魔人探偵脳噛ネウロ

牙を失くした獣

その男の犬歯は鋭く、さながら犬。本当に獣の牙のようで、下手をすると入れた舌が噛み切られやしないかと正直時々不安になる。舌の先で突けば軽く力を込めて噛まれ、一点集中型の貫く痛み。噛み千切られる前に大人しく舌を抜くのは彼との間の暗黙の諒解なのだと、付き合いの深い、別の会社の上が笑って言っていた。
その「上」は凶暴極まりない、セックスの時にでも平気で人を殺せるような類の人間。承諾の代わりに金と女を要求し、拒否の代わりに鉛弾を相手に食らわせる。この世界にはまさしく打ってつけの人間。

吸う量と比例しない、ヤニに黄ばんですらいない――色の白さが不似合いで不自然なほどの歯を持つ男は、今日も煙草を吸っていた。何でも吸うらしい彼の今日の銘柄は自分の知らない外国のもの。あの上にでも貰ったものだろうか。
「そんなに吸ってたら嫌がられるんじゃないっすか」
エーシさん。さり気ない忠告も兼ねて言えば、屋外、開けた陽に簡単に融けて同化してしまいそうなほどに色素の薄い、まるでアルビノ。隣の自分を眩しいものでも見るかのようにすうっと眼を細めた。日本人にしては稀な灰色の眼は眠たげにも見え、重い瞼の隙間から僅かに覗く程度。背にした薄汚れた壁の煤け具合が、少し縒れた麻色のスーツに身を包んだ男と対照的に目立つ。
「……大丈夫だよユキ、そんな文句つけるなら他にいけばいいんだから」
それはアンタだから言えるセリフだよ。他の奴だったら棄てられるのが怖くて言う事聞くしかねぇんだから。ユキの控え目な――咽喉の奥で押し潰された、その残滓でしかない笑いを含んだ言葉に、男も苦笑した。煙草を銜える口の端を僅かに上げ、その時尖った白い歯が覗いた。他人の舌を噛み千切るかもしれない危険性を孕んだ、そのくせに相手を捉えて放さない我儘も知っている歯。
「買い被られてるなぁ」
「相応でしょうよ」 ユキは男の白い犬歯を見ながら言った。「しかしまぁ、そんだけ煙草吸ってて白い歯ってのが……。そういや――さんが言ってたんすけどね、」
自分が上から聞かされた事を、時間潰しに男にも聞かせた。「――相当エーシさんにご執心みたいで」
横目で探りを入れる。ぐりぐりと押し付けるような視線ではなく、あくまでもさっと表面を薄く切り裂いていく視線を男は受け、「知ってるかねぇ……、」 ぼそりと呟いた。視線を僅かに上に、額にかかっていた細い髪がはらりと除けた。
「成人儀礼で割礼とかは有名だけどさ、削歯……前歯と犬歯を削るっていうのがあるんだけど……、その理由が『獣から人間になる為』ってんだよ」
尖った歯は、獣の名残りだって言うんだとよ。がじり、鋭い犬歯でフィルターを噛む。がじり、がじ、り。獣の名残りだと言う歯は幾度となく噛んだ。口が寂しい訳でもないだろうに、唯その存在を確認される為だけにフィルターは噛まれ続けた。それは鋭く尖った歯を削りたいかのようにも思え、そう思ってしまえば、必死に自分に残る獣を消し去りたいだけのようにしか見えなかった。
「――因みに削らないまま死ぬと、『ずっと竹に齧り続けなきゃいけない地獄』に落ちるって」
随分ユーモア溢れる地獄があったもんだよな? 男はがじ、短くなった煙草、フィルターを噛むのを止めた。――自分に尚残る獣の部分を消す事を諦めたかのように。
「尖った歯は獣の名残りって言われてもさ、」
もう、歯とかそれどころじゃなくて、多分心とか根っこのところからケモノになっちまってるような気がすんだよ、俺。
何処か、既に隣にいるユキにではなく、遠い何処かにいる誰かに向かって吐かれた言葉に、「――……アンタがそんな事言っていいわけ、ねぇでしょうが」
獣で、何が悪ぃんだよ。ぎり、歯軋りしてユキは独白した。男の困ったような笑顔は、陽に融けてよく見えなかった。


失踪時。
ユキ友情出演。好き勝手やってすま

(20051129)