、自分は刑事だ、では彼女らは、一般人だ、――一般人、なのか? 思考はそこで転換する。一般人なのか、もう現場に来るなと言っているのにも拘らず現場に来る――探偵だと、言う彼女らは、一般人なのか? 彼女らは一般人ではなく、探偵なのだろう? 思考はメビウスの環を辿る。何処を巡っても答えは出ない。自分の中にすら答えを見出せなかった。鵜飼いの鵜、首を締め付けられる哀れ鳥、鵜飼い達はどんな思いで鵜を見るのだろう?
あの時は電話という手段だったから顔を見ずに済んだし、それを望んでわざわざあるかもしれないしないかもしれない不確実な見舞いをされる前に、病院内での携帯電話使用禁止の常識まで侵したのだ。あの顔を見て、いや、何処を見て謝罪をすればいいのか笹塚には解らなかったから。女を知らなかった頃に女の裸を見た際に感じた羞恥心と青い疚しさに似ている気もしたが、実際は自らの中にざらついたしこりとして残る自己正当化の念を捨てきれなかったに過ぎなかったのかもしれない。それは心を引っ掻き癒え難い傷跡を残す。
沈黙を守っていた男が、薄氷に走る亀裂のように浅く鋭い、しかし確かにその唇に刻まれたのは笑みだった。
「――貴方は、」
全くもっていい刑事さんでいらっしゃる。
最低の褒め言葉として受け取るべきか最高の皮肉として甘受すべきなのか、笹塚は否定も肯定もしない曖昧な態度で言葉を緩和した。逸らしたままの視線の、その端は深い闇なんて凡百な表現で事足りない墨の眼に滲んだ。人を黒く染め上げる自然の染料、占領。男の眼が香ばしい匂いを漂わせながら、笹塚の心の裡を黒い羽根で擽るように撫で上げた。
絵石家家事件後