息するだけで壊れる世界
うん、大丈夫だよ弥子ちゃん、そんな顔しないでも君と妹を重ねたりなんかしちゃいないよ。それは本心、それが本心。笑う口の形も細められる目の具合も無鉄砲に打ちまくる言葉は的外れな方向に飛ぶくせに時々これ以上無いくらいど真ん中を打ち抜いてくれたりするところも、君は妹そっくりで、でもだぶらせたりなんかしないよ。脳内の妹の姿に眼の前の君の姿が透けて重なり一つになりそうで、君の姿の向こうに妹の姿を見ていたり、そんな事、気を抜いたらするに決まっているから。それが普通になってしまっている。重ねようなんて意思はなくとも重なってしまうんだ。いつも重なっていたら最初から重なっていたら、重ねるなんて言葉はもう無意味、その二つの姿は溶け合って混ざって一つになって、だから意識してだぶらせないようにはしているけれど。躰は確かに温度を感じ刺激を感じ光を感じそれは見事なまでに地球上に存在する有機体として在って、でも意識は完全に妹の姿を認識している。頭の中の映像ではなく、眼の前に妹の姿を認識している。妹はもういないのに、夢を見るように、自分は起きながら夢を見ていて妹を見ている。
だぶる、重なる、それならまだいい方で。その時自分は確実に妹と弥子、二つの存在を意識出来ている。
たとえば反転図形のように図と地、どちらに意識を向けるかによって全く別物の絵になってしまう、ような。老婆は若い女に、若い女は老婆に、そしてその二つ同時に図としてみる事は不可能で。どちらかを図としてみたら、もう片方は地にならざるを得ない人間の視覚。
まだ自分は弥子を弥子として、見ている。細い手足、華奢な躰、この先もっと綺麗に、大人になっていくだろう、少女。でも気を抜けば。
眼の前に立って自分を見るのは、もう永遠に少女の姿のままの妹。
笹塚と弥子。笹弥子ではないのです。